先日、中居正広氏の件に関して「日本人の議論は情緒的で問題解決志向がない」と書いた。たださすがに「特殊な一例を挙げて日本全体をあげつらうのはどうか」という批判がでるのではないかとも感じる。
ここでは自民党の例を挙げて情緒的な反応について考えてみたい。自民党で「裏金」に対する危機感が募っているという。しかし実際には危機感が募っているだけであり何もしていない。野党は逆に「自民党が悪い」という印象をつけようとしているが国民の関心は徐々に裏金から離れつつある。
時事通信が「裏金飛び火、自民に危機感 都議会でも発覚、野党追及へ」という記事を書いている。東京都連でも裏金が発覚した。自民党は会計責任者を検察に差し出し手打ちをすることを選択したようだ。
野党はこれをチャンスと捉えており安倍派の会計責任者を予算委員会に呼び出そうとしている。会計責任者は裁判の中で名指しこそしないものの「ある幹部から指示された」と明言している。安倍派の幹部たちは申し開きの場が与えられたものの「自分たちは知らない」と言っており誰かが嘘をついているのは明らかだ。このため野党の要求そのものは「当然」という気がする。
おそらく石破執行部も「予算を通すためには会計責任者を国会でグリルするしかない」とわかっている。だがその一方で自分たちは安倍派に恨まれたくないと考えているようだ。このため「予算委員長(立憲民主党)が勝手にやるなら仕方ない」という対応だ。リーダーシップなき石破総理に事態収拾の意欲はなく執行部も自民党をコントロールしきれていないことがわかる。
会談後、自民の坂本哲志国対委員長は記者団に「国会の審議入りとは切り離して考えるべきだ」と強調。「参考人招致を予算委員長判断で議決するなら、それを見守る」とも語った。一方、立民の笠浩史国対委員長は「当事者から聞かなければ分からないことがたくさんある」と指摘した。
会計責任者招致に自民反対 野党「予算審議の前提」(時事通信)
本来「目的志向」に立つならば
- 自民党が政権を担うためには信頼回復が需要だ
- そのためには政治とカネの問題で「これまでどのような使われ方をしてきたのか明らかにしなければならない」
と考えるはずである。目的を明確化し協力を仰ぐのがリーダーシップだ。
しかし日本人は目的よりも情緒を優先するため「世間をなんとか納得させつつ」も「内部からは恨まれたくない」と考えてしまう。8億円寄付で世間を納得させようとしたが当然7割以上の国民が「意味がわからない」と反発している。
「上納」が噂されるフジテレビでもバラエティ出身の港社長一派が常習的に行っておりそれを回りが止められなかったのではないかと言われ始めている。港社長一派はなんとか世間を納得させようとして(おそらく)虚偽の説明なども織り交ぜてきた。フジテレビ内部では「危機感」が募っているそうだが、とはいえそれが行動を喚起することはない。外部(外資系のファンド)からの圧力を受けてようやく恐る恐る動きだそうとしている。
日本人が外圧でしか変われないのはなぜか。情緒的な反応に終始する残念な国民性もあるが、誰かがイニシアチブを取ろうとすると「お前だけいい格好するな」と引きずり降ろされてしまう。目的を共有してリーダーに従うことをフォロワーシップという。リーダーシップもフォロワーシップも健全な組織運営には欠かせないが日本人にはフォロワーシップもない。
自民党の場合「外圧」となっているのはもちろん投票結果である。しかし国民の関心は徐々に政治とカネの問題から離れつつあるのではないかと感じる。実は「国民の手取りを増やす」政策を掲げてきた国民民主党の支持率が立憲民主党の支持率を上回った。
この「財源なき」国民民主党の支持率回復は分断の結果である。国民民主党は明らかに現役世代対高齢世代という構図を作り出そうとしている。情緒的な日本では政策的なアプローチは重要視されず「どっちチームなのか」という情緒性が注目されてしまう。
24日召集の通常国会の焦点となる所得税の課税最低ライン「年収103万円の壁」見直しを巡り、どの程度引き上げるべきかと聞いたところ、国民民主が主張する「178万円まで」が36.5%で最多。自民、公明両党が提案する「123万円まで」は15.3%、中間の「150万円程度まで」は24.3%、「103万円のまま」は9.8%だった。
内閣支持、微増28.2% 国民民主、野党トップ―年収の壁「178万円」最多・時事世論調査(時事通信)
結果的に不毛な指のさしあいだけが行われ「政策を持たない地域政党」さえ作られようとしている。
ただ国民民主党の政策には財源がないと指摘するとおそらく「感情的に」反発する人が出てくるのではないかと思う。単に不機嫌になるだけで「財源など関係ない」「そんな言い分は財務省の洗脳の結果だ」ということになり、不毛な議論だけが続くことになる。
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