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枝野さんと前原さんとどちらが党首になるのがトクなのか

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民進党の代表選挙を控えて、Twitter上で怨嗟の声が渦巻いている。国会議員票では前原さんの方が優勢なのだそうだがTwitterにはリベラルで反安倍の人が多いので、枝野さんの方が人気があるのだろう。前原さんが党首になったら支持をやめるという人もちらほら見かけるようになった。

そこで、枝野さんと前原さんのどちらを党首にした方がトクなのかということを、割と真剣に考えてみたい。が、真剣に考えれば考えるほどふざけてひねくれているように見えるかもしれない。

民進党の最大の特徴は経済政策に疎いということだ。もともとシンクタンクもなく議員の勉強不足から政策立案能力がないので、たいていの民進党の人たちは官僚が作ったプログラムのどれを採用するかというのを自身の経済政策だとしている。このため誰が代表になっても大した経済効果は期待できそうにない。つまり日本にはアベノミクスを超える経済政策が現在存在しないのである。

こうした閉塞気にある日本で国民が政治に何を求めているのかということを改めて考えたい。国民が政治家に求めるのは自分の暮らしを良くしてくれることだが、それができないのだから、次にできることを探さなければならない。それは政治家を牽制して何も決めさせないことである。

最近の民進党の役割はこれに沿ったものだった。政権のアラを探し出してはそれをマスコミにばらまく。結果として政策は前に進まないが、自民党のいう政策というには仲間に土地や税金を還流することだったので、それでも良かったのだ。

こうした民進党の存在感はいなくなって初めてわかる。例えば、最近加計学園の件が下火になっている。新しい材料は出てきているのだが、それがニュースになることはない。なぜならばマスコミがオウンリスクで政治問題を作るのを避ける傾向にあるからである。新聞は調査報道を諦めているようで(もはやそうしたリテラシーはないのかもしれない)野党の報道を「野党が言っているから」という理由で報道することになる。代表選挙の間政治家たちは党派間の争いに夢中になっているため、この機能が止まっている。すると、報道も下火になり、そのカウンターも止まる。数ヶ月も経てば国民は加計学園問題を忘れるだろう。

そう考えると、民進党の役割は自然と限定されてくる。共産党と組んで弁護士的に自民党を追求できる人の方が党首に向いているのだ。ただし、国民は自民党を牽制したいだけで、本気で体制を変えたいなどとは思っていない。だから民進党を応援することはないだろう。つまり、万年野党として何の役職も与えられずに、ただただ政権を叩き続けるという共産党のような神経の太さが求められることになるだろう。

もう一つのやり方は、分断を促進するという方法である。今回、一連の考察の結果、資本主義という宗教は破綻寸前になっており、政治家は分断を利用して有権者の支持を集めざるをえない状態に追い込まれている。アメリカでは白人対有色人種という対立構造だが、日本では老年の男性対その他というのが対立構造である。

まず一つ目のルートはその他の立場に立つことだ。男性の既得権益層を思い切り叩いて、抑圧されている人たちのルサンチマンを叩いてやるという手法である。このやり方をとったのが小池百合子東京都知事だ。圧倒的な大勝だったところをみるとこのルサンチマンの根深さがわかる。ただし小池方式では繰り返しルサンチマンを満たしてやる必要がある。ルサンチマンを叩いても本質は変わらないので、飽きてしまえば今度は叩かれる側に回ることになる。次に小池さんが叩こうとしているのは、公共スペースで我が物顔でタバコを吸うおじさんたちだ。こうしたネタを提供できている間は小池都政は盤石だろう。

小池都政の一番の問題は「オヤジを叩いているふりをしているのに、実は裏でオヤジたちとつるんでいる」とみなされることだろう。例えば、築地存続派の人たちは、小池さんの手足となっている怪しげなコンサルタントたちを表に出して、庶民代表のおかみさんたちが反対しているというような図式を作ろうとしている。この裏には小池都政がルサンチマンによって支えているという分析があるのだろうし、この戦術は正しいだろう。

もう一つは安倍政権のやり方である。こうした迫害される父権が実は日本本来のあり方なのだという慰めを与えることで支持を取り付けるというやり方である。こちらでは女性は別の方法で参加する。銀座の夜の女性たちのようにおじさんの憩いの存在になってやるのである。だから、右派の女性にはそれなりのニーズがあり、みな銀座の夜の女性たちのように髪型や衣装が洗練されている。

こうしてみると蓮舫代表の失敗がわかる。女性はあのようにきれいで仕事ができて子供もいて幸せな女性には憧れない。男性を慰めてくれる銀座型の女性になるか、家庭を諦めて男を叩きつづける女性になる必要があったのだ。

こうした構造は最近ではドラマでも見られる。かつてのように、いろいろあるけれど夢に向かって頑張って行こうというようなドラマは流行らない。流行るのはどんなにきれいに見えても一皮むけば人間というのは醜い化け物なのだということを暴くというものばかりである。

その意味では枝野さんは代表には不向きである。枝野さんの主張は「理想に向けて頑張って行こう」というものであり、そんな理想を信じている人は誰もいない。唯一買えるのは「共産党と組んで自民党を叩こう」という部分だ。

前原さんに至っては保守というものを完全に勘違いしている。前原さんのいう保守が成り立つのは、日本が発展途上国として頑張って行こうという時代にありえたかもしれない保守であって、ルサンチマンを発散する対象にはなりにくい。安倍政権に乗って正々堂々と政策議論するというのは、いかにして迫害されている男性が持っている鬱積した感情を慰撫して恨みを晴らしてやるかということであり、そうした覚悟が前原さんにあるとは思えない。

本来政治は国民を統合するための装置であり、理想を提示するべきだと思う。とは思うのだが、周りを見渡してみると誰もそんなことには期待していないようだ。であれば、もう思う存分気がすむまで叩き合えばいいんじゃないかと思う。倒れるまで叩きあった末に「ああ何も生まれなかったな」という実感があって初めて、その次の段階に進めるのかもしれないし、そのまま叩き合いの沼に落ちてゆくのかもしれない。

ということで次の民進党の代表は、こうした何に生産性もない闘争を飽きることなく繰り広げられるリーダーが求められる。その意味では民進党は豊富な人材を抱えていると思う。

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