面白いニュースがあった。石破茂総裁候補が「正直・公正」というスローガンを封印するかもしれないと言ったそうだ。党内で「今の総裁に批判的である」という批判がでたからだそうだ。
「正直、公正」は、学校法人「森友学園」「加計学園」の問題を念頭に石破氏が安倍晋三首相(63)の政治姿勢を批判したと受け止められている。しかし、自民党内では石破氏を支持する参院竹下派からも「個人的な攻撃には違和感がある」(吉田博美参院幹事長)という不満が出ていた。
だが、立ち止まって考えてみると「受け止められている」だけで、安倍首相を批判したものではない。にもかかわらず安倍首相が想起されており批判だと見なされてしまうという点にこの記事の真の考察点がある。
第一に自民党の中でさえ「安倍首相は嘘つきである」という認識が広まっており「正直」といっただけで首相批判が想起されてしまうということだ。このような組織でガバナンスが効くはずはない。自民党の中には嘘が蔓延し内部から崩壊することになるだろう。
次に、自分の内心に従って良心的な政治をするという当たり前のことですら自民党では「忖度」が必要ということだ。つまり、自民党はそれほど萎縮しているということである。
さらに、自民党の政治は支持されていると考えている野党が自民党に擦り寄ろうという気配もある。先日も玉木雄一郎という立憲民主党の議員が「老人に最低賃金は当てはめるべきではない」という極論を述べてネットで袋叩きにあった。長谷川豊という維新の候補者が暴論を振りかざすのも杉田水脈議員の「成功体験」を念頭に置いているのではないかと思う。これも彼らが「自民党のデタラメな政治に擦り寄りたい」という気持ちの表れなのなのだろう。
自民党の萎縮は「この先国が衰退してゆくであろうから、自分たちは今の政権にしがみついていなければならない」という恐怖心から来ているのだろう。自民党のガバナンスが内部から崩壊しても政権にい続けるとすれば、日本の有権者の多くがもはや政治になんら関心を持っていないか、嘘に依存しなければ維持可能ではないと考えているからなのだということになる。
こうした萎縮したマインドが蔓延した国で意欲にみちた経済運営ができるはずはない。その意味では今度の自民党の党首選はなんらかの意味での「最後の自民党総裁選挙」になるのかもしれない。