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高齢者支配の政治に起こりつつある小さくて重要な変化

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国内有権者が持っている「背中に石を積まれるような感覚」と、アメリカ合衆国で起きている暴力的な政府打ちこわしについて観察した。すると「では日本はどうなるのだろう?」ということが気になる。おそらく同じようなことが日本でも起きるのではないかと思う。

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まず、少子化議論と手取りアップにも「現在の労働慣行は期待に応えることができていない」ということを観察した。ゲームに不満を感じている人たちは何が起きているのかを言語化できていないためゲームから退出している。

少子化議論で女性たちが「出産・育児ゲーム」から退出していることと、地方から逃げ出していることは顕在化されている。しかしながら「都市の男性たち」の疲弊感について語られることは少ない。結果的に長時間・低生産性労働に張り付くことになり「もう経済成長ゲームには参加できない」と感じる人は増えているのではないかと思うがそれを証明する統計はない。

ただ、一人ひとりの

  • 背中に徐々に石を積まれる感覚

があるのみだ。

この背景には「実際に生産性の向上のプレイヤーでない人たち」ばかりがルールメイキングで重要な役割を果たしてきたという問題がありそうだ。竹中平蔵氏はわかりやすい事例だがおそらく「現在の労働者は怠けている」と考える政治家は彼ばかりではないだろう。彼らの雑な現状分析により効果が出ない対策が乱発され「どうせ何をやっても無駄」と言う感覚が作り出されている。一方で企業は「どうせ社会には問題は解決できないだろう」と考えており自分たちの安全保障のために内部留保をつみたてている。

アメリカ合衆国でもシステムを守りたい人たちがメッセージを巧みに使い分けるような政治を行ってきた。これを歓迎する人もいれば「エスタブリッシュメントの欺瞞・偽善だ」と考える人もいる。アメリカ合衆国では民主党の支持者のごく一部がこうした偽善について行けなくなった。またトランプ共和党のために投票する人が増えた。その変化は僅かなものだったが大きな変化を生み出し政府の打ちこわし運動につながっている。おそらくは政府の私物化も同時に進展するのではないかと思う。

これは「議論や制度改革による穏やかな変化」が失敗したためにおきた暴力的にシステムが平衡状態を取り戻すための破壊の一端だと捉えることができる。このような議論を通じて「暴力的な政府の私物化を肯定している」と見られるのは本意ではない。単に力学的な帰結を記述しているだけである。

では日本でもこうした暴力的な破壊運動が起きるのか。おそらくそうはならないだろう。では日本ではどのような変化が起きているのか。

読売新聞は石破内閣の支持率が僅かに上昇したと伝えている。だが時事通信では支持率が横ばいになっており不支持が増えている。しかしどちらの世論調査も「石破内閣の続投」は支持されている。

これは高齢者を中心とする有権者が「様子見」になっていることを伺わせる。自分たちの生活は維持したいが「さすがにこれでいいのだろうか?」と思い始めている。これまでの体制が維持されることを支持してきた人たちが若干離反し野党に若干の人が流れたことで「支配政党がない」状況が作られた。

日本では「有権者の誰が投票しなくなり誰が新しく参入したか」という統計がないがここに割って入ったのが日本維新の会だった。いわゆる「第三極」の登場だ。

当初は改革が期待されていたが政党運営の中で自民党に近づいていったことで支持を失ってゆく。この代わりに都知事選挙で躍進したのが石丸伸二氏だった。都議会議員選挙で新しく政党を作ると言われているようだ。玉木雄一郎国民民主党代表も石丸新党に期待している。

維新では代表選挙が行われ大阪組の代表である吉村大阪府知事と関東を代表する松沢成文元神奈川県知事が対決するものと見られている。ゆくゆくは維新も東西分裂し石丸新党や国民民主党などとの間に「組み換え」が起きるかも知れない。

では維新の失敗は何だったのか。それは自民党に近づきすぎたことだろう。

日本では現役世代にとって「自民・反自民のどちらにも加担しないと約束した政党」に投票することが最も成功率が高い戦略と言うことになる。

つまり「自分たちの意思が反映しないのであれば何も決めさせない」ことが最適戦略となる。ネグレクト型のゲーム戦略だ。ゲーム理論ではTit for Tat(しっぺ返し)戦略と呼ばれる。現役世代はこれを理解しつつあり国民民主党の台頭を見て(少なくとも議会政治では)第三極戦略がうまく行っていることに気が付きつつある。自分たちの意見が通るまで妨害に投票し続ける。

自民党は「地方財源が足りなくなる」と訴えて国民民主党への批判を高めたい考えだ。確かに自民党・立憲民主党を支援する人たちはこの訴えに大きく心を動かされることになるだろう。だが「背中に石を積まれた人たち」は「なぜ自分たちばかりが犠牲になるのか」と感じ、むしろ、第一極・第二極から離反するはずである。また維新が退潮したことからもわかるように「第三極期待」を裏切った政党も報復される。

国民民主党は自らこのポジションに志願したので原理的に自民党に協力できないが、おそらく自民党と協力して利益を確保したい連合系の既存の支持者たちは苛立つことになるだろう。

  • 要求が通らないなら議論そのものを破壊してしまえばいいということだ。

女性たちは何も変わらない地方から都市に流れ、出産・育児ゲームからも退場している。また統計はないものの「頑張って働いても疲れるだけ」と考える人達は「生産性向上ゲーム・成長ゲーム」から退出するだろう。

アメリカでは「積極的な政府打ちこわし」という破壊が起きるが、日本の破壊は「(いっけん)平和裏に静かに進行する」ということになる。どちらの帰結もかなり暴力的に現在のシステムの不具合を解消するという共通点がある。

こうした現象を観察すると「この非生産的な意地悪状態を善いものと感じているのではないか」と誤解されそうだが、決してそのようなつもりはない。だが、眼の前で起きている問題を見るとどうもそのような方向に流れつつあるように思えてならない。話し合いによる解決どころかそもそも当事者たちに話を聞こうともしない。

おそらくこうした変化はある日突然沸点を迎えるわけではなく「行つ戻りつ」しながら徐々に進行するのではないかと思う。

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