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安倍政権の内閣支持率が急落した

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安倍政権の支持率が急落した。安保法制のときに少し下がったということだが、このところ安定していた。前回書いたように、有権者は政策ではなく「身内に贔屓しているかどうか」という人格を見ていたことになる。つまり、政治を見つめる目線が村落的なのである。

安倍政権は憲法を曲げ、歴史を歪曲し、官僚を黙らせてあらゆる法律を作ることはできる。しかし、決してそれを行使することはできないということだ。日本人は決まりごとをあまり信じておらず、それがどう使われるかということに関心があるのではないだろうか。極めて「人治主義的」に政治を理解していることになる。

政治は意思決定というより、意思決定に権威を与える役割を果たしているのかもしれない。例えば築地・豊洲問題のように一度ケチがついてしまうと、その後はどう「説明責任」を果たそうとも、納得しない人が出てくる。もともとは大手卸と仲卸の対立なのだが、あのまま豊洲に移っていれば、あまり力がなく財政基盤が弱い仲卸の人たちは黙って移るか廃業するしかなかったはずだ。手続きそのものは<民主的>に進められていたわけだし、議論の過程も一応は公表されていて検証可能な状態にあった。だが、いったん内部抗争が表沙汰になると、聖なる権威が失われて、それを収める方法がなくなる。もともと表立った話し合いで何かを決めるという文化がないのだろう。

また、安全保障の問題も、法律そのものにはあまり関心が向かなかった上に、自民党は実は何も決めていない。南スーダンの派遣そのものは民主党政権時に決まったことだし、結局犠牲者が出て「判断が間違っていた」と指摘されるのを恐れて、思い切った活動は何もできなかった。いったん誰かが亡くなるような事態が起きてしまえば、それが実は仕方がなかったことでも、結果責任を取らされることになる。有権者はそもそも説明を求めておらず、単に目の前の不愉快な出来事を非難できる人を探す。

同じように骨太の方針もどんどん骨抜きになってゆく。どうやら改革には消費税増税が必要との見方が多いようなのだが、それをやってしまうと、結果的にアベノミクスは詐欺だったということを見つめてしまうことになるので、骨抜きにするしかない。

つまり安倍政権は決められる政治ではあるが、同時に何もできない政治でもある。問題は先送りされ、やがてどこかで破裂する。

このように考えると、安倍政権の支持率の動向にはあまり意味がない。このままずるずるといろいろな内部情報がリークされて沈んでゆくのかもしれないし、持ち直すのかもしれない。しかし、身内に贔屓をすることはできないだろうし、首相の権威を使って自分の支配欲を満たすこともできないだろう。すると、政権は求心力を失うことになる。

この件でもう一つ重要だと思われるのは、国民は政策には興味がなく、したがってそれに反対するデモにもそれほど興味がないだろうということではないだろうか。政党支持率そのものはあまり変わっていない。安倍政権(もしくは安倍首相)がお友達を贔屓したということだけが、政党支持率に影響を与えていることがわかる。デモを支援して民共で連携しても、それはほとんどの国民にとって「どうでもよい」ことにすぎないということになる。

さらに、政策はあまり重要視されないので、飾りとしての安倍晋三さんのありがたみが薄れてしまえば、それは去年のしめ縄のように取り替えられることになるだろう。もともと、日本では聖なる場所を区別するためのものは紙や藁で作られてきた。古びてしまえば燃やされるだけである。このようにして、新しい正月飾りを準備するように、粛々と交換が進むのではないかと思われる。

もちろん政策ベースで政治を動かすのが重要だとは思うし、有権者が関心を持って普段から政治の動向をチェックしたほうが良いとは思うのだが、何が起きているのかということを冷静に見つめないと、今後の判断を間違うのではないかと思う。

こうして政治を眺めていると、つくづく日本というのは「何も決めないことを決めている国だな」と思う。

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