ざっくり解説 時々深掘り

インセンティブはやる気を殺すことがある

政治は刻一刻とある「罠」に近づきつつある。
何かを起爆剤にして景気を浮揚させる。しかし、それは長くは続かない。まるで麻薬が切れるようにして効果がなくなり、後には苦痛が残る。この麻薬は、一般的にインセンティブと呼ばれる。短期的な効果はあるが長続きしない。
インセンティブによってぼろぼろにされた産業がある。それはテレビだ。ここで分かったのは、インセンティブは「買いたい気持ち」を破壊してしまうということだ。あの政策は単なる需要のタイムシフトではなかった。
憲法改正論者は、国民にやる気がないのは憲法が原因だと考えたらしい。権利ばかり主張するのではなく義務について考えようと主張する。考えてみれば分かる事だが「国家が強制労働させて経済が発展する」などということは考えにくい。
最悪なのは、実際に国民がこうした考え方を受け入れてしまう状況だろう。最低賃金で仕事をあてがってもらえれば、少なくとも自分が何をやりたいのか考えなくてもすむ。このようにして作られた労働者は、人生に大した希望も持たないだろうし、職場をより良くするために貢献したりはしないだろう。怒られれば働くが、それ以上のことはしない。こうした労働環境で、生産性が上がったり、国際競争力の高い産業が育成できるとは考えにくい。
考えれば、こうした状況は既に蔓延している。医療保険分野で働く人たちの給与は政府の福祉支出に支配されている。また、企業が最低賃金で労働者を働かせることができるのは、労働者のやる気に依存しない経済圏が形成されているからだ。正社員を育成して会社への忠誠心を演出する必要もない。多くの仕事はマニュアル化された単純労働に置き換えることができるからだ。
生活保護の代わりに労務提供を求めたり、最低賃金を撤廃しようという主張は、結局の所、このようなトレンドに沿った議論だ。
この行き着く先を探していたところ、パチンコ店を見つけた。労働がインセンティブによって大きく支配されている現場だ。
郊外には大型のパチンコ店ができていて、駐車場は埋め尽くされている。中にはブランドショップ(とはいえ、量産されたものが多いのだが)とレストラン(とはいえ、食べ放題なのだが)が設置されていて、ポイントでこうした楽しみを買う事ができる。客は設定されたイベントに沿って興奮し玉を打ち続けている。この作業は遊びというよりは労働に似ている。
ここでより多くの客を誘致するためには、イベントを工夫するか、賞品の交換率を上げてやるしかない。つまり外部からのインセンティブが効果的な遊びなのだ。客は自ら工夫してパチンコを面白いものにしたりはしないだろうし、お互いに調整して遊びを面白くしたりすることはない。つまり、パチンコから新しい遊びは生まれない。
さらに、ここでの売上げを増やすためには2つの通路がある。1つは出玉(景気)を良くする事であり、もう1つは景品交換率(つまり価格)を下げることだ。まったくの偶然かもしれないが、現在の消費事情に似ている。商品の魅力を増やしても、消費が上がったりはしないのだ。また、出玉を良くするために客が努力することはない。彼らは決まった労働(レバーを操作する)ことをやっているだけであり、景気を良くするために工夫することもない。
パチンコと経済は違うのではないかという人もいるだろう。パチンコは客からお金を取ってパチンコ屋を維持している。しかし考えてみると分かるのだが、国も国民から税金を取っている。海外交易によって稼ぐ経済では、パチンコ屋と国の経営は相似ではないのだが、政府支出と年金が経済を維持する状態では相似する。
「操作」された状態では、人々はインセンティブ以上の事はやらなくなる。そもそもパチンコしかない状態で「自発的な遊びもあるはずだ」と考えるのは空しい。
ダニエル・ピンクは、機械的作業の場合、インセンティブは有効だが、創造的な作業(これを発見的作業と呼んでいる)にはあまり効果がないと言っている。作業の質は従事者によって異なり、全ての人が創造的な作業を楽しめるわけではなく、機械的作業が好きな人もいる。
この分析では「遊びと仕事(もしくは経済活動)」が倒置されているという批判があるかもしれない。しかし、この倒置こそが、本質なのだと考えられる。もはや「機械的作業」ですらなくなっているわけである。


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