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自民党の理屈は一展開すれば崩れる

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日曜討論で下村博文さんが面白い理屈を披瀝した。

  1. 教育無償化は重要な課題である。
  2. が、法律レベルでは財源の問題もあって実現が難しい。
  3. そこで憲法に書けば実現が容易になる。

ということで、この理屈は展開すると次の2つの結論が得られる。

  1. 憲法を改正すると財源がどこかから降ってくる。
  2. 憲法を改正すると財源がなくてもやらざるをえなくなる。
    1. 借金して工面する。
    2. 増税する。

ということで自民党の理屈というのは一展開すると崩れてしまう。自民党の人の理屈というのは支持者向けのものが多い。信じれば救われるという類のものだ。一番よく覚えているのは、民主党政権誕生前夜の「公共事業にはいい公共事業と悪い公共事業がある」というものだ。これ自体は正しいのだが、地方に誰も通らない高速道路を作るのは悪い公共事業ですよねというとたいてい相手は不機嫌な顔になったものだ、
これに騙されるのはよっぽど頭の悪い人か信じたい人なのだろうと考えられる。が、下村さんがそれほど頭が悪い人とも思えないので、そもそも議論するつもりがないのだろう。考えられる可能性は2つあると思う。

  1. もはや議論に疲れてしまって議論するつもりも起こらない。
  2. 実は憲法改正などという大それたことができるとは考えていないので議論しても無駄だと思っている。

が、後者の可能性が高いのではないか。
こういうのもあった。「そもそも」に「基本的に」という意味があるという理屈は次のようになっている。いっけんA=B=Cという理屈に見える。

  1. そもそもにはどだいという意味がある。
  2. どだいには基本的なという意味がある。
  3. ゆえにそもそもには基本的なという意味がある。

しかし、実際には言葉の範囲には揺れがあるので類義語を積み重ねてもA=B=Cにはならない。毎日新聞の校閲の人が異議を唱えている。名詞と副詞を混同しているのが基本的な問題で副詞の「どだい」には基礎という意味はなく「どだい無理な話だ」というように否定を強める意味でしか使われない。多分記者が同じようなことをやらかせば校閲に怒られるだろうし、学校のテストでも通らない理屈でしかない。
「そもそも」この言葉遊びぶは実は当初の議論とは何の関係もない。
最初の議論は「そもそも罪を犯すことを目的とする集団でなければならない」という意味不明のステートメントの確認だったようだ。「そもそも」は「最初から罪を犯す目的で作られた集団」という意味なのだが、これを「基本的に罪を犯す目的で作られた」という意味だと言いつくろったわけだが、オウム真理教は宗教団体なので(確か都から認可を受けていたはずだ)最初から罪を犯す目的で作られたわけではないし、基本的に罪を犯す目的で作られた集団でもない。徐々に犯罪に手を染めてゆくわけだが、組織の全てがある日突然テロリストに鞍替えしたわけではない。末端の信者の中には最後まで計画と無縁だった人もいるはずである。
犠牲になった方々にはお気の毒なのだが、オウム真理教は狂信的な人々がどうやって反社会性を身につけてゆくかという教訓になっている。真摯に向き合うべきである。これが防げないということは将来に起こるテロに対応できない可能性が高い。と、同時に人が反社会的な行動にでる時、外形的な補足するのはとても難しいのだということがわかる。
普通ならここで「あれおかしいな」と思うのだろうが、多分「是が非でも通さなければならない事情」があるのだろう。そこでつい「安倍は独裁政治を目指しているので、人権を蹂躙しようとしているのだろう」と思いたくなるのだが、どうやらそうではないのではないだろうか。
安倍政治の一番の問題は「関係性」が「事実関係」を壊してしまうというものだ。
例えば、TBSの報道特集で田原総一郎が面白い話をしている。去年の秋(安保法制が通ってから後のことだ)の首相の発言を紹介している。

「大きな声じゃ言えないんだけど、憲法改正をする必要がなくなったんです。集団的自衛権の行使を認めたらアメリカは何も言ってこなくなった。多分アメリカは満足してるんだと思う。」

田原さんが嘘をついているのでなければ、憲法を歪めてまで安保法を通したのは、戦争をしたかったからではないからということになる。多分自分より上位のもの(この場合はアメリカ)にいろいろと言われると「気が気ではなくなってしまう」のではないか。しかし、その人のいうことを聞いてしまうと、いろいろと無理が出てくる。そこで理屈を歪めることになってしまい、全体の議論が大混乱してしまうのだろう。当初安倍首相は「正攻法」で憲法を改正しようとしていた。第9条をなくしてしまえばアメリカのいうことを聞けるからだ。
これを考え合わせると、安倍首相は検察や警察に何か弱みを握られているのかもしれないと思えてくる。確かに「何か怪しいことを考えていそうだ」という人を軽々と逮捕できるようになれば捜査は楽になるだろうし、冤罪も減るだろう。冤罪であっても「けしからんことを考えていたことは確か」という理由で有罪にできてしまうからだ。だがこんなことをすれば法律の体系はめちゃくちゃになってしまうかもしれない。その危険性を首相は認識しているはずだ。となると、全体の議論を破壊してでも通さなければならない理由があるのだろうということになる。
こうして、憲法も司法も教育も、つまり私たちの生活を支えている秩序というものがめちゃくちゃに壊されている。もう、こんなことはうんざりである。
 


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