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菅官房長官が大本営化しているのではないかという話

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昨日の一連のニュースを見ていて菅官房長官が大本営化していて危険だなあと思った。大本営というと戦況をごまかして発表したことが想起されやすいが、ここでいう大本営化は意味合いがちょっと異なる。まあ、権威主義的に民主主義を捉えている人は「菅さんは嘘つきだ」という意味に捉えてもらっても構わない(ゆえにここから先は読まなくていい)のだが、組織の仕組みに興味のある人はちょっと読んで行って、自分たちの組織が「大本営化」していないか検証してみて欲しい。
Twitterでは森友問題を揉み消すために急ぎでもない南スーダンの撤退をかぶせたという観測が一般的なのだが、なんだかこれだと腑に落ちない。森友問題は籠池理事長というキャラがいるのでテレビに取り上げられやすい。南スーダンは問題にはこういうキャラはおらずテレビが持つとは思えない。ゆえに毒消しにはならないのだ。
だとすると、森友問題が南スーダンの毒消しだったということになる。
政府は南スーダンをリスクだと考えていたが野党に押されて撤退したと思われたくなかったのではないだろうか。つまり「自分たちのやったことは間違っていなかったが役割が終わったので撤退した」としたいが、暇ネタの多いときならばマスコミがネタ探しに騒ぎかねない。そこでマスコミが忙しい時期(森友問題に加えて、東日本大震災がある)を選んで発表してしまったのかもしれない。
ということは森友問題を「キャラの強いおじさんの詐欺事件」として片付けることにしたことになる。野党も南スーダン問題は突かないだろう。ポピュラーな森友問題に夢中になるだろう。つまり、籠池理事長は騒いでも政権に影響しない瑣末な問題だと見たことになる。具体的には森友学園と関係した役所の不始末ということにするが「悪いようにはしない」と言い含めているということが考えられる。
このことは、安倍政権が役所と自分たちの問題を切り離して考えているということを示唆する。作戦と監督が仕事の官邸は「役所が勝手にやったこと」とは言えないはずなのだが、そう思い込んでいるのだ。監督責任を放棄してしまっているのである。
これは自衛隊管理にも言えることだ。どうやら永田町内部の文脈作りだけが議員の関心事のようだ。自衛隊撤退時に長島昭久議員と佐藤正久議員が「PKO五原則は崩れていない」とつぶやいていたのが印象的だった。長島議員は五原則に次ぐ六原則で撤退だなどと言っている。これは一般国民にとってはどうでもよいことなのだが、永田町ではこれが重要なのだろう。
これは大企業でもよく見られる傾向で、作戦を立てる部門が陥りがちな傾向だ。作戦を立てるためには仮説作りが重要なのだが、作戦部門は実践しないので、仮説立案だけが絶対視されてしまう。これが「大本営化」だ。つまり仮説立案チームが広報を担うと「仮説の絶対視」が起こるのではないかと考えられる。すると仮説に合わせて現実の(実際には報告書)の改ざんが行われることになる。
これは統治機能の不全を意味しているのは明らかなのだが、影響はすぐにはわからないだろう。マスコミも大本営しか追わないので、何か起きたときには想定外に思えるはずである。たぶんそのとき彼らは「自分たちは本当のことを知らされていなかった」と居直るのではないだろうか。
仮説は仮説に過ぎないので現実に合わないときには棄却する勇気が必要だ。しかし組織が大きく複雑になるとこれが難しくなるのだろう。