ネトウヨがよく「中国が攻めてこないと言い切れないのか」という不毛な質問をして現実的な安保議論を撹乱することがある。これに対しては無視するべきだという意見があるのだが、実際の問題点は別のところにあるのではないかと思った。
先日、沖縄のヘリコプター事故の問題について調べるために布施祐仁さんのアカウントを参考にした。南スーダンの日報問題の情報開示を求めたことで有名になった人だが、沖縄の問題についてもしばしば言及している。
布施さんが特に問題視しているのが「日米ガイドラインなどで、日本は主権の一部を放棄している」という点である。ただし「憲法第9条は絶対変えるな」とか「戦争はダメ」などとは主張しているわけではない。いわゆるリベラル系とか左翼主義者のように単に憲法9条にしがみついているのではないのである。
ところが、この布施さんに対して専門家でもなさそうん人が様々なコメントを寄せている。別に無視しても構わないと思うのだが、布施さんは割と熱心にコメントを返している。特に「中国が攻めてきたらどうするんだ」という質問が後を絶たない。
現実的に考えると、中華人民共和国が日本を侵略する動機を持っているとは考えにくい。天然資源や土地などが得られない割に、アメリカとの全面戦争になる危険が大きすぎるからだ。大日本帝国が中国東北部に侵攻したのにも理由がある。国内で余剰になった人口を支えるための土地が必要でだった。いわゆる「保守」という人たちは日本の歴史に熱心なはずなのだが、こうした事情すら知らない人たちが専門家に絡んでいるというのが実情なのだ。
布施さんを熱心に攻撃するネトウヨの人たちの言い分をいくつか読んでみた。背景には「アメリカに意見などすると機嫌を損ねて守ってもらえなくなるかもしれない」というような怯えだ。その裏返しとして朝鮮や中国には何を言っても構わないという思い込みも伴っているようである。勝手に序列を決めて酔っているのである。
もちろん、序列に酔って無知をさらけ出すのは醜悪だが害悪だとまでは言い切れない。問題はその先にあるのだと思う。
ここで「もしアメリカが何らかの都合で日本を守ってくれなかったらどうするんだ」と聞いてみたい。多分ネトウヨの人たちからは何の返事も戻ってこないのではないかと思う。もちろん「アメリカがもし見捨てたら」というのは「もし中国が攻めてきたら」というのと同じ仮定の質問で「どっちもどっち」とは言える。ただし、全く根拠のない仮定とは言えない。
沖縄の問題で見たようにアメリカ軍の設備はかなり老朽化しているようだ。ヘリコプター事故を見て「沖縄はかわいそうだ」という感想を持つこともできるのだが、一歩先に行くならば「アメリカの軍事インフラには予算的な制約がかかっているらしい」という洞察を持つべきだろう。軍事インフラだけでなく高速道路や水道設備のメンテナンスができないことが問題視されたりする。さらにトランプ政権は「軍に潤沢な予算を回す」と演説しており、これが予算制約の裏返しであるということもわかる。
つまり、アメリカは日本を守る意思はあってもプライオリティの問題から「日本に手が回らない」可能性があり、もし安全保障を論じるならこの危険性に対してなんらかの対応をしなければならないはずだ。
加えてトランプ政権独自の事情もある。トランプ政権は外交官に武器を得るビジネスマンの役割を与えようとしている。要するに武器は売ってあげるけど自分で使ってくれということだ。
このように状況は次第に変化しつつある。アメリカの国力が落ちているとも言えるし、中国の国力が上がってきているとも言える。もちろん極論を展開するわけにはいかないのだが、かといって何もかも今まで通りとは言わない。
にもかかわらずネトウヨの人たちはひたすら「アメリカに尽くせ」と言っている。そう主張することで何かを言ったような気分になれるし、変化しつつある状況を考えなくても済むからだ。
そう考えて行くと、いわゆるネトウヨの人たちのメンタリティはむしろ「事大主義」と呼ぶのがふさわしいのではないかと思った。「分をわきまえた」小国が大国にひたすら尽くすことで安全を守るというような主張であり、宗主国・朝貢国という枠組みの中では有効だった。
この事大主義が支配的だった朝鮮半島は清国が没落しているという現実をうまく捉えることができなかった。もし彼らが事大主義を捨てて自分たちで国を守らなければならないと考えたなら国民を教育して国力を増強するというような明治維新期の日本が行ったような富国強兵策が取れたかもしれない。しかし、朝鮮半島は内部対立を繰り返して、最終的に日本に支配されることになった。日本人の国際理解も一世代前の東西冷戦時の世界観から更新されていない。
ネトウヨが罹患している事大主義的なメンタリティは安倍政権を覆っている病のような気分だ。国際的には「北朝鮮を追いつめろ」とか「中国を囲い込め」などと言っているが、実際には何もしていない。内政においても、日本海に押し寄せる北朝鮮の漁民に対して何か具体的な対策を取ったようには思われない。
前回は「沖縄の問題」としてヘリコプターの事案について調べたのだが、本土に住んでいる私達にとっては、安全保障に対する事大主義的な無為無策の方がむしろ問題が大きいのかもしれない。
つまり「アメリカについていれば大丈夫だ」と信じ込む期間が長ければ長くなるほど、現実的な対応ができなくなってしまう。確かに布施さんや一部の軍事専門家が主張するように「国家主権」について考えると自分たちのことは自分たちで守らなければならないという現実に直面せざるをえない。
日本人は具体的に何かが起こるまで何もしない可能性が高いとは思うのだが、実際に何かが起きてからでは間に合わない可能性が高い。我々がまず考えるべきなのは憲法第9条の改正ではなくアメリカに対する主権の回復なのではないかと思う。
最初の問題に立ち返ると、もちろん中国が攻めてきたらどうするんだという問題について考える必要はあるのだが、もしそれを考えるならアメリカとの問題も同時に処理すべきである。東西冷戦構造が崩れ、アメリカ一極の世界も作られず、世界の極構造が不安定化しているという事実をどう受け止めるかということの方が重大である。北朝鮮のミサイルも沖縄のヘリコプター事故も直接これにつながった問題なのだ。