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サマータイムはなぜ検討さえしてはいけないのか

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この話を書いた後で、韓国でもオリンピック時にサマータイムを導入したという話を読んだ。アメリカのテレビに高く売り込むためには時差を調整しなければならなかったということである。記事は忖度して「今回と事情が異なっている」としているが、もし日本もこれに学んだとしたら、自分たちの利益のために国の経済を犠牲にしようとしたことになる。まさに亡国のオリンピックである。

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また、この議論とは関係なしにヨーロッパはサマータイムの廃止に向けて動き出した。公共を私物化したい人たちが、世界の潮流から遅れて過去にしがみついているということがまた一つ明らかになったといえるだろう。


オリンピックのマラソンが暑すぎるので、サマータイムを導入したい。ついては国会で審議するように安倍首相が依頼したという話を産経新聞が伝えた。森喜朗会長が乗り気で安倍政権が積極的に導入したいのだが、国民生活に直結するので議員立法で行きたいと言っている。だが、これは検討すらするべきではないと思う。以下理由を述べる。

サマータイムをやってはいけない理由は幾つか考えられる。巷では時間を切り替えると健康に問題があるからいけないとか、中緯度帯では意味がないとか、経済効果がないからいけないという理由が挙げられている。確かにそうかもしれないのだが、これは検討しなくても良いと思う。

数年間サマータイムのあるカリフォルニアで生活したことがある。ロスアンジェルスは日本と同じ中緯度帯なので「サマータイムは高緯度帯でなければ意味がない」とは思わない。カリフォルニアでは4月から10月くらいまでがサマータイムだったと思うのだが、そのうちなれるので「早起きしている」という感覚はなくなる。だから、体調が崩れるということもなかった。面倒なのは日本との時差の計算くらいだった。

やらない理由を探すといくらでも出てくるのだが、効果があることが説明できるならやればいいのだ。有給労働力に仕事が増えればGDPが押し上げられるという効果もあるだろう。

問題はコンピュータだが、OSレベルでは問題がないと思う。時計は自動で合わせているはずなのでタイムサーバーを書き換えればそれで済んでしまう話なのではないかと思うのだ。Apple製のパソコンやスマホだとAppleが運営しているタイムサーバーから定期的に時間をもらっている。サマータイムを導入している地域は多いのでパッチレベルの修正で済むはずである。

ただ、業務システムはそれではすまないだろう。膨大な書き換えが必要になるはずだ。影響の洗い出しをしなければならない。産経新聞の記事では経済効果が7000億円にのぼるという数字が出ていたが、システムの書き換えで需要があるはずなので、これがGDPを押し上げるはずである。これは壮大な公共事業のようなものであり、最悪経済的な合理性がなくてもその仕事自体に経済効果がある。

ただし、これは余剰労働力が公共事業を求めているという前提に立っての話である。ところが、現在はそのような状態にはないのではないかと思う。みな忙しく働いている。中には子供を産む職員がいるというだけで「現場が崩壊してしまう」という業界もあるようだ。つまり、忙しいのにそれに見合ったお金をもらっていないというのが問題なのだ。そんな中で余剰の仕事を回す余裕はない。よく考えてみるとコンピュータシステムの元号すら入れ替えらえないという企業もあるようだ。官庁ですら間に合わないようで、新しい元号と古い元号を「混ぜて使え」という通達が出ている。

この通達はもひどいものである。普通は世の中が全体で新しい元号に変わるので「相手がどうするのか」を気にする必要はない。ところが今回は影響を全て洗い出し「自分たちで」調整する必要がある。つまり、最悪二つの元号が来ても間違えずに対応できるようにしなければならないのである。

この「自分たちでやれ」が安倍政権の最大の特徴である。つまり、彼らは自分たちでやりたいことだけはいうが、後のことは現場でよろしく考えろ、ただし間違うなよと言っているのである。

賃金も増えないし、調整は増える。トップの人たちはやりたいことだけをいうが、かといって責任も全て押し付けられる。これが現在の日本を覆っている問題である。

最近、オリンピックでは熱中症で死者が出るなどと言われているが、その前にIT業界で過労死が増えるかもしれない。

西洋流の民主主義社会でもカレンダーの制定は重要な役割を持っていた。しかし、東洋型の官僚システムにおける暦の位置付けはもっと高い。統治者たちは文書の意味と暦を支配することで「統治」の意思を示してきた。ところが、日本ではすでにこれが崩壊している。安倍政権に入ってから文章を書き換えたり、文書を改竄することによって統治の失敗をごまかすことが増えている。安倍首相が直接やったわけではないのだが、他の人に矛盾の処理を押し付けているのである。

サマータイムの話は森元首相のちょっとした思いつきなのだろう。森さんの顔を潰したくない安倍首相はこれを受けたのだが、どんな影響があるのかを考えなかったのだろう。かといって、自分では責任を負いたくないので、国会議員に検討から法案の調整までを丸投げした。

国会議員はなぜサマータイムを導入しなければならないかを説明できない。自分たちの思いつきではないからだ。すでに朝早くなる競技もあるが、夕方がさらに暑くなるという「言われてみればその通り」という懸念が出ている。だが、国会議員はそれに答えることができない。当然、非難の矛先は安倍首相に向かうだろうが、首相(三選されればのことだが)は「議員立法なので」と言って逃げるのではないだろうか。このようなことはすでになんども起きており、国会のリソースを消耗させている。

サマータイム自体は別にそれほど難しいプロジェクトではないと思う。やっている国はいくらでもあるからである。ただし「話の持って行き方」には大きな問題がある。学級会なら「もっと考えてからもってこい」と先生に怒られるレベルの話だし、会社の新人が同じことをやったら「思いつきでものをいうな」と小一時間説教を食らうことになるはずである。

ただそれを許しているのは実は官僚機構と国民の方かもしれない。ご無理ごもっともと言っていうことを効きすぎた。有権者の間に「従業員気分」があるからだろう。一応主権者なので「株主気分」で政治を監視すべきだと思う。つまり「もっと考えてからもってこい」と言って棄却していいレベルの話なのである。

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Comments

“サマータイムはなぜ検討さえしてはいけないのか” への1件のコメント

  1. […] 今回のサマータイムの件ではコメント欄に一つクレームが入っている。前回書いたのは、欧米でもやっているサマータイムなのだから日本でやってやれないことはないが、話の持ってき方がいい加減なので相手にすべきではないというものだ。つまり、総論としてはサマータイムに反対している。ところが、クレームを書いてきた人は「そもそもサマータイムというのは悪い制度なのだから、欧米でもやっていると引き合い煮出すこと自体がグローバルマチョイズムだ」と言っている。 […]