ざっくり解説 時々深掘り

悪いことを悪いと思わない日本人

JOCの竹田会長がフランス当局から「東京オリンピック招致について賄賂を送ったのでは?」として訴追される見込みだという。長い間捜査が行われていたようだがついに実際に竹田さんのところにまで手が及んだ形である。NHKは朝のニュースで「東京オリンピックとは関係ない」と言い切ったので、官邸は「竹田さん抜きでオリンピックをやろう」と決めたのだろう。NHKは自民党の人民日報になったんだなと思った。この報道を見ていると日本人とフランス人の「悪」に対する考え方がかなり違っていることがわかる。

Follow on LinkedIn

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで

|サイトトップ| |国内政治| |国際| |経済|






日本人がまず思ったのは「これはゴーン会長が逮捕されたことに対する仕返しなのではないか」ということのようだ。毎日新聞はタイミングの問題をタイトルにしている。これは日本人が「賄賂かどうかは解釈の問題である」と考えていることの表れではないかと思う。毎日新聞はまだ抑制的に書いているが朝日新聞はこの二つを関連付けて「泥沼化」と決めつけている。二紙ともにリベラルとされている新聞社だがとても東洋的なものの見方をしているのである。

ただ、この考え方は思い当たる節がないのに悪いことが起こると「神様を怒らせたのでは?」と不安になる心情と似ていると思う。つまり日本人は悪いことがあるとその結果から遡って善悪を考えるのである。誰かを怒らせているという自覚がある場合はそれに反応するし、なければ「祟り」などを疑うことになる。感性としては疫病があったから大仏を立てたり首都を変えたりという行動に似ており、1000年以上あまりメンタリティが変わっていないことがわかる。

西洋人は原則を重要視するので、競争を歪めてオリンピックを招致したのであればそれは悪いことだと考える。フランスの検察当局が気にしているのはフランス国内でマネーロンダリングが行われたということのようだが、そのマネーロンダリングの原資と疑われているのが竹田さんたちがコンサルティング料として支払った2億3000千万円なのだ。ゴーン容疑者について怒っているのも、彼が被疑者扱いされていることの是非ではなく「まだ裁判も始まっていないのに長期間拘留すること」の是非である。これも人権という原則の問題だ。だが、日本人はこれが理解できない。日本人は結果としての不利益には敏感に反応するが、原因としての原則にはほとんど反応しないことがわかる。

一般的な日本人の感覚からすると、オリンピック招致には確かにお金が絡んでいたのかもしれないが、それで自分が損をしたわけではないし、オリンピックには経済効果もあるからおこぼれがあるかもしれない。つまり結果的には問題は起きていないから「まあそれはいいんじゃないのか」と思うのである。つまり、原理原則にはあまり拘りがなく結果を気にする。だから「日本の検察が場の空気が悪くしたからフランス政府が怒ったのでは?」と考えるのだ。ゴーン容疑者の祟りで竹田さんが訴追されたと考えていることになる。

同じようなことは中国でも起こっている。CNNによるとファーウェイの副会長がカナダで拘留され、その報復として中国でカナダ人が捕まったりしているようだ。中国と日本の違いは表面的に民主主義という形式を守るか守らないかの違いでしかない。何がいいか悪いかは「持ちつ持たれつの関係」で決まると中国人も考える。

前回ブレグジットの件で住民投票で決まった結果を守り、なおかつどのようにEUを出るかを議会であらかじめ決めようとする「四面四角」のイギリスについて少し触れた。また、フランスも「公平性を歪めるようなことをフランス国内で行ってはならない」という原理原則を守ろうとしている。欧州は絶対的原則主義で良いか悪いかが決まり、日本や中国とは行動原理が異なっていることがわかる。

もちろんこのどちらがいいのかということは決められないのだが、一つ重要だなと思うことがある。

現在安倍政権に怒っている人たちは「安倍政権が勝手に物事を決める」ことに怒っている。そこで異議申し立てをしてみるが人格的に貶められて意見が聞いてもらえないのでさらに追い詰められて怒るわけである。だが彼らもまた原理原則にはあまり興味がないので、安倍政権がなくなったあとにまとまるための求心力が作れない。これは将来にそうなるであろうという予測ではなく、過去の民主党政権とそのあとの「グダグダぶり」で証明されていることだ。そして、実は民主主義という原則を守れと言っている朝日新聞や毎日新聞もこの相対的善悪主義に則って「とりあえず今は安倍政権を叩いている」だけなのだ。

相対的善悪主義の元では人々は世間の動向を気にするが、原理原則には興味を持たない。だから例えば「マネーロンダリングに加担してまでオリンピックを招致してはいけないのでは」とか「人権の観点からゴーン容疑者の身柄に配慮すべきなのでは?」という議論にはならないから、それに沿って社会制度を変えようという議論は起こらない。だからいつまでたっても社会は変わらない。先に引用した朝日新聞の記事はゴーン容疑者の件についても言及されているが「人権に配慮すべきだ」という論調ではなく「特捜部の対応が悪い」と主題から人格への切り替えを行われており、村落的相対善悪主義が根強くあることがわかる。朝日新聞が気にするのは、特捜部が今後も村人として処遇されるべきなのかという点なのである。そしてその論拠としてフランスが利用されているだけなのだ。朝日新聞ですらそうなのだから日本の議論は最終的に人格攻撃になる。Twitterにいる人が「バカな匿名の衆愚」だからそうなるのではないのである。

ちゃんとした民主主義を追い求めているはずの毎日新聞や朝日新聞も最終的にはムラ意識が抜けない。ムラは新しい統治原理を作れないのでいつまでたってもまとまれない。新聞は売れる社会問題さえ追いかけていればよいのだが、日本では政党ですらそうなので、いつまでたっても同じところで足踏みをしてしまうのである。そしてそれが西洋とぶつかった時だけ「現代的先進国として恥ずかしいのでは?」と思ってしまうのだ。

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です