籠池理事長夫妻が逮捕された。この手の不正受給は日常茶飯事らしく「たいていは返却すれば黙認される」という観測もあるのだが、それでもこれだけ派手に報道されてしまったので放任は難しかったのだろう。しかし、どうしてこんなことが起きたのか。
多くの人は、安倍首相を礼賛するような教育をしたのだから当然の報いだなどと思うのではないだろうか。だが、安倍首相と籠池理事長のつながりはそれほど大きなものではなかった。籠池理事長らが安倍首相に接近しなければならなかったのはそれなりの理由があったからだ。
森友学園がこうした不正に手を染めなければならなかったのはなぜなのだろうか。少子化によって就学児童が減っているからだろう。学校経営者は今の学校で収益をあげるか、新規事業を起こして新しい収益を確保しなければならない。
受験生にとって学校選びは一生に一度の選択なので、できるだけ確実に元がとれる学校を選びたいと考えるだろう。たいていの場合、実績のある学校は都市にあって歴史のある大学や高校ということになる。だから、今経営が厳しい学校はそのまま受験生から見放される可能性が高い。すると、新しい学校を作ることだけが経営改善お選択肢になる。が、歴史が新しく実績のない学校ができるだけなので、受験生の支持を得ることは難しい。
実は森友学園は「可愛いほう」だ。加計学園グループはもっと悲惨な状況になっている。加計学園が鳴り物入りで作った千葉科学大学は巨額な赤字を抱えている。こちらはあちこちの都市を巻き込んでいるので、経営が破綻すると都市ごと破綻ということになりかねない。
この事情については、なぜか週刊誌ポストセブンが細かく書いている。もともと本業が振るわないので、新しい学校を次々に立てて債権者を引きつけておかなければならないということなのだが、これに有権者が気がつくと大事になるので、テレビや新聞では扱えないのかもしれない。
国や地方自治体から出る補助金は自己資金と同量のお金が限度額になっている。ある程度の自己資金がある人でなければ補助金を受け取れないという障壁の役割を果たしている。そこで加計学園は第三者(といっても形だけで実はグループ企業なのだが)に二倍以上の見積もりを作らせて、半額を国や地方から出してもらうというスキームを考え出したようだ。そうすると、自分でお金を出さなくてもすむ。森友学園がしくじったのは情報漏洩する可能性のある第三者に見積もりをとらせたことだけである。だから籠池理事長は逮捕され、加計理事長は表にさえ出てこなければお咎めなしなのである。
もともと教育に補助金を出すのは、人材の育成が国力を増強に役立つという考え方があるからのはずである。だが、実際にそうはなっていない。なぜか。これは籠池さんや加計さんを見ていてもわからない。
2015年に文部科学省が面白い方針を出している。都市の大学に定員以上の学生を入れると補助金を全面的にカットすると学校を恫喝したのだ。地方の私立大学に人が集まらなくなっており、社会主義的にこれを地方に戻そうとしたのだろう。ベネッセのサイトで具体的な仕組みが説明されている。
が、受験生の立場に立つと「誰も名前など聞いたことのない学校」に行くよりも「就職に有利な」大学を目指すのは当然だろう。都市にはインターンの機会もあるし、地方の大学から交通費をかけて地理もわからない都市で仕事を探すのはハンデ以外のなにものでもない。だから優秀な学生ほど都市を目指すのである。
2017年には補助金を成果主義的に配分する方針を出そうとしているようだが、大学のどんな成果を文部科学省がどのように把握するのかということは示されないままである。こうした議論がまかり通るのは、社会主義的に大学を整理できると文部科学省が考えているからだろう。
しかし、こうした「成果」が成り立つためには、そもそも社会主義的な計画経済がなければならない。計画経済が目標を決めて、それに合致する教育を行った学校が補助金を受け取るという仕組みである。だが、国が経済五カ年計画を立て、国民がそれを万歳三唱で礼賛したというニュースは聞いたことがない。だから、文部科学省は原理的に補助金を成果主義的に配分することはできない。
一方で、地方創生という別の思惑があるので、地方に学校を作ると補助金が出ることになっているのだろう。大阪のような都市でも新しい学校を建てれば地方からの補助金が出る。そこに経営が怪しくなった学校が群がるという仕組みになっている。
さらに、政権の思惑があり「民主主義的なプロセスを経て」決定された補助金は裏に政権側への利益のキックバックがあったとしても「善」とされ、キックバックがない場合にはそれが「犯罪行為」になるという副作用もある。これが加計学園と森友学園の唯一の違いである。と、同時に社会主義的な政策はこうした不正の温床になるということも言える。社会主義的な政策がうまくいっているのであれば、オーバーヘッドとして許容するという考え方もあるだろうが、そもそも労働市場は新自由主義的なので、合理化のしようがない。
森友学園が「しくじった」のは建設を政治家の親族企業にやらせたりご馳走したりしなかったことなのだろう。首相を礼賛したり名前をあげたりするのは「名誉」であり無料なのだ。ゆえに政権から切り離されやすかったものと考えられる。いったん経済的に抱き込んでしまえば、政権が総力をあげて守ってくれる。
せっかく、加計学園や森友学園の問題に興味を持ったなら、どこが不整合な接木部にあるのかということを考えてみてもよいのではないだろうか。
労働市場は市場経済化している。大学を出ていなかったりFランク大学を出ていると、非正規雇用でしか雇用してもらえず、そのまま使い捨てられしまうという現実がある。さらに家庭が貧しいと卒業時に数百万円もの借金を背負うことになる。こうした状況は新自由主義である。
一方、大学行政は社会主義的に運営されていて、各種補助金を操作することによって需要のない地方に大学を誘致しようとしている。当然生徒は集まらないのだが、都市に集中することを恐れた文部科学省は都市の大学への入学を制限して、生き残りに必死な学生の邪魔をしているのである。
表題は関心を引くように「安倍首相の爆弾」と書いたのだが、実はこれは自民党の爆弾である。
自民党はポスト工業時代の国家ビジョンを示せなくなっており、まともな政策立案や運営すらできなくなっていることがわかる。大臣の役割は決めつけるようなことを言ってマスコミを怒らせて炎上を引き起こすことくらいで、こうした問題を整理して省庁間で調整する能力は彼らにはない。
素人が1時間くらい考え事をしても問題点が浮かび上がってくるのだから、政策立案能力がある野党が状況を整理するのは簡単なはずなのだが、一向に提案が出てこない。よく考えると民進党の中に、新自由主義的な勢力と社会主義的な勢力が混じっているので、こうした問題が党派の正当性の問題に直結してしまうのかもしれない。
いずれにせよ、国の経済方針すらまとまらないのに、国の基本的な形である憲法を改正しましょうなどと言っているのが安倍政権なので、もはや妄言としかいいようがない。