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改竄政府が招いた人災としての豪雨災害

今回のお話は「改竄政府が豪雨を人災にしたと」いうものである。安倍政権批判をしている人には嬉しい話だが、なんでも政権批判に結びつけるなと反発を覚える人もいるかもしれない。

気象庁が未曾有の災害が予想されるという記者会見を行い警報を発したが、自民党の議員たちは総裁選を見据えたと思われる飲み会にうつつを抜かしていたというのが今回起きたことである。

また京都では別の安倍首相に近い議員が支持者たちを集めたパーティーを開いていた。雨がひどかったのは認識していたようだが「山は越えた」と情報発信してしまったようである。この議員はすでにこの活動報告をネットから削除してしまい今は見ることができない。

テレビでも取り上げられたようだが、冷笑的無気力症に罹患している日本の有権者がこれをどう捉えるかはよくわからない。つまり安倍政権は何事もなかったように三選される可能性もあるし、これが政権批判につながる可能性もあるということになる。現実的には自民党の中でもっとましな総裁が選ばれてくれないかと願う人が多いのではないかと思う。選挙によらない政権交代ということになり、この国で民主主義がそれほど支持されいないことがわかる。日本人は独裁なき独裁政権を求めているのである。

これを見て「有事に酒盛りとは何事だ」と批判する声がある。職場でのコミュニケーションの一環としてアルコールを利用するのは悪いことだとは思わない。外資系だったらもっとましな料理が出てくるのにと思うくらいのものである。米系外資と日本の職場の違いは「へべれけになるまで」酔わないということである。日本人は言葉を信頼しないので、酔っ払って本心が出るまで飲まなければ「腹は分かり合えない」と感じることが多いが、西洋文化では自分のことは言葉で説明するのでへべれけになるまで酔う必要がない。お酒は単なる楽しみである。

これが批判されている第一の原因はこのあたりにありそうだ。つまり、これが「内輪の会」だったことが批判されているのだろう。仲間内で理性を失うまで飲んでこそはじめて腹がわかるということだから、それは外には腹の中は見せないということを意味する。日本人としては西日本の人が苦労しているのに永田町は内輪の会かと思ってしまうのだ。

だが、こうした表面的な批判の裏で忘れ去られていることがあると思う。それは危機情報のエスカレーションである。今回は日中に気象庁から「これは異常なんですよ」というシグナルが出ており、それがテレビを通じて世間一般にも周知されていた。逃げ遅れた方もいらっしゃるのだが、前回(九州でも広島でも以前に被害を受けた地域がある)の教訓を踏まえて逃げた方もいらっしゃるはずだ。つまり、わかっている人は逃げることができたが、誰かから注意喚起をしてもらえるのを待っていた人もいるということになる。

こうした声は痛覚のようなものであり、それが脳に伝わって行動が起こるべきだ。痛いと感じたら手を引っ込めて逃げ出すというような行動である。これが起こらなかったのはなぜかというのが今回の疑問である。当座出てくる答えは、普段から痛みの信号は出ているがそれを遮断しているからだろうということになる。つまり、慢性的な痛みは発生しているがそれを薬で押さえている状態なのではないだろうか。その薬が何かという疑問が出てくる。それが「嘘」なのだ。

こうしたことは企業でも起こる。製造業にとって事故情報は重要なのですぐさまトップにあげられる。中にはトップが巡回をして異常をいち早く感じ取ろうと考えることもある。だが、不祥事が横行するような企業ではこれがなくなる。トップが面倒な仕事を嫌がるということもあるのだろうし、中間管理職が機嫌を損ねるのを恐れて上に情報をあげなくなったりするからだ。さらに経営幹部が無理な目標を現場に与えると不正を行ってでもそれを遂行しようとする場合もある。このようにして組織の神経系は様々な要因から麻痺してゆく。ここから「何が嘘を招いているのか」という問題が出てくるのだが、それは企業によって違ってくる。

ここから言えるのは「文章改竄したから西日本に死者が出た」という因果関係ではないということでもある。情報がうまく伝達されない組織風土が出来上がっておりそれが嘘を招いている。が病変を取り除いていないので嘘が組織に蔓延しそれが神経を麻痺させているのである。

現在の政府では情報をなくしたり故意に忘れたりすることで都合の悪い情報が上に上がらない仕組みになっている。だれが嘘をついているのか、誰がつかせているのかということに意味はない。いずれにしても嘘を放置し続けたことで最終的には「災害予想が出ているのに何も知らずに酒盛り」につながるのである。

だが、すでに嘘で酩酊状態になっている政府はこれを重く受け止めきれていない。ある政権幹部は「政府(つまり気象庁のこと)が通達を出しているのに、自治体は何をしていたんだ」とほのめかすような発言をしたそうだ。誰かを指差して罪をなすりつける悪癖が定着しており、今回もそれで乗り切れると思ったのだろう。

今回の気象庁のアラートは政権幹部には伝わらなかった。気象災害が起こる可能性があったがそんな面倒なことを官邸に持ち込めば怒られると感じた人が多かったのだろう。「何か起こると大変だから準備をしておこう」と自分の頭で考える人はいなかったようだ。

気象庁が発信した痛みのサインは多くの人を救っただろう。だが、救われなかった人たちも大勢いた。今回見た中で一番ショッキングだったのは逃げ遅れた妻と子供を探す父親の姿だった。結局取材の途中で自分が買い与えたおもちゃが見つかり、続いて妻の遺体が発見される。また別のケースでは「これくらいの雨で山が崩れるはずはない」と主張する父親に対して「みんな逃げているんだから逃げなければダメだ」と声を荒げて諭す息子の映像が流された。つまり、最初から政権が「いつもとは違うから念には念を入れて供えよ」というメッセージを出していれば軽減されていた可能性があり、このことを政権幹部は重く受け止める必要がある。重要なのはこれからもこうしたことが次から次へと起こるであろうということである。基本のマインドセットは変わっていないからである。

確かに「終わったことをいまさら言っても仕方がない」という人は多いだろうし、それを政権批判につなげることにうんざりしている人も多いと思うのだが、ここはあえてこの件について指摘しておきたい。なぜならば、私たちはこれからもこのような姿をしばらくは見ることになるだろうからだ。これを取り除くためには病変である政権幹部を入れ替えるしかない。この国では選挙で政権を入れ替えることができない。自民党中に自浄作用があることを祈るしかないのである。

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