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自己責任を主張して記者を罵倒する大臣のビデオがさらされる

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今村復興大臣という方が炎上している。

ある記者が(一部の報道ではフリーだという)福島県から自主避難している人たちの困難を訴えているのだが「そんなものは自己責任」だと吐き捨てた上に、最後には記者をボールペンで指して罵倒した上「2度と来るな」と罵倒して去ってゆく。ビデオはまだ11万回程度しか再生されていないので「炎上」とまではいかないかもしれないが、まあネットで騒ぎになればテレビも取り上げざるをえなくなるだろう。
ピンときて調べてみたが、この人も安倍さんのお友達だった。つまり日本会議や創生日本などに所属する「保守政治家」なのだ。さらに九州(佐賀県)の選出だった。自分が九州出身なので「九州の政治家はこういう居丈高な人が多い」とは思われたくないのだが「異論は認めない、お前黙っていろ」みたいな人が多いのは確かである。
自称保守政治家には2つ特徴がある。1つは政治脳(PQと言っても良いかもしれない)が極めて単純で複雑さを扱えないという点だ。民主主義というのは多様な価値観をぶつけ合う作業なのだがそれを扱うだけの能力がないのだ。もう1つの特徴は自分の欲望には忠実という点である。日刊ゲンダイの過去記事「今村復興大臣の”怪しい財テク”……」が蒸し返されていた。安倍政権が復興事業で大切にしているのが、被害にあった方々ではなく、企業であることは明白だ。籠池さんというお友達でさえ平気で切り捨ててしまうのに、原発事故で被害にあった人たちなど気にするはずなんかないのである。
「身勝手な人」をみたら保守なんだなと思えばいいし、保守政治家を自認する人を見たら「この人は身勝手で相手への思いやりなどない人なんだな」と思えばいい。ボスにへつらい、目下を切り捨てるのが保守なのだろう。ニュースの中では「何かに頭を下げる」絵が使われているのだが「国旗に頭を下げている」という説がある。国家とは自分たちが利用できる権威であり、決して有権者のことではないのだろう。有権者は彼らにとっては統治して搾取すべき対象なのだ。
だから「保守をみたら泥棒と思え」だと考えて間違いはない。
一方で。ジャーナリズムを取り巻く環境は大きく変わったなと思う。この質問をした人はフリーのジャーナリストだということになっているそうだ。こうした人たちが例えば「売名して本を売りたい」と考えて、玉砕覚悟で記者会見に乗り込んだとしても、いったんフッテージの取得に成功さえしてしまえば、ある程度名前が売れる。テレビ局はフリーライドされることを嫌っていて(自分たちがフリーライドするのは平気みたいだが)名前を出さないが、フリーの人たちが独自ネタを掴んでしまえば、要求に応じざるをえなくなる。
ポイントになるのはすべてのジャーナリストを抱き込むことなどできないということと「安倍側」につくのがどれだけトクかという点だ。寿司友と指摘されたジャーナリストたちは世間の反発にさらされておりだんだん元気が無くなってゆく。どう考えても無理筋の擁護すらできなくなってしまうからである。一方で「反安倍」にいたほうが記事が売れ、世間の共感を集めるという状態になってきているのではないだろうか。
つまり、ジャーナリズムの世界ではテロを働いたほうが割がいいという世の中になっている。だが、実際に保守政治を破壊しているのは安倍首相なのだろう。このままどんどん破壊行為が続いて「保守という名前を使って周囲に威張り散らす」ような人たちが消えてなくなればいいんじゃないかと思う。そうでもしないと「魚食文化のような先祖の暮らしや伝統を次世代に継承して行こう」みたいな本物の保守政治家が出てこれないのではないだろうか。
 


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