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なぜ日本は北朝鮮情勢の扱いを絶対に間違うのか

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今日のお話は、日本人は北朝鮮情勢を必ず間違えるだろうというものだ。この推論は極めて論理的なものではあるが、感情的には受け入れられないという人が多いはずだ。

様々な情報から推論できるのは、安倍政権は北朝鮮情勢についてある一定のシナリオを持っているということだ。安倍政権のシナリオは概ね次のようなものだろう。

アメリカを中心とした国際協調が成功した結果、北朝鮮が経済的に封じ込められる。最終的に北朝鮮の側から泣きながら「もう勘弁してください」と言い出す。核開発計画を凍結し、国際調査団を受け入れて全ての開発の成果を放棄する。結果的に北朝鮮の核兵器開発は終わり、核兵器が朝鮮半島からなくなる。アメリカが勝ち、トランプ大統領に協力を惜しまなかった安倍政権は世界中からその慧眼を称えられる。

第一にわかるのは、このスキームが極めて日本的に理解されているという点である。前提として国際村があり村には村の身分と掟がある。その掟が破られそうになると村八分にして相手を追い詰めて行く。最終的には村八分になった人は出て行くか泣いて謝るしかない。

この村八分的スキームは現在でも紛争解決に用いられる。例えば国会議員の不倫問題などがその一例だ。企業の不正問題にしてもそうなのだが「世間を騒がせた」ことが問題になるし、不倫がなぜいけないのかなどということは議論の対象にはならない。村八分は村人たちの団結力を強め、あるいはお互いに監視し合う檻として作用する。

例えば日本の学校で陰湿ないじめがなくならないのは、これが無視などの村八分の掟を含んでいるからである。日本人にとってコミュニティの維持には村八分と教育という名前の暴力が欠かせない。不思議なのは日本人がこれをいつの間にか体得し、なんとなくこれに頼ってしまうという点である。

逆にこれを「確信犯的に」破る人が出てくると村は無茶苦茶になる。最近では貴乃花親方が自分の信じる相撲道を追求するために警察権力を持ち込んで大騒ぎになっている。村のかばいあい政治では自分の理想が追求できないと思ったのだろう。いったんこうなると相撲協会は「圧力をかけてますよ」とマスコミにパフォーマンスするくらいしか対応策を思いつかない。北朝鮮と貴乃花親方を一緒にするなと言われそうだが、村の掟を破っているのだが、周囲の圧力に対して警戒心をあらわにしているという点では全く同じである。

公の場で「北朝鮮を村八分にしようとしている」といえば「お前は北朝鮮の言い分を認めるのか」とか「反日だ」などという反論をされるだろう。だが、これこそが日本人が村の掟を大切にしているとう証明になる。事の是非は問われない。ただ一度村八分のスキームが作られるとそれを抜け駆けしようという動きは全て罰せられるのである。

こうした村八分的スキームはもちろん国際社会でも見られる。もともとヨーロッパは特権社会なので「主権国家」と「植民地」という身分制度があった。これがアメリカ中心の秩序に変わり核を持っても良い「常任理事国」とそれ以外の国という構造に変わった。日本は敗戦国なので貴族の一員にはなれないが、アメリカと軍事的に一体化すること、あたかも貴族の一員になったように振舞うという道を選んだ。これが維持可能なのかということが問題になるはずなのだが、そのような議論は一切見られない。

しかし、これだけでは「日本は必ず失敗する」とまではいいきれない。この問題でむしろ重要なのは「日本人の意思決定方法」である。

「世界は常任理事国を中心にした村」シナリオに沿って物事が進むと、日本も韓国も戦争について心配する必要はないし、アメリカ中心の地域覇権も保たれたままになるだろう。たいていの戦争は常任理事国間の代理戦争だが、核を持つというのは常任理事国支配体制への挑戦なので起こるはずがないシナリオだからだ。

このシナリオはアメリカを中心とする地域秩序があってそこに日本が位置付けられているという「一定の絵」が元になっている。つまり静的なシナリオである。この静的な状態から出発して、もっと都合がよく物事が進むためには憲法を改正して自衛隊を正規軍化した上で、アメリカに協力的な体制を取れば良いというアクションが得られる。つまり、静的な絵がありそこから直線的にスケジュールを引いてそれを厳格に守るというのが日本人なのである。

ではこのシナリオは国際情勢を映したものだろうか。それは会議室で決められた「絵」であり、その通りに物事が進むかどうかはわからない。絵が動いているのだから、直線的なスケジュールは立てられない。

トランプ大統領は気まぐれな発言を繰り返している。ティラーソン国務長官は必ずしも戦争には賛成ではないようだ。国務長官のシナリオにカナダなども同調しているらしい。ロシアのラブロフ外相のように北朝鮮問題に積極的にこれに関与しようという国もある。

一方で、戦争になれば北朝鮮が暴発する可能性も高い。北朝鮮に勝てる見込みはないのだろうが、いったん暴れ出すと泥沼化する可能性はある。日本には漁船を偽装した船が流れ着いても感知できない程度の国防力しかないようなので「一発食らわせる」くらいは可能だろうし、それがかなりの大騒ぎになる可能性もある。このように実際の状況はそれぞれが「可能性」によって記述される動的な絵である。

日本人は不確定さを嫌うので、あらかじめ物事が動かないように決めておきたがる。そして国内的にはそれが通用する。日本の政治状況が膠着していても誰も文句を言わないのは、日本人があえて物事を動かしたいとは思わないからだろう。与党が作った絵と野党が作った絵があり、その絵を見比べてどちらが正しいのかということを延々とやっているのが、ここ数年の国内の政治状況だ。どちらも絵なので実はどちらも正しくはない。

ではなぜ日本人は絵がないと物事が決められないのか。

原子力発電所には様々な事故が起こり得るのだが、建設時に事故の前提は全てキャンセルされていった。日本人は「何かを想像して口に出すことでそれが起こるかもしれない」という言霊信仰を持っているので、関係者たちは事故の可能性について語りたがらなかった。そこで、こうした事故は決して起こらないのだと合意した上で全ての計画を決めて行く。考えないから起こらないと考えるのだ。だから最終的な計画には事故が起きた時の対応策はない。事故は起こらないのだから事故が起こった時に責任をとる人はいない。

事故が起こるとそれは「想定外だった」と言われる。想定していなかったのだから誰かに責任があるわけではないということになる。だから、結局責任はうやむやにされ、消費者がお金を払った。つまり事故の責任を取ったのは会議に参加しなかった消費者である。

もし最初に事故の想定をしていたら誰かを責任者に任じなければならなくなる。それは「かわいそうだ」し「無理だ」ということだ。改めて記述するとめちゃくちゃだが、実際にはこうした考え方をする。第二次世界大戦に参戦する時にも同じことが起きた。つまり、戦争に負けるというシナリオは立てなかった。負けるシナリオを立てると誰かが責任をとることになりそれは「かわいそうだから」である。「負けるかもしれないですが、その時は天皇に責任を取ってくれ」などとお願いする人は誰もいなかった。結局責任を取ったのは国民だ。生産設備が完全に破壊された上に猛烈なインフレが起こり国民の資産はほとんど吹き飛んだ。

北朝鮮情勢についてプランBを作らないのは安倍首相が責任をとりたくないし、責任も取れないからである。うまく行けばいいがうまく行かなければ国民が責任を取ることになる。北朝鮮から新潟に小型の核爆弾でも落とされればそれが何だったかということがわかるだろうが、こう書いただけで「お前は縁起でもないことをいう」と非難されるだろう。言霊があるのだから言ってはいけないのだ。

いずれにせよ、世界情勢は動いている。戦争や軍拡競争などは相手を出し抜いて自分の意思を通すことが目標になっているのだから想定外のことしか起こらない。つまり、安倍政権が会議室で決めたように、相手が一方的に妥協するようなシナリオなど望みようがないということになる。

例えば、北方領土を取り戻すためにはロシアに対して想定外の問題をしかけたり、何かの時に想定外に動いて見せて動揺を誘わない限り現状(つまりロシアの実効支配である)は絶対に変わらない。ところが日本人はこうした想定外を扱えないので、ロシアに経済協力して関係を強化して相手の温情を得ようとい作戦に出る。日本人としては極めて当然の心情だが、実際にはロシアの実効支配の現状を追認することになる。

最後にどうして日本人は動的な状況が扱えないのかを考えたい。アメリカ人は権限を与えた上でいろいろな動きに備える。だが日本人は誰も責任を取りたくないので一旦持ち帰った上で合議をして最終的な意思決定をする。合議のためにはシナリオをピンでとめなければならない。日本人は個人に権限を与えないので、国際情勢のように動いているものは扱えない。さらに、今の状況では絵を固定することすらできない。トランプ大統領とティラーソン国務長官の言っていることが違うからだ。

日本人には動的な状況は状況は扱えないので、北朝鮮情勢については必ず間違うことになってしまうだろう。

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