ビートたけしがオフィス北野から独立したことについて弟子の何人かがコメントを出した。署名がたけし軍団一同となっている。どうにもよくわからない。文章には経緯はたくさん書かれているのだが「弟子たちがどうしたいのか」という要求が書かれていないのが原因だと思った。
日本人は要求を先に書かずに経緯を書く傾向がある。これは自分の欲求を人に伝えるということがいけないことだという文化的なバイアスがあるうえに、外からの裁定者に「どちらが悪いのか」判断して欲しいと思う気持ちが強いからだろう。「俺たちは私利私欲のためにやっているんじゃない」が「相手が間違っていることを証明わかってもらいたい」というわけなのだろう。極めて村落的な態度なのだが、これがこの騒動を複雑なものにしている。
この独立騒動はこれまで見てきた村落共同体では解析できそうにない。この件は村と村の際で起きている問題ではなく裏方とタレントという問題だからである。無理やり当てはめると「タレント村」と「スタッフ村」が分かれているということになるのだが、どちらの村も同じ収益源を当てにしており、厳密には村とはいえない。
ビートたけしは浅草の古い演芸の世界で育ったので「くらしの成り立たない芸人を囲う」という文化を持っているのだが、多分森社長も「食べてはいけないが将来有望な若手を囲う」という文化の中で育ったのではないだろうか。演者側の弟子たちはそれが容認できなかったのだろう。つまり誰もが「誰かのため」という大義に自分の欲求を混ぜ込んでいる可能性がある。
もしこうした企業の内紛を経験している人であれば痛感していると思うのだが、こうした内紛には時間をさく価値がない。どっちもどっちなのだから、大抵は誰の責任かわからずにうやむやに終わってしまう。会社のガバナンス上勝つのは経営者なのだが、従業員が収益の元になっているような非設備投資型の企業であれば収益を失ってしまう可能性が多い。さらにそもそも経営者というのは「人を働かせてお金をもらっても罪悪感を抱かない」人たちなので価値観のすり合わせも難しい。さらに、芸人たちは法的な手続きや弁護士との付き合いもうまいとはいえないはずだ。
だから、彼らには二つの選択肢がある。誰かが芸人を諦めてマネジメントに徹するか別のマネジメントを探すことである。
その意味ではビートたけしの決断は正しかったと思う。つまり、自分の名前で稼げるのであれば整理するものを整理して別の会社に移るなり独立してしまえばよいのだ。「反省」を求めていろいろ言ってみてもしかたがないと判断したとすればビートたけしの判断は正しい。
ということで、たけし軍団の人たちは自分たちが自分の名前で稼ぐことができるのか、それとも事務所に依存しないとやって行きたいのかを考えた方が良いと思う。今回の件で驚いたのは彼らがすでに60歳代という年齢に差し掛かっていたということだ。もう師匠と呼ばれてもよいような年齢だ。弟子というステータスに居心地が良かったことはわかるのだが、もう少し大人になってもよかったのではないだろうか。
吉本興行などの大手の場合には独立すると圧力をかけられたりするのだろうが、たけし軍団ではそのようなことは考えにくい。名前も売れているのだから自分で店を構えて、できるなら弟子をとって養ったほうが良い。ビートたけしに唯一非難されるべきところがあるとしたら「弟子システム」を継承可能なものにしなかった点なのだろうが、それを今さら言ってみたところで仕方のないことだ。ちなみに落語は弟子システムが継承可能なものになっている。立川流は独立して一家を構えたのだが、弟子たちはそれぞれ独立して自前で何人か弟子を育成しているようだ。落語は継承芸なのでこうした仕組みにある程度の合理性があるが、お笑いの場合に継承されるものはあまりないのだから近代的なプロダクションに移行すべきだろう。
このニュースが今後盛り上がるかはわからないのだが、ワイドショーの扱いはそれほど大きくなかった。ビートたけしの不倫というような派手な要素があまりない上に、ビッグネームであるビートたけしをセンセーショナル扱うことににテレビ局は躊躇しているようだ。
いずれにせよ、我々とは関係がなさそうなニュースなのだが、例えばソフトウェアハウスとかデザイナーの事務所など「人がそのまま資本」になっているところで働いている場合はちょっと役に立つ視点があるかもしれない。
こうした職場で働いていてフリーになれるのなら、企業の内紛に参加しても疲れるので「もらえるものをもらったら」あとはあまり気にしない方がいい。弁護士を探して内容証明付きの郵便を出すなどの作業は慣れていないと疲れる上に、それほどの効果はない。「敵」はたいていのことは準備してから悪いことをするからである。付け焼き刃の法律知識で通用するほどマネジメントの世界は甘くない。それはデザイン会社の社長が「パソコンを操作したらデザインくらい起こせるだろう」と思うのに似ている。
急な独立騒ぎの際に問題になるのは仕掛り中の案件なのだが、会社に話した上で埒があきそうになかったらクライアントに直接事情を説明して直接契約にしてもらうか、あるいはそのプロジェクトだけを仕上げてやめた方が良いと思う。仕事を途中で投げ出したということがわかるとその噂が回り回って後で後悔することにもなりかねない。
今回の件の裏には、日本の映画界が先細っていてスタッフを常時食わせて行くだけの力のあるプロダクションがなくなっているということがあるのかもしれない。よく若い俳優が「日本の映画界は元気がない」というようなことを言っている。だから取材をすれば森社長側にもそれなりの言い分はあるということがわかるのかもしれない。だが、零細テレビ製作会社を使い倒しているテレビ局がそのような問題を取り上げるとは思えない。このニュースを見ながらそんなことを考えた。
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“ビートたけし事務所独立騒動について最初の感想” への1件のコメント
[…] ビートたけしの事務所独立騒ぎについてフォローしている。このエントリーは2本目で、1本目では「軍団はさっさと独立すべき」という論を書いた。ワイドショーでは「ビートたけしは軍団の側についた」一方で「森社長はスタッフと一緒になっている」という構図でこの騒動を分析しようとしている。しかし、この構図だと説明できないことが多い。 […]