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私たちは無力ではありません

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久しぶりに力のある言葉を聞いた。

平和をつくることは、難しいことではありません。
私たちは無力ではないのです。
平和への思いを折り鶴に込めて、世界の人々へ届けます。
73年前の事実を、被爆者の思いを、
私たちが学んで心に感じたことを、伝える伝承者になります。

これは広島市の原爆記念式典で子供達が伝える「平和への誓い」の一部である。全文は広島市のウェブサイトで読める。

核兵器に対しては日本の立ち位置は難しい。日本は世界の中でもっとも多くの核兵器保有国に囲まれた地域である。ロシア、中国、アメリカという隣接する国が核兵器を持ち北朝鮮も核兵器を持ちつつあるからだ。しかし歴史的経緯から自前で軍隊や核爆弾を持つことに対する懸念も強い。このため非核三原則を掲げつつも現実問題としては自分たちを守るための核兵器をこっそり持ちたいと考えてしまう。そのため安倍首相のスピーチは表向きは核のない世界を目指すとなっているもののとても空虚なものになっている。

ところが広島の子供の視点から見るとこれは単純なことである。つまり核爆弾は悲惨であり、それを知っているのだからすぐにやめなければならない。

このスピーチの草稿をを子供が作ったのかどうかはわからないのだが「私たちは無力ではない」という言葉は力強い。彼らは実際に核兵器について知っている人たちから話を聞いていて、今でもその活動を続けている。そして未来にも「伝承者になります」と宣言をしている。こうした実際の行動に裏打ちされているからこそ「自分たちは無力ではない」ということが明確に言えるのだろう。ただ思っているだけではダメで、行動しなければならない。しかし行動するだけでもダメで、自分たちの信念を周りに伝えなければならないのである。

この言葉が真剣に響いた理由はいくつかある。大人たちの発言が言い訳ばかりであり内容が空疎であるということがその一つであるのは間違いない。

一方、主張が聞き入れらないと感じた人も「自分たちは弱者な存在であるから守ってもらわなければならない」と感じることがある。世間からは受け入れられないのではないかという疑いの気持ちを持ってしまうからだ。同性愛者が生産性がないとか、女性医師は制限されても仕方がないとか、少数民族を差別してもそれは言論の自由であるとか、政府は円滑に政治を進めるためなら嘘をついても構わないというような主張が溢れているので無力感を感じるのは無理もない。

原子爆弾の被害を受けた人たちはそれ以上の苦痛を感じてきたはずである。放射線の影響で遺伝子に異常があり子供に影響するかもしれないと結婚差別を受けた人もいるだろうし、体力に問題があるのではないかという理由で就職差別を受けた人もいるだろう。それでも、広島や長崎の人たちは「核兵器はなくならなければならない」という信念と勇気から声をあげる人がいた。そしてその意思を受け継いでいる人もたくさんいて体験を後世に伝える活動をする。だから我々はそうした勇気が「無力ではなかった」ということを知っているのである。

私たちが困難に直面した時、すべての人が声をあげたり、感情的に戦いに身を投じるべきだとは思わない。それぞれに社会的な立場があり、できることも人によって違っているだろう。しかし、どんな立場にあるにせよ「私たちは無力ではなく」自分たちは声をあげる正当な権利があるのだということを認識し、さらにそれを他人に積極的に伝えてゆくということはとても大切なのではないかと思った。

一つだけ恥ずかしいなと思うのは、こういう当たり前のことを子供から聞くまで気がつけなかったということである。今回スピーチをした二人は小学校六年生なのだそうだ。

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