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フロイトの嘘

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今、私達はいくつかの戦争に囲まれている。散発的に起こる戦争、国民を巻き込んだ戦争の可能性、そして平和の意味を巡る情報戦争だ。しかし、現在の状況がどのようなものなのかというのは、渦中にいる人からはよく見えない。で、あれば別の時代を検証してみようというのが、この文章の主旨である。
過去、国家間の戦争は肯定されていた。そして、戦争は当たり前のことだったので、その結果精神を病むような人は弱い人だと考えられていたらしい。
フロイト – 視野の暗点』という本を読んだ。フロイトの学説というよりは、学説を作り出したフロイトそのものを批判している。著者はフロイトの理論は壮大な物語だと考えている。
フロイトは幼少期に母親の充分な愛を得られず、それが原因で女性に屈折した感情を持った。結果、女性を蔑視するようになり、精神的な不調の原因を幼少期の体験と性に結びつけた。フロイトは都合のよい症例だけを収集しただけではなく、自分を賞賛する人たちばかりを回りに置いて、学説に異を唱える人たち(例えばアドラーやユングを含む)を次々と粛清した。
フロイトの理論が有名になったのは戦争の影響があるらしい。フロイトの理論を使うと、戦争で精神を病むようになった人のことをうまく説明することができたのだ。
第一次世界大戦ははじめての近代的な戦争だ。この戦争の結果、多くの「発狂者」が出るのだが、当時の医学はなぜ人々が狂うのか理解できなかった。「体に異常がないのに、どうして肉体的な不調を訴えるのだろう」という程度の理解だったのだ。
フロイトの学説と「無意識」という概念はこの状況を説明するのに役立った。フロイトの理論は、最終的には「幼少期の体験が重要であり、幼少期にトラウマがあると戦争で精神が破綻しやすい」と理解されるようになった。戦争から帰って来ても精神が破綻しない人がいるわけだから、戦争の経験がどれだけ過酷かどうかは考慮されなくて良いということになる。つまり、フロイトの学説を用いると戦争で狂った人を「自己(あるいは育てた親の)責任だ」と片付けることができるのだ。
この自己責任論は1978年にアメリカで否定される。ベトナム戦争の初期にはPTSDを発症した患者に対して「それはこの人とその親」が悪いのだという一種の自己責任論がまかり通っていた。著者は自らの体験を通して、フロイトの残した悪影響を実感していたのだろう。
本では触れられていないのだが、当時のオーストリアの状況も大きな影響を与えていたのではないか。断続的に続く戦争の結果、オーストリアはドイツ圏を離脱し、スラブ・マジャール系の人種と共存せざるをえなくなる。結果、ハンガリーと連邦することを選択するのだが、ウィーンは多民族都市になった。ドイツ人は大ドイツを離脱し、地方出身のユダヤ人は出自と地域共同体を自発的に失ったわけだ。フロイト一家も地方から出て、ユダヤ的な伝統から切り離されたのだった。
やがて「自分たちは何者なのかという問いは第二次世界大戦を経て現在のEUにまで受け継がれる。ヨーロッパは二つの世界大戦を通じて、近代化された戦争はやがて人類を滅ぼすだろうという認識を持つようになった。日本人にはゆきすぎに見える経済統合はその産物であり、ギリシャ危機もその延長線上にある。
お互いの潰し合いにしか過ぎない欧州の国家間戦争も、当時はむしろ国民の支持を集めていた。こうした戦争で精神に変調を来すことがあるのは、「むしろ仕方がない」こととされた。支配者たちが自分に都合のよい理論を大衆に押し付けたわけではない。大衆も精神が破綻した弱者と自分たちを比べる事で「彼らよりは強い」と思っていたのかもしれない。著者はこうした正当化にフロイトに理論が役に立ったと言っているのだ。
現代の私たちも「不必要な戦争」を正当化する理論を探し求めているのかもしれない。当時のヨーロッパ人が統合されたヨーロッパのようなものを想像できなかったのと同じように、現代の私達も統合された東アジアというようなものを想像できないからだ。