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韓国大法院の新日鉄住金に対する判決は何を意味しているのか

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韓国の高等裁判所に当たる大法院が新日鉄住金に対して4億ウォンの賠償金の支払いを命じた。一審と二審の判断を翻したものだった。裁判が起こされてから13年8ヶ月が経過しており、訴えを起こした4人のうち1名以外は亡くなっている。(中央日報

この判断をきっかけに日本では感情的な議論が起こっている。普段は草の根民主主義や三権分立を擁護する立場の朝日新聞でさえも司法の判断を「国民情緖法により協定を覆して」と書いており日本側の憤りがわかる。と同時に、日本のマスコミは民主主義の持つ本来の恐ろしさを理解しないままで反安倍政権の論陣を張っているということも伝わる。韓国はデモによって民主化を勝ち取りデモによって政権が転覆する国なので、国民世論が無視できない。朝日新聞が理想とする国もこのような状態になるはずである。やはり日本は文脈依存が強い国なのである。

Twitterの議論の大筋は「政府間の条約と国内法のどちらか優先されるか」というものである。これも憲法などの決まりが絶対視しがちな日本人の心情をよく表している。現在は主権国家体制なので、超国家的な法規で司法判断を覆したり政権の意思を変えることはできない。いま超国家体制が構築されつつあるのはEUだけであり、それでも完全統合までには長い時間がかかるだろう。

右派は嫌韓・嫌朝日新聞なのだが、朝日新聞が韓国政府に対して批判的であるという「ねじれ」が生じている。左派から見ると文在寅政権は民主的なデモによって誕生した政権のはずでありこの政権が非民主的な判断をするはずはないという期待感がありやはり戸惑いがある。しかし実際にはこの一連の動きは韓国の文脈で動いており、これを日本側の文脈に無理に当てはめても実態は見えてこない。

河野外務大臣は在日韓国大使に対して抗議を行い(中央日報)、安倍首相もこの判断は受け入れられないと表明した。外交解決の手続きを踏んだ上で、最終的には国際司法裁判所の判断も仰ぐとしている。(日経新聞)日本政府は賠償問題はすでに解決済みという立場をとっており、韓国大法院の判断が受け入れられる余地はないだろう。日本側としてはこれが正しい態度だ。つまり、自分たちの立場を押し通すしかない。難しいのは日本が外交的に孤立しつつあるという点である。是々非々で対応しないと、地域の意思決定から半永久的に排除されることにもなりかねない。

朝日新聞は協定を反故にしてというような書き方をしているが、韓国側の報道をみると65年協定との整合性は議論の対象になったようである。韓国司法はこれまで判断を避けてきたが、政府間の請求権の他に個人の請求権はあるという新しい「解釈」をしている。また、日本が韓国を不法に占拠したことについての謝罪が協定には含まれておらず、従って慰謝料問題は解決していないという判断も下したようである。このためこの判断は65年日韓体制の転換という見方がある。つまり、これまでの危うい均衡を崩しただけであり、今後どうするかは「これから決める」という段階だ。

では65年体制の転換が何を意味しているのかというのが問題になる。これは朝鮮分断という戦後体制を刷新して行こうという意欲の表れの一環とも考えられるし、単に文在寅政権の自己保身なのかもしれない。政権は明らかに前のめりになっている。これを冷静に観察しないで対応するとかなり危険なことにもなりかねない。

日本では賠償金最大2兆円という言葉が一人歩きしている。これがどこから出てきたものかはわからないが、政府が229社を選定しており、これの対象者に相場どおりの1000万円を払えば2000億円になると書かれている記事がある。この計算が一桁間違っていたということなのだろう(週刊ポスト)。だが、これも対日政策の変更というよりは政権の自己保身の色合いが強いのではないかと思われる。

このリストが示されたのは李明博政権の末期に当たる。同じ時期に竹島上陸を行っていることからもわかるように、反日は国民世論を味方につけるために利用されてきた歴史がある。2012年末には「個人の請求権は消滅していない」という判断が大法院から出ているが、この時には大法院は直接判断せず高裁に差し戻しを行ったそうだ。つまり李明博政権は司法に処理を丸投げしてしまったのだ。

日本の反韓感情を考えると新日鉄住金が賠償金を支払う可能性はなさそうである。中央日報も実際に賠償金請求をするのは難しいだろうと伝えている。新日鉄住金が韓国に持っているのはポスコの株式だけなのだそうだ。さらに、請求は原告がしなければならない(中央日報)。この行為は他の日本企業が韓国からの引き上げを誘引し、新しい投資を難しくするだろう。単純に日本企業は財産が取られてしまうかもしれない国に投資はできない。一方、韓国は常に外国からの投資を必要としている国である。このことからも文在寅政権が注意深くシナリオを作ったわけではないということがわかる。とにかく動かしてみてあとで問題を解決しようという綱渡り的な思考が見える。

行政と司法が独立しているので司法判断は尊重されるべきという意見も見た。最初はその通りだと思ったのだが、どうもそれも正確ではないようである。文政権では国内保守の「粛清」が始まっており、この賠償問題も過去の保守政権下では塩漬けになっていたという経緯(日経新聞)がある。これがわかるとこの話の意味が少し見えてくる。

5年間、塩漬けになっていた徴用工裁判が動きだした背景には、昨年5月の文政権の発足がある。朴槿恵(パク・クネ)、李明博(イ・ミョンバク)と続いた保守政権を「積弊」とみなす文政権は、政府や公企業などの主要ポストから前政権で任命された人々を外し、信条が近い革新系の人物を起用した。

最高裁長官もその一人だ。文氏は革新系判事が集まる「我が法研究会」会長だった金命洙(キム・ミョンス)前春川地方裁判所長を指名した。金氏は最高裁判事の経験がなく、異例の抜てきだった。

朝日新聞にはもっとショッキングな記事があった。実際には警察も介入しているようなのだ。政権の意向が働いていることは間違いがなさそうだ。

韓国の大法院(最高裁)が朴槿恵(パククネ)前政権の意向をくみ、元徴用工の民事訴訟の進行を遅らせた容疑で、韓国検察は27日未明、林鍾憲・前法院行政処次長を逮捕した。検察は当時の大法院長(最高裁長官)らの関与についても捜査を進めている。

中央日報もこうした動きの一端を伝えている。朴槿恵政権下で、裁判所が政権に忖度したのではという疑惑があり捜査が進んだが証拠が出なかった。前政権が歪んだ政権だったということを国民・世論に訴えたい現政権の意向を汲んだ動きなのではないかと思う。

65年協定は朴正煕大統領時代に結ばれている。その娘の朴槿恵大統領なのだが、その娘を否定するためには「協定は不完全なものだった」としてしまうのがよいわけである。李明博大統領は反日感情を利用しつつも実際的には経済関係まで壊すつもりもなければ保守の大統領として65年協定に反するようなこともしなかった。だから裁判所に判断を丸投げし、続く朴槿恵では判断を塩漬けにされていた。文政権はそれを前に進めて表面上は司法の判断と言っている。

これを「日本の相対的価値が落ちたせいだ」と分析している人も多いようだが、内向きな(しかも日本とは違っている)保革対立だと考えたほうがわかりやすい。革新のハンギョレ新聞では朴槿恵政権に対する感情的な記事も見つかった。一人取り残された94歳の老人の「恨」が思う存分書かれている。これに動かされる国民も多いだろう。

裁判は遅延されただけではなかった。その裏側で“取引”が行われた。上告裁判所の実現に必死だったヤン・スンテ最高裁長官時代、裁判所事務総局が韓日関係を前面に掲げた朴槿恵(パク・クネ)政権の大統領府側と、強制徴用賠償訴訟の裁判を遅らせたり、最高裁の判決を覆す案について協議してきた情況が明らかになった。

この記事から感情論を取り除いてわかることは、当事者も時代や政権の意向に翻弄され続けており、決してこの裁判で救われたということではないという点だ。

一方、保守側は批判的だ。今回賠償責任を認めるべきではないという判断をした大法官は二人とも前政権下で任命された人たちだったと朝鮮日報が伝える。朝鮮日報は他にも面白い分析をしている。経済や外交に影響が出るだろうという仄めかしだ。

今回の判決で韓国政府は、大きな荷物を背負うことになった。13年にソウル高裁は差し戻し審で「損害賠償請求権に対する大韓民国の外交的保護権は(請求権協定で)放棄されなかった」と判示した。大法院は30日、この判決文を確定させた。今後、韓国政府は賠償請求権を持つ韓国国民に代わって日本政府に対し外交的保護権を行使しなければならない。植民地の違法行為に対する賠償を要求しなければならない、ということだ。

(中略)

シン・ガクス元駐日大使は「請求権協定と衝突する判決が出た以上、日本は韓日の国交の根本体制が崩れたとして強く反発するだろう。だからといって韓国政府は大法院の判断に逆らうことはできず、選択の幅が狭まった状況」と語った。

個人が日本に対して賠償を請求した場合には国民の側に立つ憲法上の義務が生じたと言っている。パンドラの箱を開けてしまいましたねということだ。ただ、これを実行した場合に日本企業が韓国に投資をするのは限りなく難しくなるだろうし、北朝鮮問題で日本を引き込むのは難しくなる。中央日報、朝鮮日報、東亜日報は保守・反共の保守系新聞社なので経済活動に影響がある今回の動きには批判的なはずである。

韓国は日本以上に集団主義の強い国であり、文脈依存も強い。このため韓国の文脈を見ない限り、彼らが何を考えているのかはわからない。

日本と韓国は内向きさという意味ではとてもよく似ている、だから、却って違いが際立つのだろう。本来ならこれを冷静に見て「日本が極東で孤立しないようにうまく立ち回るべきだ」とまとめたいところなのだが、朝日新聞さえ感情的に反発するこの問題は日韓関係を悪化する方向に働くのではないかと思う。冷静な判断を呼びかけるマスコミはないのだ。

日本側の嫌韓感情は強まるのかもしれないが、極東アジアの外交から外されないためには、文化の違う国ともなんとかやってゆく必要がある。全てを好きになる必要はないし、面従腹背で生き残ってきた韓国との間に完全な信頼関係を結ぶのは無理だろう。今まではアメリカを介していれば直接対立する必要はなかったのだが、アメリカのプレゼンスが弱まりつつある今、日本の世論と日本外交がどれだけ「大人になれるか」が試されているといえる。

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