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共生型個人社会 – スウェーデンの政治

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今回は共生型個人社会の政治について考える。行きがかり上、三象限を調べたので残りの一つが気になったからである。つまり、スウェーデンを取り上げたのにはあまり大した意味はない。

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先日来、アメリカの政治について調べた。もともと地域間対立だったが二大政党制に発展し個人の価値観をベースにした政権選択の受け皿になっている。アメリカというのは個人主義・競争社会である。なので選挙のコンペティションも個人が中心になり周りの信頼を集めてゆくという形になっている。タフな大統領選を戦い得る候補者がアメリカでは尊敬されるのだ。

その前に見たのは韓国だった。韓国の保革対立は実は地域間対立だった。もともと慶尚道への優遇と全羅道差別があり、起こった全羅道の人たちが奮起して革新と呼ばれる勢力ができた。これが光州事件である。

いまの文在寅政権(自身は慶尚南道の出身)は革新系なので朴正煕時代の戦後復興を否定する動きがある。光州事件が韓国民主化の真の始まりだったというのだ。日本の戦後処理が攻撃されるのはその文脈によるものである。つまり朴正煕を助けたという意味合いで嫌われているのである。

韓国は、集団主義・共助社会だ。韓国はこれが個人のコンペティションにはならず集団化した形で残っている。既存勢力対新興勢力であって実はイデオロギー対立ではない。

実は同じような対立が日本にもある。GHQと戦後処理をした保守本流が許せないとして憲法改正を望む人たちの内部対立が自民党の中に今もある。GHQ体制が許せないという意味では安倍政権も共産党は共通した因子を持っているのだが、日本の競争は強くて大きなものを志向する。官軍側である自民党の内部で成立することが挑戦者(つまり弱い人たち)には成り立たない。さらに共助のための集団を作らず競い合うための集団を作るので、集団のあり方が韓国とは全く違っている。

四象限あると残りの一つが見たくなる。それが個人主義・共助社会である。スウェーデンやデンマークなどの北欧がそのような特徴を持っている。当初の予想通り助け合い社会だった。

スウェーデンは比例代表・一院制の政治体制を持った立憲君主国である。労働組合の影響を受ける社会民主党が政権を担う時代が長かった。一時穏健党と呼ばれる非社会主義政党が政権を担ったことがあるそうだが、経済運営には成功しなかったようである。穏健党はストックホルムに支持層がいる。

移民の流入によって有権者が動揺したため、スウェーデンの政治は揺れている。2018年の選挙結果を見ると、ストックホルムでは穏健党が強く、その他の地域は社会民主党が勝っている。しかし、デンマークに近い(つまり移民が入ってきやすい)地域では極右と呼ばれることが多いスウェーデン民主党が勝っている。共生社会といっても「仲間同士の助け合い」であり、容易に混じり合わないイスラム系への反発が徐々に浸透していることがわかる。

このために、9月の総選挙の結果連立交渉が難航して越年(日経新聞)してしまった。面白いことに日本の新聞は政治危機については伝えてもその後のことには興味がないようだ。2019年1月になって連立交渉がまとまり、社会民主党を中心とする政権ができたようだが、そのことを伝える記事はなかった。いずれにせよ、穏健党は野党に回った。

個人主義の社会では政策が政治議論の核になる。だが、アメリカが社会主義を嫌うようにスウェーデンでは自由主義は根付かない。つまり個人が他の人に自分の考えを訴えることが政策なのである。ここから類推すると日本にも社会民主主義的な政策が浸透することはあまりなさそうだ。浸透するとしてもアメリカ型の「共助や多様性は国を成長させるのだ」という競争に着目した説得が必要になるのだろう。

集団社会ではこうした政策が表に出ない。これは韓国でも同じである。地縁血縁による助け合いが起こると他者が排除されるので、韓国では大統領の粛清的な動きが起こる。文在寅政権では司法に政権に近い「苦楽を共にした」人たちが入り込み政策ではなく判断で意思決定をしている。これは日本でも同じで、官邸の判断が法運用を変えるという仕組みになっている。だが、日本では集団同士のかばいあいはそれほど顕著な形では現れない。

いずれにせよ、集団主義の社会では個別の政策というものはそれほど重要視されないこともわかる。韓国では集団内部での助け合い(外から見るともたれ合い)がドライバーになっている。このため政権交代が起こるとこれまで助けてもらえなかった側の報復が始まる。一方、日本は勝てるチームを通じて競争をしたがる。全体が弱くなってくると弱者同士で連合して規模を大きくしようとする。そのためにシステムが複雑化し急速に閉塞感が増すのだろう。

我々が今感じている閉塞感はシステムが破綻するまでしばらく続き出口がない。個人間競争、個人の助け合い、集団内部の助け合いのどれも日本社会は持っていないからである。

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