トランプ大統領がマスクファーストを宣言した。アメリカ合衆国は新しい王国になりつつあり、王が「明日からピエロの歩くように歩かなければならない」といえばそうしなければならない。しかし、その王国は極めてグロテスクで奇妙なものに見える。この異様さはどこから来るのか。
トランプ政権の第一回閣議が行われた。緊張の面持ちで出席する閣僚たちの前に野球帽とTシャツ・ジャケット姿のイーロン・マスク氏が現れ自分の業績を得意げに吹聴。トランプ大統領はうっとりした様子でそれを眺めていた。
一種異様に見えるのだがその異様さがどこから来るのかは簡単には説明できない。
トランプ氏は「マスク氏の命令に従わないものはバブルの上にいる」と主張した。英語では「危ない・当落線上にいる」という意味だそうだ。しっかりとした足場ではなく「泡」によって支えられているという意味なのだろう。そしてマスク氏の命令に従わないものはここから出てゆけと閣僚たちに申し渡した。かのリアリティ番組「アプレンティス」の一コマと説明されても「ああそうなのか」と感じてしまう。
アプレンティスは「見習い」という意味。閣僚はトランプ氏がいつでもクビを斬れる「見習い」でしかなく、その上にマスク氏が君臨している。マスク氏が自分を権威をひけらかすためには「黒いものを白」と言えばいい。周りの人はそれに従わざるを得ない。大統領が明日からピエロが規範だからみんなピエロを真似して歩くようにと命令すれば周りは従わなくてはいけない。つまりマスク氏が奇妙であればあるぶんトランプ大統領は自分の価値を感じることができる。
これがトランプ大統領の「うっとりした眼差し」に現れているように思える。
このように民選で選ばれた王が司法・行政・立法の上に立つ政体を「単一行政理論」と言う。現在、一部司法闘争に入っているといういわくつきの議論だが何も最近になって出てきた理論ではない。
コルシカに流れた貴族の末裔である戦争の英雄ナポレオンは議会と国民投票の結果、統領から世襲の皇帝になっている。ローマ皇帝ももともとは議会に承認されて大権を受けている。
スター・ウォーズ(1977年公開)の世界観は民選で選ばれた議長が非常大権を手にして皇帝になるというものだった。大統領大権の肥大化を懸念するアメリカらしい寓話である。
トランプ大統領は今のアメリカ人が持つ「経済は全てに優先する」という価値観が生み出した異形の存在だ。このため政府の外にいる(一応形式上は特別職ということになっているが)マスク氏が大統領権威を背景に行政に超越するという姿は大統領が全てに優先するという新しいアメリカの形を象徴している。
ただし、マスク氏1名の事例を以て「アメリカの民主主義は変質しつつある」と考えるのは早とちりというものだ。ベッセント財務長官は「アメリカ合衆国は再民営化の道を歩んでいる」と宣言した。これは物を言う株主が「企業は投資家の利益のために効率化・最適化されるべき」との表現と受け止められている。結果的にアメリカの投資家に当たる国債投資家は米国債を再評価し国債価格が上昇している。ただし減税と引き換えに低所得者向けの保険や援助などは大胆に削減される。
ウクライナのディールもその文脈で捉えることができる。トランプ大統領にとっては戦争は悪であり鉱物利権は善だ。戦争はすべてヨーロッパが負担し、これまでの投資の見返りを要求する行動こそが「善」ということになり、プーチン大統領はいい人ということになる。
共和党タカ派とヨーロッパはこれを逆手に利用し「安全保障と経済を切り分ける」作戦に出ているようだ。ロシアは最終的には反発するだろうが「これまで経済封鎖されてきたのだから経済協力を喜ぶだろう」「ロシアはヨーロッパのウクライナに対する関与を問題視しないだろう」とトランプ大統領にささやきかけている。
トランプ大統領はマスク氏に従わない連邦職員はバブルの上にいる=非常に危険な状態にあると言っている。しかし、トランプ氏はおそらく情報バブルの中にいる。EUはアメリカ合衆国を騙すために作られたと謎の主張を展開している。主張に根拠はない。ただ「並の政治家は騙されるがオレはそうならない」と言い張っている。
情報バブルに包まれ興奮状態で虚実入り交じった主張を展開しているため、彼と彼の支持者の中には一種異様な世界が作られている。BBCはガザのリビエラ化計画のイメージ画像を紹介しているが、一種の不気味さを感じているようだ。普通はディストピアを表現するために使われるような映像を得意げに流している様子に明らかに困惑している。
ニクソン大統領の狂人理論の目的は「アメリカ合衆国の狙いを相手にさとられないため」の陽動策だった。しかしトランプ大統領の狙いは極めてわかりやすい。ただし彼は我々とは全く異なる情報世界に住んでいるため狂って見えるのだ。