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安保法制の意外な落とし穴

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去年の夏安保法制に反対してあれこれ書いたのだが、結構斜め上から破綻したなと思った。崩れ方が予想とまったく違った。


なお一連のツイートの一部なので、詳しくは原文を参照していただきたい。これによると派遣の前提はほぼ崩れているようだ。しかし自民党政権は南スーダンから撤退できないだろう。稲田大臣の答弁を聞いていてやはり欠陥がある法律だなあと思った。答弁を要約すると次のような感じになる。嘘だと思うなら議事録を見てみるといい。
南スーダンではいろんなことが起きているんだろう。しかし全部を知ってしまうと政府ができたストーリーが崩れてしまうので、聞かなかったことにする。ゆえに私は絶対に間違えない。
稲田さんがあまりにも何も答えないものだから後ろから安倍さんが出てきてあれこれと答弁し、これが「駆けつけ警護」と揶揄されていた。稲田さんが何も答弁しないのは、彼女が弁護士として機能しているからである。
つまり稲田さんは国会ではなく法廷に立っているのだ。なぜ法廷になっているかというと去年の夏に有権者を置き去りにして安保法制を決めたからだ。そのとき安倍首相は「私が判断します」と大見得を切って通してしまった。
安倍首相は自分を政治家だと認識しているためにある程度「判断」して答弁しているが、稲田さんは弁護人なのでクライアントである安倍さんに代わって価値判断はできない。そこで何も答弁せず政府の解釈をオウムのように繰り返す。そこで審議がたびたびストップしてしまう。
ここまで考えると安保法制の欠点が見えてくる。日本人は自分で判断を下したくない。強いリーダーシップを忌避しているからだ。にもかかわらず安保法制はリーダーの状況判断という変数を組み込んでしまった。そこが攻撃ポイントになっている。
状況判断が間違っていないということを証明するためには、最初の条件がそのまま残っているということが重要だ。だからレポートはコピペされ「状況が変わったからなんとかしてくれ」という現地からのSOSは無視される。
布施さんは一連のツイートの中で「国際社会が信用しなくなるから、判断を変えろ」と言っている。つまり、間違った判断を放置するとそれなりのコンシークエンスがありますよとういうことだ。しかし、これは起こらないのではないかと思う。ある日突然「日本は信用力のない国だ」ということにはならず、徐々にプレゼンスを落としてゆくのだ。
だが、影響がないともいえない。
現場のエクセキュータは機能していないので(防衛大臣は執行者でありながら、指揮命令系統のトップではないというとても微妙な位置にいる)突発的な事態には対応できないだろう。ゆえに突発事項は隠蔽されることになり、隠し切れなくなるまでそれが続くことになるだろうと予想できる。
法律と言うのは実は権力の免罪符としても機能している。みんなで決めたことだから、そのプロセスに従って決めたことは守ろうねということだ。マニュアルに従って作業したんだから事故が起こってもあなたのせいではないよねということになっている。社会はある程度の独裁力を与えた上で、責任を減免しているのだ。
一方で、強大な独裁力がある人が社会から裁かれると「大変なこと」になってしまう。韓国はこの点で大失敗しており、代々の大統領が血祭りに上げられている。
「韓国と日本は違う」と言う人がいるかもしれないのだが、同じようなことが東京で起きている。石原慎太郎「前大統領」が批判の矢面に立っている。かつて石原さんを熱心に応援したであろう人も小池さんを応援し石原さんを糾弾する側に回っている。
政府の失策を隠蔽するために国民の権利を制限して言論統制をすればいいのではないかと思う人もいるかもしれない。しかし、これだけ通信環境が発達してしまった国ですべての情報を統制するのは不可能である。主権者と言う認識がなかった戦前でさえ「日露戦争で賠償金を取れなかった政府はけしからん」などと抗議運動が起きている。民衆ってそういうものなのだ。
よく日本を臣民型民主主義と揶揄する人がいるのだが、たぶん有権者は自分たちのことを臣民だなどとは思っていないだろう。野球ゲームの監督のようなつもりになっていてテレビで「あの監督の采配は悪いなあ」などと言っている人が多いのではないだろうか。
ある週刊誌が「安倍に飽きたから小池さんを新しい首相に」というような見出しを出していたが、なんとなく感心してしまった。今はレンホウは駄目だし、ノダも駄目だよねと言っている人も、安倍首相に心酔しているわけではないのだ。これは当時石原氏に心酔し多額の寄付をした人たちがどうなったかを考えると良く分かる。
この問題を見ていて思うのは、関係者が「党派性」とか「集団内での序列」に強い関心を持っているにもかかわらず、課題(南スーダンの難民をどう救うかとか、世界をどう安定させるか)には全く関心がないということだ。
国会の<議論>は「安倍政権が正しかったか」と言う点に焦点があり、実は南スーダンにも自衛隊にも全く関心がない。同じことは経済問題でもおきており、国会の興味は「アベノミクス」は正しかったか正しくないと言う、どうでもいい点にある。
安倍政権が法律に内閣の強いリーダーシップを組み込めば組み込むほど、国会は何も解決できなくなるだろう。それでも国内問題はまだ問題を起こさないかもしれない文脈をコントロールできるからである。日本は状況がコントロールできない状況下で失敗する。国際紛争や国際的な金融環境の変化などがそれに当たる。