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安倍政権が保守を自称する意味について考える

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先日来、安倍政権の新移民政策について考えている。前回までに、こんどの新移民政策は単なる鎮痛剤であり、日本の経済に深刻な後遺症を残すだろうと分析した。

フジテレビの朝の番組を見ていたら日本はすでに移民大国になっているそうだ。財界としてはこれを既成事実化したいらしい。調べたら現代の記事がヒットした。世界第4位なのだそうである。先進国では保守とか右側と言われる人たちは大抵移民政策には反対である。伝統的な社会制度の変化を強いる外国人の流入が許容できないという人たちが多いからだろう。逆に左側とか改革派と言われる人たちは多様性を訴えるので移民政策には賛成の立場になる。本来急進的な移民政策が始まれば保守を自認するフジテレビはこれに反対するはずなのである。

移民たちは表向きは技能実習とか留学という名目で入ってくる。政府は定住目的の移民ではないとしている。これを説明する岸田文雄政調会長は見ていて痛々しかった。野党の批判のない中ですら保守の識者の発言に「政府がきっちりと検討してくれることを望むばかりだ」の一点張りであった。このことから自民党の中に官邸と自民党という二つの村ができていることがわかる。岸田さんには官邸の暴走を止める力はないのだろうし、気力もないかもしれない。それでも岸田さんは最後に次の総裁選には出ますよねと聞かれていた。テレビ局には悪意はないのだろうがある意味公開処刑のようにも見える。

そんななかで技能研修生の問題も一応は取り上げられていた。失踪してもなんらかの問題に遭遇するまでは事実上放任されており、何か問題を起こしたときに「犯罪者」とか「違反者」という名目で出国させてしまうという政策である。

これを人権侵害だという路線で反対しているのが今の左系の人たちであるが、実際には日本人にはあまり響いていないのではないだろうか。日本人は「誰かが犠牲になって自分が嫌なことをしなくてすむならその方がよい」と考える。人権は他人に権利を与えることであり、ゼロサム世界に住んでいる日本人は「自分の権利が奪われる」と自動的に考えてしまうわけである。苦痛が他人に転移することで自分は苦痛を感じないという意味では、金枝篇的な呪術の世界に住んでいると考えても良い。

だが、経済の問題は忘れ去られている。雨だれ式に安価な外国人労働者を供給することは、人件費が低く抑えられることで産業転換が進まないという問題をうむ。しかし、それでは足りないのでもっともっとという声が生まれることになるわけである。

しかし、この政策もやがて効果を失うだろう。海外も成長しているので、やがて人材獲得競争に負けることになるからだ。人手不足も解決せず、産業転換も進まず、人権問題も放置されたままという危険な環境がなし崩し的に整備されようとしているのだが、中国を叩いていれば満足な自称保守は気にしない。

技能実習という名目で安価な労働力を例外的に入れたのだがそれでは足りなくなった。そこで今度は5年で戻す単純労働力を入れるという。この調子で段階的に海外労働力依存は高まるだろう。多くの産業が格安の外国人に期待するようになり、周辺各国との競争に勝つために条件もよくして行かなければならない。こうして「ちょっとの痛み止め」がどんどん拡大していってしまうのである。

こうしたなし崩し的な伝統社会の破壊に保守が反対しないのはなぜだろうか。どうやら二つの理由があるようだ。有本香さんが心配していたのは中国人が保険制度を悪用するのではないかという問題だった。日本の社会保障制度は優れていて、それを自分たちが下に見ている中国人に「悪用されるのは許せない」という村メンタリティがあるようだ。有本さんはこの件を継続的に取材されているそうで、問題点もわかっているの

だが、保守の応援団である有本さんは自民党の新しい政策に声高に反対することはできないし、矛盾を知っていてもそれを指摘できない。ここに保守の人たちが安倍首相に心理的にコミットしているという問題が見える。つまり人は一度支持を表明するとそれを保持しようという気持ちになる。「ちょっとした頼みごと」をして聞いてもらうだけで、そのあとの商談が楽になるというセールステクニックもあるくらいだ。Twitterなどで安倍支持を表明して「主流派である」という自己認識を得てしまった人はその状態を継続しようとするだろう。

例えば、菅首相が同じ政策を表明したところを想像してみると良い。多分、多くの保守と呼ばれる人たちは口汚く菅首相を罵ったはずだ。曰く「そんな政策が実現すれば中国や韓国から大勢の労働者が押し寄せて日本の社会はめちゃくちゃになってしまうだろう」というだろう。つまり、彼らは政策そのものではなく文脈だけをみて「正しい政策判断」をしているのである。

これが、政府の干渉なしに搾取する自由を謳歌したい自称新自由主義者と呼ばれる人たちの上手なところだ。表面的に力強さを演出する保守の政治家を担ぐことで急進的な政策も進めやすくなる。リベラル改革というと人権・護憲しか思い浮かべない人たちには、こうした新自由主義的な急進政策はリベラルに見えない。彼らの政策は一貫している。税負担は国民に消費税という形で転移させ、自分たちは海外からの安い労働力を使い倒す。そして、治安が悪化したら地方自治体に対応を押し付けるのだ。

いわゆるリベラルと呼ばれる人たちの反対の声は、彼らにはある種栄養剤の役割を果たしているのだろう。つまり、リベラルが反対すればするほど自分たちが正しい政策を推進しているのだと誤認してしまう。

様々な矛盾があるが、これを一発で解決するのが「力強いリーダーシップを持った頼りになる保守の政治家」である安倍晋三だ。彼の中には大きな空洞があり、矛盾が吸収されてしまうのではないかと思う。意識して嘘をつくのは二流のリーダーだ。本物のリーダーは心の中に大きな虚を抱えていなければならない。存在自体が嘘にならないとこの国では一流のリーダーにはなりえないのではないかとすら思う。

資本主義や自由貿易からの揺り戻しが起こり反移民がマジョリティになりつつあるこの世界で、急進的な市場開放・公共財の私有化・労働市場の解放などリベラル色が強い政策を推進するのは難しい。だが、このリベラルに反対する本来保守と呼ばれるべき人たちは自分たちは賎民階層である社会に忘れられたサヨクであるという間違った自意識を植えつけられてしまうのである。

我々は当たり前のように使われているラベルに意外と騙されているのではないかと思う。

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