ビートたけしの事務所独立騒ぎについてフォローしている。このエントリーは2本目で、1本目では「軍団はさっさと独立すべき」という論を書いた。ワイドショーでは「ビートたけしは軍団の側についた」一方で「森社長はスタッフと一緒になっている」という構図でこの騒動を分析しようとしている。しかし、この構図だと説明できないことが多い。
第一になぜビートたけしが弟子を連れて新しい事務所を作らずに株式を渡したのかがわからない。次に森社長が全ての従業員を再雇用を条件にして解雇した理由もわからない。
これをきちんと説明するためにはビートたけしが弟子を切り離し、また森社長もスタッフを切りはなそうとしたと考えるべきだ。つまりビートたけしはテレビ局と視聴者が考えるような形での温情は持っていないという結論が得られる。では、ビートたけしは冷たい人なのかという疑問が出てくる。この疑問を抱えたままで次に進もう。
ビートたけしが株式を譲渡したということはつまり、軍団の人たちが会社の経営権が持てるように仕向けているということになる。これも温情の一部と捉えられているが「自分でやって行きなさい」というメッセージでもある。ある意味「冷たい」態度だ。
一方で、森社長がオフィス北野に残るという選択肢は考えにくそうだ。根拠は二つある。
報道によると、森社長に興味があるのは「北野武」とその映画だけのようだ。次に週刊誌のインタビューによると「いつまで稼げるかわからないから、稼げるうちにスタッフにはお金を渡していた」と説明しているようだ。つまり事務所を立ち上げた時から「このコンテンツがいつまで収益をあげるかわからない」と考えていたことになるし、次の収益源を作って会社を永続化させようという気持ちはなかったことになる。もし次世代の収益源を作るつもりがあるなら、それに投資していたはずだからである。つまり、森社長は「老後の貯蓄」という概念は持っていたが「次世代への投資」という概念を持っていなかったということになるのだが、これは投資を嫌い貯蓄を好む日本人としては極めて当たり前でまっとうな感覚である。
つまり、オフィス北野は法的には会社だったのだが、西洋の経営者が考えるような意味での会社ではなかったということになる。継続に関する前提をGoing Concernというのだが、日本では「継続企業の前提」などと呼ばれているようだ。だが、日本語の継続企業の前提という言葉は一般化していない特殊な考え方なのだということが言える。
大企業はGoing Concernを前提にしているところが多いのだが、中小企業の場合は「この会社はワシ一代限り」と思っているところも少なくないかもしれない。日本は家業意識が強いので、家業を飛び出して企業を作った場合それを第二の家業にしようという意欲がわきにくいのかもしれない。つまり、村落が嫌で飛び出してきたのに自分が新しい村を作るつもりはないということになる。
ビートたけしが弟子に株式を譲り渡した理由はわからない。単に弟子の育成に疲れただけかもしれないし、自分がやってきたことを継続化させるために後継者を育てたかったが、弟子たちが本気にならなかったのかもしれない。Going Concernという意識のない日本人にとってその気持ちは曖昧なものであり、言語化しない限り一つに同定することは難しいのではないかと思う。
最初は森社長がビートたけしの収入に依存しており、それが未来永劫続くと考えていたのではないかと思っていたのだが、新潮のインタビューのプレビューを聞く限りそれは正しくないようだ。森社長は「ビートたけしから収益が上がらなくなったら企業はそこまで」であって、その先は考えていないのかもしれない。森社長はもしかしたら「もうこれで終わるな」と考えており「殿に弟子をリストラを押し付けられた」と感じているかもしれない。一方で、弟子の間には「このままの居心地の良い関係が続くはずだし、続くべきだ」という気持ちが強いのではないだろうか。
かなり特殊な世界の出来事のように思えるのだが、すでに説明した通り、こうした状況は中小企業では珍しくないのかもしれない。だからこそ職人たちは「一生現場にいたい」し「一生麺名やることだけが自分たちのできることである」と言っていられるのである。
これをエンターティンメントの世界の話だと考えれば、吉本興業のような大きなプロダクションができるまで浅草や大阪の演芸会がどのように継続性を維持していたのかということを研究しても面白いかもしれない。都市の中の村落のようなものがあり継続性が担保されていたのかもしれないし、河原乞食と呼ばれるように継続性のないその場限りの集団だったのかもしれない。
だが、この話を経営論として捉えると「次世代製品の開発」についての物語になる。森社長は名プロデューサーとして知られているようなのだが、報道を見ている限り経営者としてはそれほど才能のある人ではなかったようだ。記者たちへの受け答えにあまり戦略が見られず「軍団とうまく言っているはずないじゃないですか」と逆ギレしている。これが「ダメ」ということではなく、あまりこの後のことは考えておらず、今回のことでいくらか稼いで終わりにしようと思っているのではないだろうか。
たまたまビートたけしに映画監督の話が転がってきて映画を作ったら評判がよかった。ビートたけしも森社長も戦略的に映画を作ってフランスに売り込んだというわけではなく、持って行ったら評判がよかった。たまたま当たってしまった成功は再現できない。もともと経営者になるつもりがなかったなら、この対応はむしろ普通のもので責められるようなものではない。
Goign Concernを大きな企業でも同じような例はいくらでもある。例えばIBMのように大型のコンピュータ(メインフレーム)で成功してしまったためにPCに乗り遅れた。マイクロソフトも同じようにPCで成功しすぎてしまったためにモバイルの波に乗れなかった。唯一の例外はアップルだが、名前から「コンピュータ」を除外するくらいの思い切ったこともしたし、スティーブ・ジョブズは一度放逐されている。これくらいのことをやらないと新しい波には乗れないのである。
Going Concernの原則を維持するためには「事業継承」とか「後継者の育成」とか「次世代を牽引する商品の継続的な開発」などが必要だ。だが、成功した企業でもそれは難しい。ましてや古い浅草演芸の世界を引き継いているお笑い業界には難しかったということになる。村落を出てきて新しい集団を作ったがそれが社会を形成するために必要な条件を満たしていなかったという例は、これまで政治の分析をしてきて嫌という程みてきた。
前回のエントリーでは従業員の立場としてはさっさと見切りを付けた方が良いのではないかと書いた。そしてその気持ちは今も変わらない。地方にチャンスがあるのなら「都落ち」などといわずにそれに適応するのもよいことなのである。もともと継続性のない事業だったのだからここが潮時ということになる。
ただ、この次世代を牽引する商品を作るフレームワークがないわけではない。それが「変革管理」である。
しかし、もし仮に今報道で言われているようにたけし軍団が株式の9割を持つということになるのならば、たけし軍団は「弟子」ではなく、経営者として次世代を牽引する商品を開発する責任を負うことになる。実際、ほかの芸能プロダクションやグループの中は中国やインドネシアに進出したり、インターネットに新境地を求めるという動きも出ている。その意味ではたけし軍団のなかから「本物のプロデューサシップ」を持った人材が登場することが期待されるということになる。
有名なジョン・コッターの変革マネージメントにおいては最初の危機感の醸成が一番重要なのだが、たけし軍団は期せずして商品でありながら経営者という状態に置かれてしまったわけである。たけし軍団はテレビ局相手に情報戦を仕掛けて森社長を貶めるのではなくジョン・コッターの本を読むべきだと思うのだが、人としてはやはり急激な変化にさらされた時に「怒り」を持つのは当然なのかもしれない。
いずれにせよ、事業を継続するためには、当事(商品であり英英者)であるタレントが「今のままではダメだ」という強い危機感を持たなければならない。ビートたけしはその意味では正しく危機感を与えようとしたのかもしれない。もし、そうだとすればこの一連の行為はビートたけしの温情だったことになる。