人生100年時代、2000万円が不足 金融庁が報告書というニュースがTwitterでちょっとした話題になった。「年金が足りなくなったから政府が言い訳を始めたのではないのか」というのだ。
この件で一番笑ったのは麻生副総理のフッテージだった。いつものように記者たちに上から目線で「君たち、老後設計なんか真剣に考えたことないだろう」というようなことを言っていた。似合わないピンクのシャツでニヤニヤ笑いながら話すその姿勢が「炎上すればいいのに」と思ってしまった。そして案の定反感を買っている。
多分、麻生副総理には記者の向こうに大勢の人々がいるという想像力はないのだろう。さすが上級国民の中の上級国民である。知りたいことは誰かが教えてくれるからわざわざTwitterなんか探さなくてもいいのだ。
真面目に分析すると、金融庁はこうしたいかにも一人歩きしそうな報告書を流すべきではなかったし、もし麻生さんが総理だったら大炎上していただろう。ただ、麻生さんには政府全体で(少なくとも厚生労働省と)すり合わせをして全体で整合性の取れた議論をして世論に告知しようというようなつもりは全くないようだ。麻生さんはもうやめたがっていてそれを安倍首相が引き止めているという観測(日刊ゲンダイ)もある。映画監督はおらずもう引退しても構わないやというベテラン役者たちが好き放題セリフを喋っているような状態になっている。
ただ、それを伝えて批判すべきマスコミも無責任である。日経の記事には次のような一節がある。
長寿化が進む日本では現在60歳の人の25%は95歳まで生きるとの推計もある。報告書では現役時代から長期積立型で国内外の商品に分散投資することを推奨。定年を迎えたら退職金も有効活用して老後の人生に備えるよう求めた。
人生100年時代、2000万円が不足 金融庁が報告書
この分散投資をやるためにはかなりの金融を勉強するか金融知識を持った人たちに頼る必要がある。高学歴の高齢者ならパソコンを使ってオンラインバンキングなどにアクセスすればいいと思うのだが、これができない人も大勢いるだろう。さらにそもそも貯蓄ができない世代がある。単身だと3割が貯蓄なし世帯でありそれ以外でも2割くらいが貯蓄なし世代なのだそうだ。そこで年金などが足りなくなれば「即ゲームオーバー」である。ただ、日経新聞はそういう人たちのことは考えないんだろうなというのはわかる。彼らの読者にはならないからだ。
もちろん安倍総理大臣も選挙で勝てればいいのでこの先のグランドプランを考えるつもりなどないのだろうし、問題を掘り起こしたりすれば「アベノミクス失敗」と言われかねない。お気付きの方もいらっしゃると思うのだが、こうした問題には野党は発言をしない。彼らもまた「対処する方法などない」ことを知っているのである。枝野さんも対案を出すつもりはなさそうだ。対案は緊縮財政になるので選挙では言えない。これが議会主導民主主義の欠点である。努力で政治が変わるなら誰も苦労しない。
簡単なことではありませんが、その2000万円を貯めることなく老後を安心して過ごせるように、工夫し努力するのが政治の役割。その努力を放棄して正当化しようとする言葉が「自己責任」です。
— 枝野幸男 りっけん 立憲民主党 (@edanoyukio0531) June 5, 2019
私たちは苦しくてもさらに努力します。 https://t.co/HrujaOkPnq
このニュースのレスポンスをテレビで少し見たのだが、笑いながら「いやーそんなの無理無理」と言っている人が多かった。多分、みんなと同じように真面目にやっているのに私がそんなに困るはずがないと思っている人が多いのではないかと思う。金融庁のいうとおり老後破産が増えるかどうかはわからないが、現実のものとなればかなり悲惨なことになりそうだが、その実感は今はまだない。
今の日本の財政は国債の占める割合が多い。それだけ余裕があると勘違いしている人が多いのだろう。閉塞感がある中でもある種バブルのようになっている。ちょうど平成に切り替わった頃の空気感である。これがバブル崩壊でガラッと変わる。令和もそういうじだいになるかもしれない。
ヨーロッパでは既存政党が軒並み国民から突き上げを食らっている。緊縮財政を敷いている国が多くそれが反発されている。ヨーロッパは官僚政治ではないので、責任政党がそれなりのプランと見通しを持っている。それを左右のポピュリスト政党が揺らしているという構図である。日本は野党化した自民党がポピュリズムの要素を取り込んでしまったために政権政党への批判が見られない。
なんとなく「麻生副総理が反発されて選挙で負ければいいのに」などと思ってしまうのだが、バックアップ政党もなんだか頼りない。実際に何か起きてみないと政治は変わらないだろうが、多分かなり多くの人がその被害を受けるはずである。