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こんなことになるとは思わなかった……という平和ボケした自民党幹部について考える

7月5日に開いたある自民党内部の酒盛りについて非難が高まっている。テレビは黙殺するのかと思ったのだがTBSはかなり長い時間をかけて批判的に取り上げていた。空気感としてはもううんざりという感じだった。

会合にはある年次の自民党議員が集まったようで、安倍首相は初参加だったという。当初は若手の会合ということだったが、年次的には中堅の人たちの集まりのようだ。片山さつき議員のTwitterには今時点でもその時の写真が掲載されている。

これについて竹下亘総務会長が「こんなことになるとは思わなかった」と釈明した。

「自身も会に参加した竹下総務会長は、「どのような非難もお受けする」とした上で、「正直言ってこれだけ凄い災害になるという予想を私自身は持っていなかった」と釈明しました。

本当にこんなことになるとは思わなかったのだろうか。酒盛りがあった日の昼間には気象庁が警戒を呼びかけている。彼らは職務に忠実にしかしパニックを起こさないようにこのことを伝えている。TBSはこの記者会見の様子を伝えるニュースをこうまとめた。こちらもパニックを引き起こさないようにという配慮をしつつも、最大限の警告をしているように見える。

気象庁が台風以外の気象現象について、事前に臨時の記者会見を行い警戒や注意を呼びかけるのは、極めて異例です。

つまり、これは予測された災害だったことになる。ただ、当事者としてはあまり悲惨さを表に出してしまうといたずらにパニックを広めかねない。「それぞれが勝手に情報を受け止めて行動する」とパニックになりかねない。ここで先んじて対応をするのが県知事であったり、総理大臣であったりといったリーダーの仕事のはずである。極論すればいつもは遊んでいてもらっても構わないがいざという時に頼りになるのがリーダーなのである。亡くなった方も大勢出ているので軽々なことは言えないが、政治のトップリーダーたちが先回りして行動してくれていれば死者は防げたのではないかとつい思ってしまう。テレビですでに報道されている通り「これくらい大丈夫」と言って逃げるのをためらった人が大勢いるのである。

ここで政府を非難することは簡単なのだが、これが何を意味しているのかということを考えたい。第一に政権の内部で何か危ないことがあった時にそれを指摘してくれる人がいなくなっているということがわかる。それは中堅の議員だったり政府の官僚だったりするのかもしれない。人事を握られており「言われたことだけしていれば良い」というマインドセットが生まれているのだろう。常々、文書改竄がどのような自体を招くのかということに興味を持っていたのだが「ああ、こういうことだったのだな」と思う。政府首脳は嫌な話は聞きたがらず「現場で処理してくれ」と常々言っているのではないだろうか。だから、この豪雨も「現場でなんとかしろ」ということだったのだろう。さらには何かあるとTwitterが騒ぎ出すので「予兆の段階」から動くのがかえって難しくなっているのかもしれない。SNSが政治家を甘やかしているのだ。

さらに有権者側の無関心も心配だ。このような事態を招いてもなお政権には一定の支持率がある。野党よりはましだと考えている人が大勢いるらしい。「政権交代」のような変化に対して恐怖心を持っているのではないかと思う。確かに心もとない対応を繰り返す民主党政権の3年間は不安だった。だが、政権交代は不安を招くと考えてその可能性を消してしまうと「今あるものでなんとか我慢しなければ」と考えるようになるのだと思う。壊れかけてスペックの落ちたパソコンを執着して使い続けるようなものである。

最後の点は、目の前で起こっている異常事態について「自分が何をできるのか」ということを考えずに自宅に帰ってしまった首相がこのまま政権に居続けることが何を意味するのかという点である。特にショッキングなのが7月7日の首相動静である。一応、午前には雨に関する情報交換はしたようだが、早々と首相公邸を引き上げて自宅に戻ってしまっている。そのあと何をしていたのかは不明である。日経新聞はこの日の夕方に次のような記事を出している。首相は時事刻々と深刻化してゆくこの状態をどのような気持ちで見たのかを考えると恐ろしい気持ちになる。

数十年に一度の大雨が西日本一帯を襲った。6日から7日にかけ気象庁が出した大雨の特別警報は福岡、広島、岐阜など最大9府県に及び、同時期に浸水や土砂崩れなどが多発。道路陥没や家屋倒壊など被害が広い範囲にわたる異例の「広域災害」の様相を呈している。停電や断水などライフラインのほか、企業活動にも影響が及んでおり、被害状況の把握や救助活動には、なお時間がかかる見通しだ。

世の中には困窮した人がたくさんおり、悲惨なニュースが毎日のように流れている。多分首相は自分が動いてこういう人を助けなければという気持ちにはならないのではないかと思う。かといって憲法改正のような首相の提唱しているアジェンダが真剣に取り上げられている様子もない。つまり首相の椅子に座り続けることだけが自己目的化しているのである。

有権者の諦めからくる政治への無関心がこのような状態を齎したのは間違いないと思うが、心ある人たちはこの冷笑的政治諦念が何をもたらすのかを目を背けずに観察する責任があるのではないかと思う。

そんな中ルモンドは面白い論評を出している。この記事は想田監督の「安倍首相は何をしても有権者から批判されないだろうことを……」というくだりが注目されているのだが、SNSの使い方に不慣れな高齢者だけが山間地に離れて住んでいる地域についても指摘している。つまり、まちづくりのあり方を変えてゆく議論を住民発で始めなければならない状態になっていると言っているのである。だが日本人はそもそも「変わる」ことを恐れているので、天を仰いで過疎化した地域を嘆くばかりだ。

つまり外国の目は意外と冷静で、日本はどうにかして変わらなければならないのですよと指摘されているということになる。もっとも、こうした指摘は10年以上前からあった。労働力の不足が深刻化するから移民を受け入れなければならない日が来るといわれていたののだ。だが、日本人はこれまで何もしてこなかった。

政治的無力感は後手後手の対応をうみ、それがまた政治的無力感を増幅するというかなりの悪循環に陥っているように思える。

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