令和令和とうるさい。「あれ平成改元時にはそんなことなかったのになあ」と思って、当時の1月の朝日新聞を読んでみた。
前回の改元が盛り上がらなかった理由はすぐにわかった。盛り上げる必要がなかったのである。
1989年は竹下内閣で、年頭所感で「今年は政治改革をやるぞ」と宣言されている。アメリカではレーガン大統領時代が終わりブッシュ大統領に切り替わるという時期である。アメリカは緊縮財政だったが、日本の景気は好調で貿易も黒字基調だった。
しかし内政には懸念もあった。好調な景気を背景にしたのか消費税増税が決まったばかりだったのだが、リクルート事件の新事実が次々に報道されており、月の終わりには山本経企庁長官が辞任してしまう。国民はこの報道にうんざりしていたのである。税負担を国民に押し付けて自分たちは株で儲けているのですかと考える人が多かったのだ。
そこで、竹下内閣は地方自治体に一億円づつ配りますよというふるさと創生事業を発表した。つまり、リクルート事件の金権批判をバラマキでかわそうとしたわけだ。
あとになって、この当時の好景気は土地価格の急上昇に支えられたバブル景気だったことがわかっている。しかし当時の人たちはそれに気がつかなかった。1月14日の新聞に「自民党が地価高騰対策の議論を先送りした」という小さな記事が出ている。自民党もマスコミも「金権政治批判」で頭がいっぱいになっており、まさかこの好調に足元をすくわれるとは思っていなかったに違いない。
そして1月9日に昭和天皇が崩御するのだ。国中に自粛ムードが広がり、若者からは「疑問の声」が上がる。上皇陛下が退位・譲位にあたってこうした自粛ムードを懸念したとしてもそれは当然のことだろう。東京オリンピックと重なることもないとはいえない。
今にして思えばこのバラマキで財政再建をしておいてくれればとか、土地に対して分析をしてくれていればなどと思うわけだが、新聞にはそのような問題意識は全く見られない。土地価格が高騰すると庶民が家を買えなくなるくらいの問題だと認識されていたようである。結局、自民党が問題を先送りしたので大蔵省が政令でなんとかしようとする。それが総量規制だが、これが原因でバブルがはじけ、その後失われた20年が続くことになった。
消費税に関して言えば自民党が増税を決めたのは実は1回もないそうだ。3%から5%にあげるのを決めたのは村山政権であり結果的に政権を維持できなかった。村山内閣を受けた橋本政権では増税凍結論争(President Online)があり「凍結していればもっと勝てた」という話があるそうだ。5%から8%にあげるのを決めたのも野田政権であるがこちらも政権を手放している。実施したのは光景の安倍内閣である。
一方で、元号に関しては今と似ているような<議論>もあった。第一の議論は平成という元号が首相近辺で独断で決められた元号でありなおかつ偽書によるという批判である。今ネット検索してもこのような情報は出てこないのだが、平成の出典になった書籍は出元が怪しい偽書なのだそうだ。実はWikipediaにもこっそりとそう書いてある。さらに大喪の礼については宗教的儀式なのでは?という批判があり、自民党と左派政党の間で駆け引きが行われている。
このように平成改元時は景気が盛り上がっておりわざわざ改元で盛り上げる必要はなかった。人々は自分たちの実力でここまで来たと感じていたのだから、時代に助けてもらおうとは思わなかったのだろう。だが、それは過信であり実際には加熱した景気がはじける寸前だったわけである。
それを考えて、改めてテレビの令和騒ぎを見ると無理に時代の変わり目を強調しようという演出が目立つことに気がつく。人々が閉塞感を持っておりこれを「一気に誰かに何とかして欲しい」と思っているからだろう。一方で、諸改革は先送りになっており、このうちの何かがはじけるのかもしれないし、実は好調に見えるものが災厄の先触になっているのかもしれない。