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テレビが信頼されなくなるわけ 伝えられない三菱UFJ銀行の10億円超詐取事件

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最近SNSで「テレビが伝えない真実を私が知っている」と主張する人が増えた。コメント欄でも詳細に文章を書いて教えてくれる「親切」な人がいる。

実際に重大事件でもテレビが伝えないものは増えておりこの感覚は間違いではない。このエントリーでは三菱UFJ銀行で10億円以上がなくなったという事件について取り上げる。重大事件だがマスコミの報道がほとんどない。

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この事件について最初に知ったのはXのエントリーだった。このときには「パンを盗んでも逮捕されるのに」が印象に残り被害額は読まなかった。

実際にテレビは初動を報道しているが追加報道がない。

次にこの件について見たのは「ひろゆき氏の切り抜き」だった。ここで初めて「10億円以上なんだ」と認識した。途方もない額だ。

ひろゆき氏は「貸金庫には(おそらく)マスターキーがあり行員は開け放題になっているのでは」と主張している。実際には盗まれた貸金庫は4種類のうちの1種類であってすべての貸金庫が盗みたい放題となっていたわけではないようだ。だがこれも週刊誌の報道でしかなく内容の正確性が担保されない。結果的に内容の不確かな情報が拡散しやすい状況が生まれている。

ではなぜマスコミはこれを報道しないのか。

第一にワイドショーの目的は広告枠を売ることであり社会正義を追求することではない。

社会正義を追求するのは安全なところから誰かを叩くことでスカッとした気持ちよさが得られるからにすぎない。日本のワイドショーはもともと芸能ネタなどを主に扱ってきたが「コンプライアンス」が厳しくなり芸能ネタは扱いにくくなっている。その間を埋めるように出てきたのが「社会正義棒」だった。TBSは一度ワイドショーから撤退している。このときニュースを扱っていた筑紫哲也氏は「TBSは死んだに等しいと思う」と発言した。報道とワイドショーの境界が曖昧という問題はもう随分前から指摘されているが未だになにの対策も行われていない。

ニュースとワイドショーが地続きになっている弊害が現れたのがビッグモーター事件だった。東洋経済などが積極的に取材していたが当初テレビはこの話題を黙殺した。経営が苦しかったAMラジオなどで盛んにCMが流されておりテレビ・ラジオを持つ報道局はこの問題を扱えなかったという事情がありそうだ。結局、問題はビッグモーターだけではなく損害保険会社にも飛び火した。放送局にとっては大口のCMスポンサーを失いかねない大事件だった。

この問題が取り上げられないもう一つの原因は「被害者が名乗り出ていない」点にある。産経新聞は被害者は60人程度としている。現金ばかりが狙われていたようだ。ひろゆき氏は根拠がないながら「国に申告できないお金なのだろう」と言っている。

被害者が名乗り出れば「被害を訴えている人が大勢いる」というような報道ができた可能性はある。しかし、被害者が名乗り出なければ(訴えを起こしたのは銀行であり貸金庫の利用者ではない)この線から報道として取り扱うことは難しそうだ。

日本人は将来に不安を抱えなかなかお金を使おうとしない。しかし実際にはお金を持っていないわけではなく自宅や銀行の貸金庫に多額の現金を蓄えている人も多いようだ。これ自体が社会問題であり「報道価値」は大いにあるといえるだろうがワイドショーの「社会正義を利用して安全なところから誰かを叩く」には合致しないためこれが広く取り上げられることはない。

これとは別に野村證券の現役の営業社員が営業先から金品を盗み放火するという事件も起きている。被告は29歳と報じられている。野村證券もテレビ局にとっては大きな顧客であるためニュースが大々的に報道されることはなかった。

銀行や証券会社といえば昔は高給取りの花形の就職先だった。しかしアベノミクスで金利が低く抑えられていることもあり金融機関の営業はどこも厳しいのだろう。社員の待遇が低く抑えられる一方で眼の前には多額の現金が豊富に存在する。

自己責任時代に生まれた梶原優星被告(29歳)は投資の穴埋めのために顧客から繰り返しお金を盗んでいた。それが次第にエスカレートし最終的にはお客さん(一人暮らしとは書かれていないが高齢の女性だった)を昏睡させ「証拠を隠滅するために」火をつけたそうだ。

目の前には有効利用されていない現金がある一方できついノルマに追われるばかりでなかなかお金を貯めることができない若い世代がいる。最終的に彼の心は乾いて行き「この人がいなくなれば自分の生活がラクになるのに」と考えたのだろう。

こうした現代の矛盾に心を寄せるほう道があってもよさそうだが共感型のコンテンツにはニーズがない。「安全なところから誰かを叩く」という型式に合致しないため無視されてしまう。

斎藤元彦氏関連のニュースが一斉に扱われなくなった背景もおそらく似たようなものだろう。SNSのキラキラ女子を叩いてもそれほど面白おかしいコンテンツには仕上がらないとううことだ。

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