ざっくり解説 時々深掘り

現在の奴隷労働とそれを許容する日本人

先日Twitter毎日新聞の「外国人、借金返せず不法残留」という記事について知った。

仲介業者に125万円支払って日本に来た看護師が日本語学校の系列の病院を紹介されて週28時間勤務をこなした。しかし経費を差し引かれて2万円しかもらえなかった。そこで、失望して脱走してアルバイトに明け暮れたあと不法滞在で逮捕され、泣きながら謝罪したという記事である。

これを見て現在の奴隷労働だなと思った。つまり経済的に「働き」を搾取されているのである。

ところがこれについてつぶやいたところ「善意」で「ものごとを良く知ってそうな」人から、これは奴隷労働ではないという意見をもらった。狭義の奴隷は誰かに所有されている人の事をいうのだという。抵抗勢力の根強さを感じるとともに「知っている」ということでショックを和らげたいという気持ちの根強さも実感した。このことは逆に私たちの社会がもはや誰かの人権を犠牲にしてしか存続し得ないということを許容したいという気持ちの表れなのだろう。

ここから、戦前の慰安婦や強制徴用などの問題も形式的には「志願」で自発的に来ているとされているケースが多かったのだろうと思った。つまり、戦前から一貫して「見て見ぬ振りをしたい」という気持ちがあったのだろう。それは、日本人特有の感覚というよりは人類が共有している感覚なのではないかと思う。

戦前のケースでは日本人は二律背反的な気持ちを持っていた。アジアで最も優れた民族としてアジアを解放するのだという意識を持っていた一方で、朝鮮人を差別しているのだから何をされるかわからないという恐れもあった。このため日本の植民地政策は一貫せず、外から入ってきた民族をどう受け入れるかという思想がまとまらないままで戦後を迎えてしまう。それは日本が帝国として他民族化するか、それとも「純血の」日本人だけを日本人とするのかという感覚がまとまらなかったことを意味している。

この短いエントリーですべてを書くことはできないので、奴隷労働については人権の観点から分析するのだが、この問題を突き詰めてゆくと、海外から短期労働者を隷属的に受け入れることでしか維持ができなくなった国が、そのアイデンティティをどう作り上げて行くかというかなり本質的で根深い議論に発展するはずである。そして、その議論を妨げるのは多分無知な人たちではなく、今回遭遇したような「善意で」「教養のある」人たちなのだろう。

現在の日本の「奴隷労働市場」には単独の犯人はおらず、かなり巧妙な仕組みができている。一度考えてから浮かんできた疑問は「なぜ海外のブローカーが野放しになっているのか」という問題だ。

この外国人看護師が隷属的な労働に甘んじなければならなくなったのは元はと言えばブローカーから借金してしまったからである。そしてこれは日本政府が正規の紹介業者から紹介を受けた人だけにビザを与えるというようにすれば簡単に解決できる問題だ。ということは日本政府は、表立っては決して認めないだろうが、知っていてこの問題を放置していることになる。

さらに学校であるはずの日本語学校が「系列の病院」を持っていることが怪しい。正規の賃金は支払っているかもしれないが、いろいろな名目で天引きしているところから「最初から安い賃金で労働者を輸入して、その最低賃金さえも支払うつもりがなかった」ことがわかる。

先に述べたように、政府もこのような実態を把握しているはずで「知らなかった」とは言えないと思うのだが、介護業で人出が足りず、満足な給料も支払えないことを知っているのだろう。

つまり、三者がお互いに目に見えないトラップを作ることで、海外の有望でやる気のある若者を惹きつけているという実態がある。だが、彼らの間に直接の関係は見えないので、誰も責任を取らずに済むのである。

最初に述べたように、旧来の奴隷は所有者が奴隷の生存に責任を持っていた。しかし、今回の場合隷属的労働をさせても、奴隷の所有者はいないので誰も責任を取らなくて済む。つまり、現代の隷属的労働の方が罪が重いのだが、この人は自発的に来たのだから奴隷ではないと「切断処理」してしまうと、一切の問題を考えずに済んでしまうということになる。

同じことは慰安婦についても言える。慰安婦を集めたのは現地のブローカーだったのかもしれない。だが、だからといって軍が女性を使役したことが「問題がなかった」という証明にはならない。彼女たちは国でも差別されることになったのだが、これも日本軍がやったことではない。しかし、女性にとっては環境全体が問題であり、その原因を作ったのは戦争だ。

このように他人の人権を犠牲にして社会を維持する側には罪悪感が生まれるので、それを巧妙に隠蔽しようとする「智恵」が働く。だが、この「智恵」は内輪のものであり、世界的には通用しない。このズレが問題になりつつある。技能実習制度も研修生を隷属させているという懸念があるそうだ。日経BPは次のように伝える。技能実習制度もブローカーが暗躍して日本語学校と同じような状況にある。重要なのは政府がこれを知っているという点である。

 厚労省による実習生の労働状況の調査によれば、2016年、監督指導した5672事業所のうち7割に当たる4004事業所で労働基準関係法違反が見つかった。時間外労働が1カ月130時間を超える例や、月5万~6万円程度の低賃金で雇用して時間外労働に時給300円ほどしか払わない例も散見された。

「最大の問題は実習生が不満を言えない隷属した状況下に置かれていること」と、自由人権協会の理事、旗手明氏は指摘する。彼らは自国の送り出し機関に保証金を払い、ブローカーである監理団体の仲介で企業に実習に来る。住居費などを天引きされ、手元にほとんどお金が残らない例や、1部屋に3~5人押し込められる例もあったという。しかし「不満を言えば本国へ強制帰国させられ、保証金が戻らないばかりか、違約金を払わされることを恐れて意見を言えない」と旗手氏は指摘する。

この記事から海外ブローカーが日本にとって都合が良い存在であるということが見えてくる。つまり、彼らはすでに借金まみれになっている。つまり、最低賃金以下で働いている人は家族を人質に取られているのである。だから甘んじて「自発的に」隷属下に置かれるのだが、決して雇用者が「手を汚したわけ」ではない。研修生や日本語学校の学生は、国内の雇用者からは「進んでこの状態になった」人であり自分たちが「そうしたわけではない」という安心感が得られるということになる。だからブローカーは放置されているのだ。

このような状態を把握していながら厚生労働省は次のように言っている。

外国人技能実習制度は、我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力することを目的としております。

だが、冒頭の日経BPの記事はこのように指摘している。

こうした日本の人権問題に世界も懸念を示している。米国務省が2017年6月に発表した人身取引報告書は、日本の外国人技能実習制度が強制労働の温床になっていると指摘し、日本をこの人権問題における先進的な第1グループの国群から外した。

安倍政権が嘘をついて法案を通すことが問題になっている。これは内輪ではうまく行くのだが、海外には通用しない。だから日本と同じような調子で人を使うと、海外では「人権侵害だ」として訴えられたり、その製品の不買につながるリスクがあるということになる。

前回、韓国が海外資本を受け入れるためにワークライフバランスの確保に取り組み始めたという事例を紹介したが、日本は逆に今ある企業環境を守るために人権侵害の道を目指しているということになる。海外から資本を受け入れる必要がないので資本家を説得する必要もなく、従って人権侵害を是正する機運も出てこないという構造がある。

奴隷労働を許容しているということになる。さらに民主党政権時代の3年間にもこの制度に対する見直しがあったという話は聞かないので、野党も含めて加担していると考えて良いだろう。そして外国人に向いた「隷属的労働を許容すべき」という機運は、日本人労働者にも向かう。過労死が増え、成果主義で学校の予算を削るなどの動きが出ている。ところがいったん内向きの社会ができるとそれが是正できなくなってしまうのである。

我々は安倍政権を許容することでこの隷属的労働を許容している。一人ひとりが「これはいけない」と考えて変わってゆくしか、改善の道はない。ところが、いざ声をあげてみると「常識的な」人たちが「こんなのは奴隷労働とはいえず大げさに騒ぎすぎだ」と「善意」を装って近づいてくるのである。

今回一番印象に残ったのは「日本はまだ奴隷労働に依存しておらず、今後この状態が数年間続いてから騒げばいいじゃないか」というほのめかしだった。多分、日中戦争も「これくらいはいいじゃないか」というズレが徐々に拡大化して泥沼に陥ったのだろうと思う。現在でも同じようなことが起きているということになる。

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