猪瀬直樹さんというかつて一世を風靡したノンフィクションライターの方がいる。だが、寄る年波には勝てなかったようだ。かわいそうにと思った。
僕の友人でも、築地は外人観光客が見学に来る日本の文化の発信地だ、と錯覚しているから記しますが、単にワイルドで不潔な「(彼らにとっての)アジア」を見に来ているだけです。我われが途上国でそうした場所に行きたがるように。先進国では市場は密閉空間が常識です。
— 猪瀬直樹/inosenaoki (@inosenaoki) 2017年3月30日
1990年代のアメリカには過剰に日本文化を持ち上げる人たちが多かった。日本人はローフィッシュのように低脂肪のものを食べているからスリムでかっこいいというような印象があったのだ。マリブには日本食を食べさせる「サムシングズ・フィッシー(魚料理が出てくるのだが、フィッシーには怪しいという意味がある)」というふざけた名前のレストランがあり(2003年に閉店したそうだ)、そこの常連だというのを何人にも自慢されたし、碁はマインドフルネスに良いというようなわけのわからない話も聞いた。アメリカのエリートは体に気を使うのがかっこいいとされているので、当然健康的な食事を取らなければならず、ということは箸が使えたほうがエライということになっていた。当然、築地はそうした外国人の聖地なのである。
こういう風に過剰に持ち上げられた感覚を例えるのは難しいが、インド人に「俺は広尾のインドレストランの常連で、手づかみで辛いインド料理を食べられるんだぞ」と自慢しているのと同じ感覚かもしれない。インド人が「インドはカレーばかりで恥ずかしい」と思っていると「なんかバカにされている」と思うかもしれないし、インド料理は単に辛いわけではないですよと言いたくなる可能性もある。インド人も外国人の前だと手づかみしないことがある。スプーンを使ったほうが文化的だという概念はあるからだ。だが、多分自慢している日本人は本当にカレーが好きで、辛いカレーが食べられるのが嬉しいだけで、他意はないに違いない。
このノンフィクションライターさんはこうした多様な価値に触れることができなかったのかもしれない。多分アメリカとの接触はあったと思うのだが、当時のアメリカ人はステーキとハンバーガーしか知らなかったのかもしれないし、山盛りでてくるフライドポテトとコーラに豊かさを感じてしまった世代なのかもしれない。
この発言を聞いて石原慎太郎氏の発言を思い出した。彼も築地は単に汚い場所にしか思えなかったようだ。こちらがモデルにしていたのはフランスらしい。パリの内陸に市場があるのだから、築地を多摩に持って行ってはいかがかというような話をしていたのが思い出される。
日本人観光客はフランスのマルシェに行ったりするのだが、これも現地のひとたちからみると「前近代的で小汚い屋台」なのかもしれない。だがフランスの人はこのように日本人が来るのを恥ずかしいと思っているとは考えにくい。それは彼らが他の文化と比較して「自分たちは恥ずかしいなあ」などとは思わないからだろう。
このように考えて行くと、築地移転の問題の背景には「アジア性という恥ずかしさを払拭する」という極めて昭和的な感覚があった可能性もあるんだなあと思った。平成に入ってから外国に接した世代の人たちにとってはなかなか共有しがたい感覚だ。平成の初期は逆に日本人が過剰にもてはやされていた時代で(それなりに差別もあったが)日本人と付き合うのはかっこいいというような時代だったからだ。
そう考えると、今の「愛国右翼」的な人たちは、外国と接しないまま「アジア的なものは恥ずかしい」という感覚を昭和の人たちから受け継いでいるのかもしれない。自己肯定感が得られないから、過剰な対応をしてしまうのだ。
ただ、こういう感覚を持ったままで外国人と接すると対応がちぐはぐになってしまうかもしれない。多分、外国から日本にきている人たちは好きで来ているわけだし、彼らには彼らなりの価値観というものがあるのだ。それを間違えて脳内で勝手に反応すると、このノンフィクションライターさんのように、わけのわからない羞恥心を抱えてしまうのかもしれない。
例えば福岡市では1974年生まれの市長が屋台(これも古くて汚く「アジア的」で恥ずかしいという意見があった)の観光化が進められたようだ。お役所的なやり方に文句も出ているようだが、首長の世代によって、アジア性の扱い方が変わってくるのが面白いところだ。