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不関与層と憲法改正論議

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最近、豊洲の問題とか憲法の問題などについて考えていて壁にぶつかっている。
例えば、全く関係のない人たちが豊洲問題について後出しジャンケンのように意見を言い出すのはなぜかという問題がある。部外者なのに意見が言えて当然だと考えている人がたくさんいるようなのだが、豊洲移転は少なくとも形式上は民主的に決められてきた。つまり、都民なら当然豊洲の決定には関与しているはずだし、そうでない人たちには関係のない問題のはずだ。だが「責任を持って決めました」という人が誰もいない。
この現象を合理的に理解しようとすると、都政には「自分たちは都政には関与していない」という意識の人たちが大勢いて、何か問題があると騒ぎ出すということになる。
もともと政治関与しない人たちは「ポリティカルアパシー」などと呼ばれてきた。つまり政治的には無力だと考えられてきたのだ。しかし、彼らの物言いを見ていると上から目線でとても「無力感」を持っているようには思えない。実際に話をしても「自分たちは政治的に無力だ」などとは思っておらず、ワイドショーなどを見ながら政治家を下に見ているような様子すらある。左翼系の人は首相を「安倍」と呼びつけにするし、右翼にいたっては天皇すら利用すべき存在だと考えているようだ。こういう人たちをアパシーと言って良いのだろうか。
実際に日本人がどの程度の政治参加意識を持っているかはわからないのだが、なぜか若者に関する調査だけは幾つか見つかった。両方とも内閣府の調査のようだ。これを読むと、若者は自分の将来には希望が持てず、政治にも関心はないが、自分の関係することだけには意見を聞いて欲しく、自国に対する肯定感だけは高いという、めちゃくちゃな若者像が浮かび上がる。社会貢献したいという人はそこそこいるようだが、具体的にできることを思い浮かべられる人は少ないという分析もあるようだ。(内閣府不破雷蔵
どうしてこうなったのかはわからないものの、直近の政治状況が影響しているのは間違いがなさそうだ。NHKの2004年と2014年の比較調査では「政治への参加意欲」は減退しているという結果が出ている。レポートは民主党政権への失望とアベノミクスの一応の成功で「今のままでいい」と考えている人たちが増えているのではないかと分析している。「俺たちは関係ないから勝手にやってくれ。でも今の制度は壊すなよ。」と思っている可能性があるし、無力感の裏返しとして仮想万能感がある可能性も高い。
共謀罪ができて政治について話せなくなれば、彼らは黙って従うだろうなどと思う人もいるだろうが、そうはならないのではないだろうか。政治にコミットしない分、政府には何の義理もないわけで、国民を何かに動員しようとしても動いてはくれないはずだ。
左翼の人に自国の素晴らしさを説くネトウヨの人たちは、具体的に社会に貢献をするつもりなどないという可能性がある。
独裁国家が独裁国家してやって行けるのは、独裁者たちが独占すべき富を持っているからだ。多くの場合それは天然資源である。現在、独裁が懸念されているのは政府が国家予算を独占しているからなのだが、その半分は国民からの借金で、これもいつまでも続かない可能性が高い。唯一、持っているのは勤勉な国民だが、独裁希望の人たちはそれに気がついていない可能性が高い。
ただ、「上から目線で無関心」という人たちがこれほど多い国というのは世界中探してもどこにもなさそうだ、この人たちがどの程度いて、政治にどんな影響を与えるのかは誰にもわからない。
ただ、アベノミクスを見ていると、自分たちのリソースは確保したままで社会には還元せず「お手並み拝見」としている人たちが多いようには思える。
その意味では憲法改正議論ができるタイミングになっているのかもしれない。憲法ができたときには「民衆の憲法だ」と考えられ、多くの国民に支持された。だが、政治にうんざりした今となっては、誰も政治に貢献したり決定に責任を持とうとは考えていない。だから「勝手にすれば」ということになる。ただ、結果が気に入らないと大騒ぎになるし、権力を独占しても、そこは空っぽの空間かもしれない。