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ソ連と日本の共通点及び相違点について漠然と考える

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日本の衰退について考えている。もともとの思考の出発点は「安倍政権がでたらめなのにそれを有権者が許容するのはどうしてか」という疑問だった。考えているうちに「日本人はこのでたらめさにある種満足しているのではないか」と考えついた。経済成長は先がわからないうえにしんどいので、誰かに文句を言いながら誰も助けずに今までの蓄積を抱えていれば自分だけが逃げ切れる可能性が高い。実は堕落した経済のほうが先の見通しが立ちやすいのだ。

人々は低成長に慣れきってしまいそこそこ満足している。年齢構成上は贅沢は経験したことがある人も多い上に、むしろ派手なイベントや贅沢品などに敵意を持っている人も多いようだ。面白いなと思ったのは神戸のクリスマスツリー騒動では、戦争はいけないと言っている人ほど「贅沢は敵だ」と他人が喜ぶのを制限したい気持ちが強そうだということである。これはまるで戦時下の人たちが、ちょっとした庶民の楽しみに目くじらを立てていたのに似ている。リベラルなら他人の楽しみには最大の関心を払っているはずなのだから、彼らがいわゆるリベラルではないということだけはよくわかる。

さらに、製造業では品質管理偽装が横行しており、政府も説明責任を果たさず統計を操作したり、都合の良い数字だけを喧伝しているようだ。誰もそれに目くじらをたてないのは、社会保障がそこそこ維持されており、少なくとも食べるものには困らない程度の生活が維持されているからだろう。社会保障は確かに不安定化しているのだが、これは病気が重篤になってからの話であって、普段はちょっとしたことで病院に駆け込み、重複して薬をもらったりしている。医者も患者も医療費を圧迫しているとは多分思っていないはずである。

いろいろんと考えてくるとなんとなくソ連や東ドイツに似ているなと思った。イノベーションは全く起こらないけれども、とりあえずの生活はできるという世界である。低成長とやる気のなさという共通点はあるのだが、相違点もある。

ソ連や東ドイツでは情報が遮断されており、西側世界はもっと惨めな生活をしているという宣伝がなされていた。権力が集中していたために選挙によらない権力闘争があり、不満を持っていた国民は秘密警察などに抑圧されていた。この抑圧が最終的に爆発した結果、東側世界は崩壊した。

日本では情報は遮断されていないが、例えば中国の繁栄などの情報は国民が見てみないふりをすることで実質的に遮断している。誰かが抑圧しているわけではないので国民が「正しい情報を知る」ことによって目覚めて革命を起こすようなことはなさそうだ。

ソ連が崩壊する要因をチェルノブイリの事故に見る人がいた。これまで情報が隠蔽されてきたのだが、チェルノブイリ事故を隠蔽することができず「やはり社会システムがおかしい」と感じるようになった人が増えたのだという。これは日本とは方向性が逆になっている。日本の場合には東日本大震災と福島の事故で国民が動揺すると「改革勢力でも制御できない」という認識が強くなり、結局は腐敗していても今まで通りの方がいいということになった。これが現在自民党が政治に復帰した原因になっている。民主党政権のおかげで経済が上向けば「改革はよかったじゃないか」と思っていたはずである。

一応民主的な選挙が行われており権力闘争に一定の歯止めがかかっている点も東側世界とは違っている。現在、自民党政権の一部に民主主義を憎悪したり、憲法を改悪して集会の自由を制限しようという動きがある。一部は民主主義を理解していないだけの堕落した動きもあるが、一部は意識的に民主主義を憎悪している。

いっけん権力者に都合が良さそうに思えるのだが、民主主義は権力者同士が食い合いをしないようにするという側面も持っている。だから実際に困ることになるのは、政治権力を持った人たちになるだろう。サウジアラビア、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国など選挙に寄らずに権力者を決めている国の権力闘争はどこも過酷であり、たいていの場合は身体拘束や殺人などが含まれている。

国会議員に手厚い年金をという話も出ているようだが、これも共産党の特権に似ている。つまり、特権が強まれば強まるほど、それが反発の圧力になる。この意味でも自民党の共産党化が進行していると考えられ、ソ連の崩壊期とは全く逆の方向に進んでいると言える。

実は「ソ連の政治は腐敗している」とエピソードは見つからなかった。供給と分配を握っているのは共産党なので、彼らは合法的に特権を持っていたそうである。自民党も党が尊敬され国会議員が合法的に恩恵が得られるような政治を目指しているようだ。まずは特区を作りそこに利権を集めた上で身内で分配したいというのもその表れなのだろう。

さて、このように考えていると、ソ連はどうして崩壊したのかということを疑問に思うようになった。しかし、ネットの情報だけだとあまり網羅的な情報は得られそうもない。一つだけ確かなのは、分配の不平等は崩壊の一因ではあっても全てではなかったようだ。つまり、経済そのものに欠陥があったのだ。

あるウェブサイトにはソ連が行き詰った原因は資本ストックの老朽化であると書かれている。資本主義の初期段階においては生産設備を作るほど生産量が増える。これを計画的に割り当てたのが供給側から見た社会主義だ。国家が計画を立ててこれを推進したのだから効率が良かったのは当たり前だ。第二次世界大戦後のしばらくの間はソ連の経済成長率はそれほど悪くなかったということだ。

しかしなががら、同じものばかりを作り続けていると、だんだん需要がなくなってゆく。例えば同じ性能を持った冷蔵庫ばかりたくさん作っても誰も買わなくなる。冷蔵庫はみんな持っているからである。つまり計画経済は割り当ても計画の一部なので「全く新しい需要を作り出す」ということができない。それに加えて生産設備が老朽化してくるので生産性が下がり始める。古い機械を使って製品を作ることを余儀なくされるからである。

このウェブサイトは、ソ連は古い生産設備に押しつぶされて経済が行き詰まり、最終的に西側との競争に負けたと分析している。

日本でも生産設備が更新されないというような話はよく聞かれる。水道などの社会インフラも老朽化しつつある。しかし、どちらかという「知的な設備投資」が進んでいないように思える。終身雇用制が部分的に維持されており、仕事のやり方も変えないために、生産性が向上しない。これを補うために非正規雇用への依存が強まり、全体的な収益率が圧迫されているのではないかと思う。給与や賃金の話は「正規・非正規」という雇用形態の話になりがちだが、実際には知的設備として洗い直したほうが現実がわかるのかもしれない。

日本はここでも「逆コース」を辿りつつある。教育の無償化といって実質的に国有化を計画している。面白いのはこれを計画するのは社会資本の民営化を推進する「新自由主義政党だ」という点である。片山虎之助議員などは「大学は潰れても仕方がない」というようなことを言っているが、国会答弁では笑顔でスルーされることが多い。多分、経済政策の根本的な理論を理解しないままで政策を議論しているのだろう。教育を国有化すると官僚が人材需要を予測するようになる。これは人材供給が計画経済化するということだ。計画は過去に基づいてなされるはずだから、現在鳴り物入りで計画されているリカレント教育も20年以上前には必要だったかもしれないですねというようなプログラムになるのかもしれない。

「そんなバカなことにはならない」と思う人もいるかもしれないが、すでにこうした動きは明確に起きている。人気が高い都市に大学を作ることは制限され地方に大学を誘致しようとしている。しかし、地方で国の支援を受けている大学には「教育困難大学」が多く含まれるという具合である。

いずれにせよ、ソ連と日本の状態を比較した分析は見つからなかった。日本人が自らの社会形態を社会主義的だとは考えていないからだろう。

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