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なぜ加計学園問題だけが安倍政権の支持率を下げたのか

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徐々に、政府がなぜ文部科学省の内部調査をやり直すのかという理由がわかってきた。TBSの報道特集によると、記者の追求に耐えかねた菅さんが安倍首相にアドバイスしたということらしい。支持率も下がっているということなので、やっと「まずい」ということになったのだろう。
これまでも散々悪事を重ねてきた安倍政権だが支持率が下がることはなかった。そこで世論調査自体がうまくいっていないのではないかとか、日本人は政治への関心が失われたのではないかなどと考えてきたわけだが、どうやら日本人はもっと単純に政治を見ているらしい。それは「報復」だ。
平和安全法制の問題は一部の人を猛烈に激怒させたが、それほど高い世間の関心を集めなかった。これは平和安全法制が普通の人たちには「何も関係がない」問題だったからだろうということは容易に想像がつく。自衛隊が外で何人なくなろうがそんなことは「知ったこっちゃない」し、日本の平和国家としての評判に傷がついたとしてもそれは関わりのないことなのだ。同じように東京電力の問題も「福島のかわいそうな人たちの問題」とされてしまった。他人が損害を被ってもさほど気にしないのだ。
森友学園の問題は籠池理事長が「得をしかけた」ことで少しは影響があったが、結局は収束した。籠池理事長が全てを失うことで怒りが爆発しなかったのだろう。大阪市が「保育園もダメですよ」とやったので、怒りが安倍政権に向かわなかったのではないだろうか。
山口敬之氏の問題もさほど注目されなかった。女性が無理やりにお酒を飲まされてそのあとでレイプまがいのことをされたとしても、それは世間の関心を集めないということだ。この件で誰も得をしたわけではないからである。今後、山口氏が出てくることはないわけで、ジャーナリストとしては社会的に死んでしまった。もし山口氏がコメンテータとして復活したとしたらテレビ局には抗議が殺到するだろう。被害者への同情はないが、得をして逃げおおせることは社会が許さないということになる。
が、加計学園は様子が違う。京都産業大学やその他の学校が政府が作る条件によって締め出されてしまった。これは加計学園を「贔屓」するためだと多くの人が思っている。つまり、誰かを出し抜いて自分たちだけが「美味しい思い」をすることだけが、日本人を怒らせるのだ。その意味では「男たちの悪巧み」は支持率に影響を与えたのではないかと考えられる。
多分、内部調査をやって資料が出てきませんでしたと説明しても国民は納得しないだろう。法的プロセスなどはどうでもよく、結果的に加計学園が美味しい思いをしていると思われてしまうからである。が、銚子市の例なども知られてきており、加計学園の獣医学部が認可されることはないのではないだろうか。それによって「得をしてしまう」人が出ることが許されるとは思えないからだ。
消費税の時もそうだった。役人や国会議員が痛い思いをしないのに国民に負担がくるということに怒って懲罰行動が起きた。つまり「誰かが得をするのはずるいから許せない」という行動原理があって「ずるいことをしたら報復する」ということになっていると考えられる。
これをうまく利用したのが小泉郵政選挙である。郵政選挙では郵政族と呼ばれる人たちが槍玉にあげられ抵抗勢力とみなされた。彼らが美味しい思いをしているから、自分たちの生活がよくならないとやったわけである。このやり方に学んだのが小池百合子現都知事で、自民党がオリンピック利権で私腹を肥やしてますよとほのめかして圧勝した。
前川さんが持ち上げられているが、この人は文部科学省の天下り問題の時には叩かれていた人である。天下り問題では仲間で甘い汁を吸っている人だったが、今回は安倍首相が国民の目を盗んで甘い汁を吸おうとしているのを救済した人になっている。立場によって評価が180度変わるということだから、継続性など誰も気にしていないのだ。
一方で、行動原理とか法的安定性というものはそれほど重要視されない。例えば憲法がめちゃくちゃになっても日本人はさほど気にしないだろうし、それで表現の自由がなくなったとしても「なんか、きっと悪いことをやったんでしょ」と言って終わりになるはずだ。誰かの損害が正しいことをしている自分たちのところにくるはずはないという根拠のない自信を持っているからである。
つまり、日本人は法律などの「なんだかよくわからない」ものが公平に運用されることで平等を保つなどということは全く信じていない。しかし、誰かが突出しようとすると、全員で叩くわけだ。つまり、法律を歪めて権力を手にすることはできるが、それを使って得をすることはできないという、権力者にとっては割と呪われた社会なのではないかと考えられる。