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日本で緊急事態条項はなぜ不必要なのか

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日本に緊急事態条項はいらない

今日は「日本では緊急事態条項は作らないほうがいい」という話を書こうとしている。たいていは「安倍が戦争を起こすからだめ」と説明されるのだが、これは「わからないけどとにかく反対」という意味にしか過ぎないのではないか。つまりよくわかっていない人が多いのだ。多分日本で緊急事態条項が危険なのは、それが日本人に向いた意思決定プロセスではないからだ。順番に考えてみよう。

二元代表制をストップするのが緊急事態条項

アメリカで大統領が暴走を始めた。大統領は一人しかいない。つまり、多くの意見は無視されて最大多数派の意見のみが採用されるということを意味する。究極の小選挙区だ。これを阻止しているのが議会と司法である。議会は民主的に選ばれているのでこれを「二元代表制」という。「色々な可能性を考えてじっくりやったほうがいい」ことと「決めたらさっさと実行して効果測定して責任を取る」プロセスが分離しているのだ。
緊急事態には「じっくりプロセス」が停止する。それは危機的状況では意見を民主的に集約している時間がないからだろう。つまり、二元代表を一時的に一元代表にするのが緊急事態条項だ。
ヒトラーの場合にはすこし状況が違っている。もともとヒトラーは議員だが、全権委任法で大統領と議会の両方を無効化した。チェックが働かなくなり最終的にドイツは再び破綻への道を進むことになった。
共通するのはどちらも「俺に任せてくれればなんとかしてやる」という個人が前提になっている。これが権力を掌握するのが緊急事態である。

そもそも二元代表が働きにくい日本

では日本はどうだろうか。日本は議会が内閣を選ぶ仕組みになっている。つまり内閣総理大臣は議会多数派の総意によって選ばれている。一方国家元首の位置付けは曖昧である。この内閣が議会の機能を停止するというのが日本型の緊急事態条項だ。そもそも最初からチェックが働きにくいのである。
にもかかわらず、議員そのものが「議会を止めないと何もまとまらない」と考えていてそれを国民に訴えようとしているのは、議会そのものが日本で失敗しつつあるということなのではないかと考えられる。野党が機能していないので意見集約ができない(いつまでも反対し続けている)という事情もあるのかもしれないし、党派でまとまると個人の判断で妥協ができなくなるという事情もあるのかもしれない。
こうした曖昧な状況が作り出した最大の破綻が第二次世界大戦だ。もともと二大政党の議論が膠着し続けていたことが根幹にあった。金融政策がうまくゆかず経済が安定しなかった。そこで大陸に侵攻したところアメリカと利害がぶつかり資源輸入を封鎖された。議会も内閣もこれを解決できなかったので軍が暴走し出口戦略のない戦争に巻き込まれた。
これを一般化すると、責任が不在で長期的な戦略が何もないのになんとなく話が進んで行った結果、行き詰ったということになる。「なんでもかんでも第二次世界大戦を持ち出して……」とうんざりする人もいるだろうが、同じようなぐだぐだは多いなあと感じている人は多いのではないだろうか。

日本人は集団思考で失敗する

例えば原子力政策は破綻していて「誰が原発廃炉の処理費用を被るか」という話になりつつある。電気料金が税金化しているわけだ。これはなりゆきを積み重ねてゆくうちに、出口を見失ってしまったことを意味する。データセンターのような事業は日本ではできなくなるだろう。電気代が高すぎるからだ。内部の話し合いの過程は曖昧で責任者も不在だった。にもかかわらず「なんとなく」話が進んでいたのである。そのうちに「何かあったときどうするか」とか「やがて廃炉になるんだがどうしよう」という問題を全て無視してしまうようになった。これを「集団思考」と呼ぶ。
豊洲の問題もそうだ。結局「誰が何を決めたのか」がはっきりしない。にもかかわらず豊洲移転が既定路線だった。計画もずさんで現状調査すらまともにできず(多分、調査費用という名目でバラマキが行われていた)最終的に破綻した。多額の費用がかかったようだが、これは全て都民が負担する。「どうして誰も責任感を感じなかったのか」と思うのだが、これが集団思考の恐ろしさなのだろう。

二元代表制ですら責任が曖昧になるほど強力な「ぐだぐだDNA」

政治に詳しい人なら都政は二元代表制だから、議院内閣制の分析は当てはまらないのではと思うかもしれない。だが日本の意思決定機構には「ぐだぐだになるDNA」が組み込まれている。ぐだぐだという言葉は価値判断を含んでいる。もっとニュートラルな言葉で言うと「強いリーダーシップ」と「急激な変化」を嫌う。パワーディスタンスが小さく、リスク回避傾向が高いという言い方もある。
例えば都知事は名誉職化しており、究極の無能である石原慎太郎氏は国の問題に口を出して話をややこしくするのに忙しかった。多分意図的に都議の既得権益を侵さない人が選ばれたのだろう。議員に予算の一部を配っていたので、議会は石原都政をチェックしなかった。こんな石原氏の失敗には新銀行東京などがある。銀行などやったことがない人が中小企業に闇雲にお金を貸してしまい、多くが焦げ付いてしまったのである。
国政でも同じようなことが起こっている。安倍政権は海外にお金を配り続けておりこれを「外交」と言っている。ついにはトランプ大統領にもお土産が必要だから投資を表明すると言い始めた。

とりまとめる政策には、日米両国が米国内でのインフラ(社会資本)投資に共同で取り組み、雇用増を図る方針を明記する方向だ。ほかにも複数の分野で日本企業の持つ高い技術を提供することで、「ウィンウィンの関係を作る」(安倍首相)ことを目指す。(読売新聞)

こうしたことが許されるのは、海外援助が本予算ではないので議会の承認を得ないで済むからだ。新聞も調査をしないので(新聞は都政の問題も政局化するまで報じてこなかった)結果的にやりたい放題になってしまう。ただ、焦げ付いている援助も多いようだ。だが、議会のチェックを受けないので焦付きが表ざたになることはないのである。
つまり「緊急事態条項」はこうした「ぐだぐだ」を隠蔽するために使われる可能性が高い。なぜ行き詰まるかというと意思決定プロセスが不具合を起こしているからで、民主的に意思決定機関の構造を変える必要がある。ところが緊急事態条項を使われると民主的なアクセスが不能になるので、あとは破綻に向けて突き進む可能性が高くなる。小池都知事が出てこない豊洲問題みたいなものである。
ゆえに日本では緊急事態条項を作らないほうがいいということになる。
さらに言えば、日本人には緊急事態条項は必要ないかもしれない。第二次世界大戦に突入する時期には内閣が組閣不能になり最終的に「党をなくす」ことで乗り切った。つまり緊急事態が必要になるとトップリーダーが責任を投げ出してしまう可能性が高いのだ。第二次世界大戦は最終的に天皇に泣きついたわけだが、今回安倍首相がなり振り構わずトランプ大統領のご機嫌をとっているのを見ると、最終的にはアメリカに決めて欲しいと思っているのかもしれない。
民主的なプロセスで立候補するわけではないから、独裁の覚悟もないのだ。


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