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元号システムの崩壊は政府の統治能力の崩壊である

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まもなく平成が終わるのだが、政府の内部で元号が切り替えられないという問題が起きているようだ。朝日新聞が伝えた記事が広まっており「もう平成のままでいいよ」とか「このまま元号を使うのをやめてはどうか」などという意見が出ている。これほどまでに嫌われながらも廃止の議論がでないという稀有な仕組みと言える。

ただ、その一方でもう一つの問題が見過ごされている。それはコンピュータインフラの老朽化である。文書管理ができないということを意味している。日本の伝統ではこれは統治の完全な失敗を意味している。

元号を管理するということは歴史を管理するということだ。日本が中国の暦から切り離されて独自の暦を持つというのは中華圏からの離脱を意味している。最初の元号は大化で645年のことだそうである。そしてその暦を元にして文書を管理するということで、日本という文明・文化圏を天皇が支配しているという自己認識が作られていった。その後、天皇の地位は相対的に低下するが、官位の権威付けと時間の支配について挑戦する権力者は現れなかった。今回の政府は「それができません」と言っているのだ。

朝日新聞は「コンピュータシステムの利用が広がっており影響が予測できないため」という曖昧な結論に落とし込んでいる。コンピュータに詳しくない人は「プログラムって大変なんだろうなあ」くらいにしか思わないのだろうが、ちょっと詳しい人は「そもそも日付を変更する必要などないはずだ」と考えている。そこに疑問が生まれるはずだから、書いている人はあまりコンピュータに詳しくないのだろう。

最近のコンピュータは日付を秒で管理している。例えばUNIXでは1970年1月1日からの秒数を数えており2038年までは正しく日付を計算できるそうである。2038年には問題が起こるのだが、システム全体が影響を受けるのでベンダーでなんらかの処理をするのだろう。これを「日付型」と呼び、通常の数字ではない。

最初この話を聞いたときは内部キーを西暦にすれば良いのではないかと思ったのだが、実際には日付型を使っていればこうした問題は起こりえない。そこでコンピュータに詳しい人は「役所がサボっているのだろう」と思うのだろう。

ところがバブル期にコンピュータを学んだ人はうっすらと「昔は日付型なんか習わなかったなあ」という記憶を持っているのではないかと思う。かつては日付型というデータの持ち方はなく例えばCOBOLなどではテキストで管理するのが一般的だった。コンピュータに詳しくない人にはわかりにくいが、これはExcelで書式化された文書をワープロで置き換えるようなものだ。

しかし、現役のプログラマは「COBOLのような古いシステムが残っているはずがない」と認識する。COBOLはかなり古びた帳票管理システムであり、もう新しい言語に完全に入れ替わっていてもよいはずのものである。つまり「今時ワープロで文書管理している人などいないだろう」というようなものなのだ。だが「日付が切り替えられない」という問題の裏にはCOBOLを含むレガシーシステムの存在があるのではないかと思われる。

ここから浮かび上がる問題は、そもそもレガシーシステムがどれくらい広がっているかという調査がなく、問題のそのものも認識されていないということだろう。新聞記者さえ疑問に思わないのだから不勉強で情報を報道に頼っている政治家が問題を認知するはずはない。

COBOLのようなレガシーシステムが残っているかもしれないというということは、サポートするハードウェアと技術者が入手できないという問題に直結する。つまり、変更そのものができない可能性があるのだ。全てをリプレイスすることは可能なのだろうが、そもそもどれくらい広がっているのかがわからない。

さらに、厚生労働省はコンピュータシステムが苦手だ。消えた年金記録問題の時には「誕生日が明確でないので丸めた」結果誕生日が曖昧になったり、漢字を一括してカナに置き換えた挙句、その仕様をなくしてしまったという問題を起こした。ASCIIに当時の問題点が列挙されているのだが、原因はいくつかある。

  1. 社会保険庁に担当者がおらず、調整権限のないSIerが代わりにシステム担当者として機能していた。
  2. 業務にもコンピュータシステムに載せられない問題があった。例えば重複する年金手帳番号があったようでキーにできなかった。しかし、SIerはこれを調整できないので目をつぶったままシステムを作ってしまった。
  3. さらにデータにも問題があることがわかったが、後にはひけないのでスケジュール通りに作業を調整し、予想通りに失敗した。

さらに「厚生労働省はコンピュータが扱えないだろうから」という理由で総務省にやらせた結果「監督しているSIerを悪く描かれては構わない」ということになり、うやむやな報告書が作られたようだ。記事には(笑)と書かれているが笑い事ではない。

芳賀氏:おそらくね、これは本来厚労省の主管なんです。ところが社会保険庁は厚労省ですから、厚労省に検証をやらせては、身内に甘くなってだめだろうっていうんで、総務省がやったんです。そうするとたしかに社会保険庁に対しては厳しくなった、その代わりSIrに甘くなった。総務省の身内ですから(笑)。

セクショナリズムが蔓延する状態を安倍政権は改善できないだろう。強引な官邸主導で省庁間のバランスが崩れており「協力して作業する」ようなリーダーシップを発揮できないからだ。さらに首相は難しいことを部下に丸投げしてしまう悪癖があり、問題が起これば省庁間の指の差し合いや「資料の発掘」によるリーク合戦が起こる可能性もある。

そこで無理に本番を実行してしまうと、また消えた年金問題と同じようなことが起こるかもしれないので、最終的なゴーサインが出せなくなれば永久に平成が使い続けられることになるだろう。

実は朝日新聞が「コンピュターシステムが社会に広まっているので」という政府の言い分をそのまま垂れ流していることも問題である。政治部の新聞記者は霞ヶ関のゴタゴタした人間関係には詳しくても、コンピュータの難しいことはわからない可能性が高い。

モリカケ問題ばかりをやっているべきではないという気持ちもわかるのだが、実際にはこの問題を清算しないと次に進めない。しかし安倍首相と周囲の人たちはそもそも何が問題なのかよくわかっていないようだ。さらにはコンピュータシステムのカレンダーの切り替えができないのに「電子決済システムを使って意思決定過程を透明化する」などと言っている。ここまでくるとうわ言のように鹿思えない。

このままでは、平成は永久に使い続けられるかもしれない。しかしその背後にある本当の問題はコンピュータシステムをまともに扱えないという官僚システムの崩壊であり、これは官僚が文字を書けなくなっているのと同じような意味合いを持っている。調整どころか事務処理もまともにできなくなっているのだ。

元号システムの目的は政府機関が文書管理につかう暦を支配することで民を統治するという点にある。実は日本が持っていたこの統治の仕組みそのものが崩壊の危機を迎えていると言える。

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