斎藤元彦兵庫県知事について書いたところ、普段より多くのコメントを貰った。理由はよくわからないが「コメントを書きたくなる」要素があるのだろう。
このエントリーでは頂いたコメントについての感想を書く。特に考え抜いたというわけではなくフラッシュアイディアも多いという点にはご留意いただきたい。コメントの一覧はアーカイブページを参照のこと。
コメントの中に「何がいいたいのかよくわからないのですが……」という記述があった。そもそも他人になにかを説明するつもりで書いてみて、フィードバックをもらって「あれ、俺の言いたいことはそんなことじゃないんだけどな」と考えるくらいにならないと「本当になにがいいたかったのか」はまとまらないものだと思う。
なおこれまでコメントがあまりなかったため「コメントが自由につけられる」設定になっていたが、投稿履歴のない人のコメントは手動承認するようにルールを変えた。またリンクが付いているものも承認待ちになる。また書いてから7日経つとコメントは付けられなくなる。
日本人は斎藤元彦論争の何に惹きつけられるのか
まず「斎藤元彦論争の何が人を惹きつけるのか」について考えた。「イジメ」と理解されたのではないかと感じた。最近、岡田斗司夫氏のYouTubeをよく見ているのだが、岡田氏は最近のネット炎上には「ブイブイいわせているものを引きずり下ろしたい」という動機を感じると言っている。日本中が学校のような閉鎖空間になりつつあるというのだ。テレビも既得権益もこの「ブイブイいわせているもの」に当てはまる。
関西という特殊な空間
次に関西という特殊な空間について考えが足りなかったと感じた。関西は広域放送を行っており準キーが大阪に集中している。一部の放送局は維新の成果を肯定的に放送する傾向があると聞く。コメンテータが挙げていたのは大阪都心部の再開発と高校の支援の充実ぶりなどだった。
大阪準キー局は「東京には負けていない」という気持ちが強く「地盤沈下などしていない」という気持ちがあるのではないかと感じる。
ところが周辺地域の人たちはこれに複雑な気持ちを持つだろう。大阪市・大阪府は怠慢な地方自治体職員にカツを入れることでこんなによくなったのに自分たちはどうだというわけだ。
こうした複雑な感情を知ってか知らずか大阪の放送局は斎藤元彦知事を叩き始める。大阪以外の関西圏の人たちがどのような気持ちを持ったかは想像するしかないが、コメント欄を見る限りその眼差しは極めて複雑なものだったようである。
ただこれについて考えると「そもそも東京のキー局はどう見られているのだろう」ということが気になった。朝のテレビ番組では東京のおしゃれなスイーツショップなどの特集をやっていて、わざとらしい「うーんこれは美味しいですね」というようなコメントで溢れかえっている。地方の人たちがこれをどのような目で見ているのかと考えると、かなりの危険性を内包しているのかも知れないなと感じる。
背景にある「格差に弱い日本人」
この2つの要素は「日本人は大局的に物事を考えることはない」が「誰かとの比較」には極めて敏感であると総括できる。日本は低成長(誰も成長しない)という時代が長かったために相対的に貧しくなってもさほど気にしなかった。ところがインフレ時代になると「成長しているところ」と「そうでないところ」の格差が出てくる。イデオロギー論争が激化しやすいアメリカ合衆国と違い日本では「ちょっとした」お隣との差が言論空間に不安定さを生じさせるのかも知れない。
そもそもなぜ結論が出る前に知事選挙になったんだっけ?
普段からコメントをくださる方は「不信任案が出るのが早かった」と指摘していた。確かにその通りだ。だが「そもそもなぜそんな事になったのか」の記憶があやふやなことに気がついた。
テレビで知事悪玉論が出てくると「バスに乗り遅れるな」とばかりに議員たちが不信任に乗ったのではないかと思うのだが、意外とほんの数ヶ月前の出来事でも覚えていないものだと感じた。
君子危うきに近寄らず
これとは別の指摘があり、コメントではReHacQが引用されていた。兵庫県知事選挙の候補者たちですら「斎藤元彦悪玉論」を信じていなかったと書いている。
なぜテレビは両論併記さえしなかったのかとコメント主は訴えている。これは、おそらく百条委員会と第三者機関の提言が出ていないからだろう。
安倍総理の時代に近畿財務局の職員がなくなるという事件があり、現在高等裁判所で裁判が続きている。こうした問題が起きた場合、マスコミは立場が弱い「権力側」を疑うことになっている。このような状況で斎藤元彦氏の主張を取り上げることは遺族感情を逆なでしかねない。
テレビ局が人権に配慮してるからという理由もあるのだろうが「裁判の結果が出るまで」は「後で何を言われるかわからない問題には触れたくない」という気持ちもあるのだろうと思う。
なおそれぞれの結論は年度末までにはまとまることになっている。
ではテレビでは扱えない問題がなぜRehacQでは扱えたのか。
第一にRehacQは高橋弘樹氏(零細中小のおやじなどと自称することがある)が個人でスポンサーを集めている。リスクが取りやすい。また自身が前面に出てきて「なぜこれを取り上げるべきなのか」を説明している。またコメントがリアルタイムで更新されるためそれに応える形で軌道修正ができる。この軌道修正プロセスも透明化されているうえに「参加している」というライブ感も生まれる。
現在の日本人は「上から何かを押し付けられている」という感覚を極端に嫌いながらそれに抵抗できないといういらだちも抱えていると仮定すると、SNSやネットメディアのほうが影響力を増すのは当然の流れなのかもしれないと感じた。
本当に有権者はSNSの情報に流されたのか?
兵庫県の高校は予算不足に悩んでいるとコメントした人は二回目の投稿で別の指摘をしていた。確かに最初はネットの情報が影響を与えたのかも知れないが、実際の投票行動の決め手になったのはリアルな広がりではないかという。
斎藤元彦知事は「テレビではパワハラが目立つ人」だったが「実際に見るとそんな感じではなかった」というのだ。「なよっとしており、演説も上手ではなく、不器用ささえある」というと表現されている。なんとなく応援したくなる感じがあったということになり「いじめる側」ではなく「いじめられる側」だったのではないかという印象を与えたということになる。
テレビでは盛んに情報判断能力がない人がネットに流されたと言っている。おそらくこのメッセージは「なんにもわからないバカがネットに流された」と見下しているのだと受け止められるだろう。
一般論として、ネット上で誤情報や偽情報も拡散されている状況に「視聴者にも迷いがある。にもかかわらず、既存メディアから適切に情報が提供されないことに不満が表明されているのではないか」と言及。
NHK「選挙報道の在り方検討」 兵庫知事選受け稲葉会長(共同通信)
いくつかの謎が残る
今回は「活動部隊」の人たちが兵庫県の広い地域で活動していたそうだ。おそらく答えは出ないのだろうが(ネットでは実に様々な「推理」が出ている)この活動資金や立花孝志氏の活動資金を誰が捻出したのかは気になった。
一般メディアでは「他候補の支援のために立候補するのは良くない」と分析されているが、本当に立花孝志氏が斎藤元彦氏の立候補のために尽力したのかも疑問だ。むしろ不安定さを引き起こしてプレゼンスを増すことで選挙以外の収益を狙っていると考えたほうが自然である。