Quoraのコメント欄に「コメの価格が上がっているのは誰かが買い占めているからだろう」という指摘がついた。これを読んで「ああここから説明しないとだめなのか」と感じた。当ブログはコメント欄もそれほど盛況ではないため同じような勘違いをしている人がいても気が付かない人がいるだろう。そこで補足をしたい。
わわわれの社会の経済を自由主義・資本主義経済という。この経済のもとでは価格は需要と供給によって決まる。NHK for Schoolが需要と供給について説明している。高校ではすでに習っているため「当然この程度のことは理解しているであろう」として説明をしなかったことで混乱が生じたようだ。
コメの価格が高騰しているのは誰かがコメを買い占めているからだと言うのがコメント欄の指摘で「なぜ独占禁止法で処罰できないのか?」と怒っていた。
何らかの理由でコメが足りないということになると少し高くてもいいからコメが欲しいという人が出てくる。これによって価格が吊り上がり需要と供給によって自動的にコメの価格が決まる。これを「神の見えざる手」などと言ったりする。
そもそもコメの価格は高騰していないという人がいる。議論そのものには若干疑問があるが資料は使えそうなので山下一仁さんの記事を参照したい。
もともと米価は食糧管理法のもとで政府が決めていた。ところが1980年代の終わりごろに自主流通米(黄色で示されている)が始まる。おそらく高く売れるコメがそこに流れたのだろう。政府買入れ価格よりかなり高い価格で自主流通米が流れたため結果的に自主流通米の価格が上がった。現在の米価はこのときの価格に近づいている。
おそらく何らかの理由でこの制度が行き詰まり「相対取引価格」と呼ばれる新しい体系の米価に切り替わっている。
ところがこの間米価は一貫して下がっていた。そして一旦下がるとなかなかもとに戻らなかった。
おそらく日本では何らかの理由で価格の上方硬直性が働いている。卸・小売からすれば「自分だけが価格を上げることでお客さんから嫌われるかもしれない」という恐怖心が働きなかなか価格が上げられない。これがいわゆる「デフレマインド」だ。
ところがこのデフレマインドは意外な理由で終了した。南海トラフ地震をきっかけにして「米が足りないかもしれない」という恐怖心が働き店頭からコメが消えた。
ではなぜコメはデフレマインドを超えたのか。コメを常食する家庭(おそらく高齢者が多いのであろう)は多少高くてもコメを買う。また牛丼チェーン店や弁当屋などもコメを仕入れざるを得ない。つまり生活必需品であるために多少高くてもコメを買わざるをえないし、おそらくそれを買う余裕もあるということだ。
これまで価格が低く抑えられてきたため何らかのきっかけさえあれば生活必需品ほど急速に価格がもとに戻る可能性が高い
状況が作られていると言えるのかもしれない。
しかしながら我が国は失われた30年を経験しており市場原理による価格の調整に慣れていない。また高度経済成長期のコメの価格は政府が統制していた。こうした状況は政府がコメの価格をなんとかすべきだという要望になって現れている。
これを踏まえて当ブログでは
みなさん石破政権はコメの価格も管理できていないんですよ、ヒドいですねえ。
と書いている。
中には「そもそも自由主義経済のもとで価格を管理するとは何事だ?」という反論も予想されるが、これは真っ当な反論だ。ただしコメが日本人の主食であると考えると需要と供給のバランスがちょっと崩れただけで価格が簡単に2倍になってしまう状況はなんとかすべきではないのかと考える人もいるだろう。更に左派の人たちは「生活必需品は政府が管理し不足分は国庫から補うべき」と考えるかもしれない。これは経済問題ではなく憲法25条の問題だというわけだ。
しかし、そもそも「価格というものは需要と供給により調整される」という前提知識さえない状態ではこのような議論は起こりようがない。
さて、この話には続きがある。それが政府の説明の稚拙さだ。政府は「コメはどこかに消えた」と言っている。その消えたコメの総量は21万トンということになっていた。
このあと「実はJAなどが確保できていたコメのうちどこかに消えたのが21万トン」とわかってきた。まともな人ならば「おそらくJAが買い負けているのだろう」と考えるはずだ。食糧管理法が終わるまでの時代の政府統制価格と自主流通米の価格の相違を考えると似たようなことが起きている可能性がある。これは政府による価格管理が終わっているにも関わらず(しかも30年も前に)農水省とJAが未だに管理体制に拘っていることを意味する。
そしてこの買い負け分は23万トンにまで拡大している。政府は限られた人たちだけが参加できる制度を使ってこの不足分を備蓄米を使って補おうとしている。仮にこれが単なる買い負けの結果であるならば「消えた米」は高値で誰かに買い取られていることになる。高く売れているものをわざと安くする業者はいないのだからコメの価格は下がらないということになるだろう。
現在の米価は「社会主義的統制」と「市場原理」の入り混じった状態になっているためどうしても価格統制に無理が生じる。これを無理やり抑えているため何かあったときに急激に価格が変化するのであろうということがわかる。
しかし冷静になって考えてみると、この問題を冷静に整理したマスコミ報道は見たことがない。単に「スーパーのコメの価格が上がったから大変だ」とか「そうは言っても農家も大変なんだ」という感覚的な報道ばかりが繰り返されている。
また、政府も半管理農政が破綻しつつあるということを認めたくないために、半ば虚偽の大本営報道を繰り返している。これでは国民的議論が喚起されるはずもない。また野党にはまともなシンクタンクがないため政府のでたらめな主張に対する反論もない。
中学・高校レベルの経済減速が理解できないという問題はありつつも構造分析によって現状を理解するという意欲のなさのほうが問題としては大きいのではないかと思える。そしてこれは誰かが悪いというより日本人の国民病のようなものだ。問題が起きると精神論で乗り切ろうとするのだ。
問題が起きると分析せずに精神論で乗り切ろうとするのは日本の国民病だ
なお、独占禁止法は市場によって決定されるはずの価格を地位を使って意識的に歪めることを禁止している。つまり「価格は市場によって一意に決まるべき」という原則を理解しないとなぜ法律が存在するのかを理解できない。
Comments
“米の価格高騰についての補足” への2件のフィードバック
一部の買い占めしている人(世間的に言うと転売ヤーと呼ばれる人)たちは、あくまで今の状況で儲けるために乗っかっているけど、それが高騰の主な原因とは思ったことはないですね。米を保管する場所の確保やコスト考えたら、それほど価格を吊り上げるほどの量を買い占めるとは思えないからです。
そういえば、デイリー新潮で「農水省の「コメ不足」説明は「ウソ」ばかり! 買い占めや転売のせいではないという重大な指摘」という記事を読んだことがあるのですが、その記事では消えた米は買い占められたのではなく「先食い」したために消えた、つまり供給量が不足しているから値段が上がっていると書いており、政府は「米トレーサビリティ法」という制度で米を管理しているから確認すれば分かるのに、分からないふりをしていると主張していました。
実際に「米トレーサビリティ法」で把握しきれるかは分かりませんが、テレビでは見られない視点で面白いなと感じました。
トレーサビリティ制度。そうなんですか。「わからない」より「わかっているのに伝えない」ほうが罪は重そう。実際に調べたところ「把握しようと思えばできるがそれをやっていない」ということなんですね。あくまでも何かあったときの責任追及の手段なので全数全量調査は想定していないということなんでしょうが、IT化も進んでいないでしょうから「帳面を目視してFAXで報告させて……」みたいなことになるとまあ把握なんかできないですよね。