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日本人は何のために行動するのかを考えるのが苦手

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日本人は何のために行動するのかを考えるのが苦手だ。これは学校教育に問題がある。
そういわれるとどう思うだろうか。日本人などと大きく括った上で決め付けていると考える人が多いのではないかと思う。「また学校のせいにして」という声も聞こえてくる。
さて、最近日経系のウェブサイトで「大学が入試問題を予備校に委託している」という記事を読んだ。ポイントは下記のとおり。

  • 定員を埋めるために入試が複雑化した。
  • しかし、大学教員の数は減っており忙しくなっている。
  • そこで入試問題を作る時間がない。

「これは嘆かわしい」と思ったのだが、今朝記事を再検索して唖然とした。同じような記事がすでに2007年に朝日新聞から出ている。2013年と2014年にも同じような記事がある。
背景には前回見た携帯電話会社の窓口が忙しくなるのと同じ構図がある。パイが縮小しており、生き残りのための奪い合いが起きている。このため制度が複雑化している。都度つどアドホックな「改革」を繰り返した結果身動きが取れなくなってしまったのだろう。かといえ、誰もリーダーシップを発揮しないのでオペレーションが単純化できない。そこでお金を払って誰かにやってもらおうということになるのだ。
自分が教えたい学生の選抜を他社に委託するという滅茶苦茶なことになっている。他社に委託するということは「誰でもいい」といっているのと一緒だ。つまり大学の先生は本当は学生に教える時間を無駄だと考えているのだろう。自分の研究に専念したいという気持ちがあるのかもしれない。
さて、この話、なんだか変だと思わないだろうか。そもそもオリジナルで入試問題を作るのは「ほかの大学とカブらないため」だと思うのだが「なぜカブってはいけない」のだろうか。
当然「パターンを攻略されない」ためだという答えが返ってくると思うのだが、そもそも攻略されるのは、どこも同じような問題を出すからである。学力そのものは共通テストで計測できるはずで、大学が学力を計りなおすのはどうしてなのだろうか。
アメリカの大学では「なぜその学科に入りたいか」という論文を書かせたり、リクルートのためにインタビューをすることがある。熱意が分かると同時に少し話せば基礎的な理解があるかどうかがわかるからだ。エッセイなので他とカブることはない。
つまり、大学は「どんな目的のために何を計測するのか」ということを全く理解しないままで、過去の延長線上で問題を作り続け、忙しくなったてできなくなったからという理由で予備校に泣きついているということになる。
「エッセイなんか読んでられない」という声は予想される。効率的に頭のいい学生を採用すればいいだろうという結果が現在の学力テストなのだが、それが効率的でなくなっているという笑えないことが起きている。しかも、つい最近の出来事ではなく、徐々に大学を侵食しているらしいのだ。
さて、ここで「そもそも目的にあわせた正しい行動さえ選択できない」大学が専門的な知識を学生に教えられるのかという疑問がわく。大学生の半数が大学を卒業する時点でかなりの借金を抱える現状を考えると、共通試験で成績順に番号を振って、勉強はしないで2年程度就職活動させるというのが「一番効率的」なのではないだろうか。あとの2年は企業が教えればよい。すると、専門教育はいらないので大学教員をすべてリストラできる。受験勉強そのものが目的になるので、あとは予備校だけあればいいということになるだろう。