今回の非常戒厳でわからなかったことがある。当初非常戒厳は「政治活動が禁止される」と説明されていた。つまり当然国会も開けなくなると理解されていた。しかしその後「大統領は非常戒厳の説明を国会で行う必要がある」と報道されている。大統領はこの憲法規定に明らかに違反しているため「事実上の憲法クーデター」だった可能性があるという結論が導き出せるがそこまでの覚悟もなく6時間あまりの短命に終わった。
ケーブル局のJTBCが内乱罪について取り上げている。全斗煥・盧泰愚氏は憲法規定を無視して国会を封鎖している。後に88民主化につながる光州事件当時の出来事だ。裁判所は盧泰愚大統領の内乱罪を認めているためこれが判例になるという示唆なのだろう。
革新系のハンギョレも同じ考え方をしている。憲法規定を無視して国会を閉じたことは内乱罪にあるという考え方だ。ハンギョレの社説は日本語翻訳されており「「戒厳令宣布・国会乱入」関連者全員を内乱罪で捜査せよ【社説】=韓国」で読むことができる。
日本では「大統領の非常戒厳は憲法に与えられた大統領の権限である」という報道が一般的だが、韓国の憲法においても無制限の権利とはみなされていない。あくまでも民意に対して説明をしなければならないというただし書きがつく。閣僚と韓国軍がこの規定を全く知らなかったとは考えられないのだから憲法秩序を破るクーデターに加担したことになる。
現在誰が積極的に加担し誰が黙認したのかについては情報が錯綜している。
渦中にあったときKBSは韓悳洙首相らの会合が「戒厳令発布に先立って開かれた」と報じていた。閣僚に当たる国務委員たちは辞任を表明しており後の報道では「一部の委員たちは戒厳令発布を知らされていなかった」ことになっている。また首相らが積極的に参加したのか国防部長官と大統領だけが「高校時代のよしみ」で反乱を起こしたのかもよくわかっていない。
いずれにせよ軍隊は市民に銃を向けており(マスコミと見られる女性の胸に銃を突きつけた衝撃的な映像が国際配信されている)軍の責任も問われることになるだろう。
つまり、仮に大統領が今回の弾劾決議を切り抜けたとしても退任後には盧泰愚大統領のような裁判に直面する可能性があるということになる。
ここからは余談として日本の緊急事態宣言について触れたい。今回の出来事で憲法改正派の人々は「日本の緊急事態条項の議論に悪い影響が出る」と直感したようだ。例えば維新の馬場前代表や菅野志桜里氏が擁護のコメントを出している。
ただし日本は議院内閣制のため「大統領が発布し議会が監視する」という枠組みが作りにくい。仮に内閣(議会を代表する)が発布するならば監視機関は国会の外(例えば裁判所や憲法裁判所(今はないために新設する必要がある))に置く必要があるのだろうが、改憲派からはそのような提案はでていない。
特に馬場伸幸氏は一体どの立場からどんな提言をしたのかが全く理解できていないようだ。こんな程度の人が主導していたのが今の日本の改憲議論だったということになる。
しかしながらおそらく日本で最も問題になるのは非常事態宣言の必要性と総理大臣の胆力だろう。
まず戒厳令・緊急事態宣言の本質は軍(日本の場合は自衛隊)を使って国民を押さえるという点にある。例えば東日本大震災のときに国民が政府には向かってきたり治安が乱された場合などには「日本でも緊急事態条項が必要」ということになるかもしれない。しかし日本では政府(当時は民主党)のいささか頼りない対応に対してTwitterで自主的に声を掛け合って統制を保とうとする日本人の姿が目立つだけで、これをきっかけに治安を撹乱してやろうなどという人はいないなかった。
次の問題は「軍事力使ってでも成し遂げなければならないことがある」と政府が覚悟を決めることができるかという点になる。「独裁容認」を前提にして政治家の覚悟について考えてみたい。
同じく議院内閣制のイスラエルではガザの戦争をきっかけに「戦時内閣」が作られている。ネタニヤフ首相は戦争をやめてしまうと首相を罷免され汚職裁判で有罪判決を受ける可能性があり「止まった瞬間に政治的に死んでしまう」状態だ。このため必死で戦争を引き伸ばしている。目的を遂行するためにアメリカの報道機関の直接インタビューを受けたり、密使を送ってヨーロッパの報道機関に軍隊から盗んだ情報をリークさせ記事を書かせたりしている。
一線を踏み越えた以上はどんなに悲惨な最後を迎えようとも構わないという覚悟が必要だ。
尹錫悦大統領も憲法秩序に反抗し国会の機能を軍隊を使って停止させたのだから「もう決まったことをやり通すしかない」状態だった。しかし軍隊を完全に掌握しきれず(頼った「アニキ」はあまり人望がなかったようだ)国会の開催を許してしまった。しかしこの時点では戒厳令に違反し国会を開いたと言いがかりをつけて国会議員を粛清するという選択肢があった。大統領は結果的に国会をねじ伏せるまでの覚悟は持っておらず戒厳状態は150分で無効化され6時間しか持たなかった。
つまり一度独裁に踏み込んだ以上は最後まで走り切る必要があるのだが尹錫悦大統領はそこまでの胆力は持っていなかった。
仮に日本にそこまでの胆力がある政治家がいるとすれば、党内の反対を押し切って政治とカネの問題を一挙に解決するなどの方法が取れているはずである。総理大臣が自分の職責と心中するつもりがあるならばできることは多い。
日本の政治家は総理大臣から野党議員までそこまでの胆力がある人がいない。そのため新型コロナ禍でも自粛(非法律的手法)による行動制限を行った。結局責任が取りたくないため「自粛と相互監視」にまかせて逃げてしまった。
緊急事態宣言を憲法で規定することは、議会が負っている責任をすべて自分で背負いますという宣言になる。「その後の政治的帰結は全て自分が負いますよ」という覚悟が必要になるということだ。日本の議論は「動やったら選挙を先延ばしにできるか」程度のあやふやな動機が見られる。また一部の野党は「自民党と協議する野党」という立ち位置を作るために憲法改正議論を利用しており審議プロセスそのものが信頼に足るものではないと考えられる。
Comments
“弾劾を切り抜けても内乱罪適用の可能性 尹錫悦大統領の未来” への2件のフィードバック
今の”保守系”や右翼系”の政治家やそれを支持する人たちの中に、胆力や最後までやり遂げる覚悟の持ち主はいないでしょうね(ちなみに保守系や右翼系とは言ったものの、私が想像している人たちにこの言葉を当てはめるは間違っていると思う)。
彼らは「責任は私が持つ」と安易に言うが、都合が悪くなると責任押し付けてすぐに逃げてしまう様子がよく見られる。旧日本軍でも特攻命じておいて自分はちゃっかり逃げて、戦後は良い暮らしをして長生きする上官みたいだ。
特に今の「バラエティ化する政治」が行わている世の中では、覚悟があると嘘をつき扇動し、都合が悪くなると逃げ出す人が多くなるでしょう。もし、逃げ出さないとしても、それは覚悟があるのではなく、ただ単に逃げるタイミングを見誤っただけのように見えます。
そもそも「保守」という言葉もかなり安易につかわれるようになってきてますからね。真剣な保守という人たちもおそらくきちんと存在しているはずですがそうでない人も多い。