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日本教が原理主義化するのは左翼の無知が原因だ

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頭が痛くなるツイートを見つけた。明治期以前の天皇は仏式で葬儀を行っていたから、天皇は現人神ではないというのだ。どこから突っ込んでいいかわからなくなった。ツイートした人はこれをフランスの通信社から学んだので拡散してほしいと言っている。
第一に明治期以前の神道と仏教は別々の宗教ではなかった。日本は神道の一部として仏教を取り入れたためにこのようなことが起きた。神道は死を穢れと捉えているために死者を弔う儀式がなく、それを仏教が担ったものと考えられる。なお、仏教には先祖崇拝という考え方はないので、結局現在の「仏式」と言われる葬儀と先祖崇拝はすべて日本式のものだということになる。
いずれにせよ、仏式で儀式を執り行ったとしても、神道を排除することはできないということになる。日本人がハワイでなんちゃってキリスト教式の挙式をしても「神道を捨てた」ということにはならないというのと同じことである。どっちみち彼らの葬儀は仏式だろうし、本当のキリスト教徒は自分の教会で信徒たちと結婚を祝うだろう。
明治期の日本人はキリスト教に触れて「宗教は一神教でなければ恥ずかしい」と考えたようだ。しかし日本には聖典に当たるようなものはなく、絶対神に当たる存在もなかった。そこで急遽作られたのが現在の国家神道だ。
日本の神という概念は西洋のように絶対的なものではなかった。というより、東洋世界の「超自然的な存在」を表す「神」という字をGODの訳語として当てたのがまずかったのかもしれない。つまり「現人神」も神様の一人くらいの認識だった。しかし、戦後GHQが入ってきて「日本ではGODは生きているのか」という誤解があり、話が複雑化したのだろう。
例えば菅原道真は神だが、この人が神になったのは「この人にひどいことをしてしまったので、祟られるかもしれない」と当時の人たちが考えたからである。つまり、この程度でも神になることができたのだ。(土師氏は神別なので祖先は神なのだが「祖先は神ではない」と書いてしまいました。お詫びして訂正いたします
しかし現在の「現人神」は日本教を束ねる司祭長のような役割だが、神を絶対視しなかったので却って現人神などと言えたのだろう。これをキリスト教の頭で見てしまうと、神は唯一の存在なので話がややこしくなってしまったのだろう。日本では岩も神になれるが、だからといって岩が戦争を起こすなどと考える人は誰もいない。
多分つぶやきとしては「ネトウヨ」を牽制したかったのだとは思うのだが、知らないうちに様々なノイズを受け入れてしまっている。ネトウヨは日本の歴史にはそれほど興味がないので、明治期に捏造された物語を信じている。が、これは神道風に仕立てられてはいるが別物だろう。
例えば三原じゅん子参議院議員は日本書紀を聖典だと思っているようだが、あれは天皇家の物語であり神道全体の聖典ではない。加えて言うならば、神武天皇即位を西洋のカレンダーに当てはめたのも明治期らしい。つまり、それまでの日本人は神話を厳密な史実などとは考えていなかったことになる。
そもそも原理主義というのは原点から切り離された時点で発生するのだが、それを許しているのは周囲の無知なのだ。右派はそもそも興味がないので論外だが、左派も無知を通じてネトウヨを援助している。その罪深さについては大いに反省すべきだろう。