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令和最初の挨拶は?

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令和最初の挨拶はどうすべきかという質問があった。昭和から平成に切り替わったときには祝賀ムードはなかったので「そんな挨拶はない」とする意見が書き込まれていた。

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とはいえ今回はそのような自粛ムードはないのだから挨拶があってもよさそうではある。ということで一生懸命考えてみたのだが浮かばない。

しばらくして思ったのだが、元号の切り替えというものは新しい天皇に合わせて行われるわけだから、新天皇を祝賀すれば良いのだということに気がついた。つまり「Happy New Reiwa」的な挨拶はないのである。

にもかかわらず令和の挨拶という発想が出るということは、すなわち天皇即位がそれほど重要なイベントだと考えない人がでてきているということになる。怒られそうな例えだが春を祝うはずの節分が「恵方巻きの日」になったようなものだ。

もともと元号というのは、その世界をしろしめす(統治するという意味の古語だそうだ)権力者が勝手に決めていいものだ。統治者にはそのような権限があり、人々は徒然それに従うべきだという考え方がある。だから、その統治者が法律を公布することで人々はそれに従うのもあたりまえなのである。実際に明治政府はそれを利用し「天皇一代で元号一つ」としたのだろう。

このように、元号には非民主的な歴史的背景があるのでQuoraでは「元号は憲法違反なのでは?」という質問もあった。実際に訴訟(Huffinton Post)も起きているようだ。白黒はっきりさせたい人たちにとって、君主制と基本的人権は折り合わないし、国民主権と元号は折り合わない。これをなんとなく曖昧に運用してきたのが日本の日本的なスタイルである。

実際には元号制定プロセスが民主化(人によっては安倍政権の私物化というだろうが)されたことで、実際には真逆の動きが出てきている。元号切り替えがメインであり新天皇即位がサブだと考える人がでてきているというのはその一つの現れである。昭和から平成への切り替わりは「崩御」に向けた自粛期間があり元号切り替えはその一つの流れのほんのひとつのイベントに過ぎなかった。

ところが今回は「元号を変えて今までの閉塞感を払拭したい」という政権側の意向もあったのだろう。元号が政治利用された。

今回は内閣総理大臣が自分の思い込みを乗せて「国書から選ぶべきだ」としたとされている。ところが選定過程が迷走し、令和という元号もずいぶん最近になってから決まったというような話がまことしやかに語られている。安倍晋三さんが時代を支配しているとは誰も信じていないのだから、元号そのものにもはやかつてのようなありがたみはない。皮肉なことに一部の人たちが思い入れを乗せれば乗せるほどそれは俗化されてしまうのである。この国では誰も天皇家に変わることはできないということがわかる。

何もせず何も言わないから聖性を保っていられるというのは実に不思議で実に日本的なあり方だと言える。

政権の意向とは別に国民の間にも閉塞感を払拭したいと考える人がいるのだろう。平成は戦争こそなかったが災害と先の見えない不安に苛まれた時代でもあった。そういう時代を誰かに終わりにしてもらいたいというような希望があるのかもしれない。考えてみれば「新しい世の中をこうしたい」という声は聞かれず「誰かがこうしてくれたらいいな」というような感想ばかりが聞かれる。

こうしたあり方は伝統の破壊のように感じられるが、実はそうでもないようだ。江戸時代にも社会不安から元号を変えて時代を一新したいというようなニーズはあったようである。

特に「嘉政」は当時の幕政への不満も背景にあったようだ。吉野氏は「日常で元号を利用しながら生活している庶民に、改元で新時代を期待する願望があった」と話す。「新たな元号に政治改革へのほのかな希望を託していたといえる」(吉野氏)。

庶民の世論が影響? 江戸時代の改元

この記事を読むと江戸時代の人々は干支(60年周期)の暦と元号が組み合わせてつかっていたということがわかる。現在の私たちは西暦と元号を組み合わせて使っており、これも実は昔ながらのやり方を今に受け継いでいるのである。意外と昔から同じようなことを続けているのだ。

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