8,700人と考え議論する、変化する国際情勢と日本の行方

安倍派の会計責任者の聴取から浮かび上がる「誰も責任を取らない日本」

Xで投稿をシェア

カテゴリー:

安倍派の会計責任者が予算委員会の聴取を受け、指示をしたのは「今は現職でない」当時の幹部だと証言している。塩谷立さんと下村博文さんが当たる。下村さんは「みんなの要望は伝えたが指示はしていない」と半分自白した。予算委員長の会見を通しで見た。安住予算委員長は「犯人探し」を戒めていた。個人を特定して終わりにするのではなく体質問題と位置づけたいのかもしれない。予算委員長としての風格と責任感が芽生えたゆえかもしれないし参議院選挙に利用したいという可能性もある。

Follow on LinkedIn

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで

|サイトトップ| |国内政治| |国際| |経済|






元会計責任者の松本淳一郎さんは「自分が何かを手動できる立場ではない」と考えている。誰かから指示とも要望ともつかない曖昧な意見を伝えられたあとに幹部会が開かれそこで従来通りの方針でゆくと決定されたことからそれに従わざるを得なかったとしている。

  • ああ、そうなったのか、じゃあ仕方がない

ということだ。

松本淳一郎さんは1947年生れ。事務方は政治家のサポートだと考えているようで「立場上こうなってしまったのは仕方がない」と境遇を感受する考えのようである。

おそらく、これを伝達したのは下村博文氏であると考えられる。下村氏が自ら「みんなの要望を伝えはしたが断じて指示ではない」といっている。

ということだ。

更に幹部たちも「違法の認識があると発言してしまうと、自分のせいになる」と考えていた可能性がある。

  • もうそうなっているのだから、仕方がない

ということである。「今はこうなっているし、もうやってしまったことだから」という理由で現状を黙認した。

塩谷立さんも

と言っているし、

石破総理も

と言っている。そうなったならそれが好ましいということだが、自分が主導するつもりは一切ないようだ。

ここまで執拗にコメントを抜き出してきた。いくつかの傾向がわかりやすく見えてくる。

第一に違法性の認識や違和感を表明してしまうと、その人が何かをしなければならなくなる。だから「言わない」という考え方がある。

このため「する」を極端に嫌い「なる」という表現を好む。

そして「そうなっているのだから個人が抗っても仕方がないことだ」と認識し責任を回避する。

日本の文化ではよく見られる「する」を徹底的に排除し「なる」「なったから仕方がない」「もうこうなっているんだから受け入れろ」という文化傾向だ。

例えばこんな事例がある。

  • 少子高齢化になった。仕方がない。
  • 水道が老朽化して地域に住めなくなった。誰のせいでもない。
  • 米がどこかに消えたせいで米が高くなった。困ったことだ。

政治は何も問題を解決してくれないが、これは当然である。政権を担っている政党が責任を取るつもりがない。

小泉進次郎氏は「維新と協力して予算を通すなら結果責任を維新にも担ってもらうべきだ」と言っている。何を言っているのだと思う。そもそも自民党には政治に対して結果責任を取るという考え方はないのになぜ連立相手にだけそれを求めるのだろうか。

ただしマスコミもこの「なる」文化に侵されている。

このため「誰がこの原因を作ったのか」と盛んに追求されていた。

「こうなった原因」を誰かに背負わせたいという考え方は日本人に広く染み付いている。記者たちの質問からは彼らが想定する見出しが見えてくる。「新事実:政治とカネの問題はXXのせいだ」だろう。これで問題が解決したつもりになってしまうのである。

なにか問題が起きると「こうなってしまったのはすべて誰々のせいだ」ということになる。だからますます自分でリーダーシップを取って問題を解決しようとする人が減ってしまうのである。

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで