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立憲民主党が予算委員長を獲得 予想される衆議院の劇場化

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自民党・公明党が過半数を割り込んだことで議会運営にも変化が起きている。今回選挙に行った20代・30代の人達は選挙に参加するとこんな変化があると改めて感じたことだろう。

だが、そのまますんなりと民意が反映することにはならず、いったんは議会が劇場化することが予想される。特に立憲民主党の責任は重大だ。単なる劇場化に終われば民意は大きく失望することになるだろう。

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11日の国会開催に向けた各政党の間の話し合いが行われた。特別国会は4日の開催となりその後速やかに臨時国会を開くことで合意した。また立憲民主党が予算委員長を獲得し立憲民主党の安住淳氏が委員長に就任する。立憲民主党は政治倫理審査会と憲法審査会のポストも獲得する見込みだそうだ。

なお、議員運営委員長ポストは自民党が死守したようだ。つまり自民党は実質的な議会運営権にこだわり、立憲民主党は露出が増える表舞台を望んだことになる。

安住淳氏といえば国会対策委員長として「自民党批判」を全面に押し出していた印象がある。立憲民主党が党の存在意義を「自民党批判」においていることを強く印象付ける人事となった。仮に立憲民主党が有効な予算案を出すことができればこの人事は有権者の支持を集めることだろう。だがそうならない可能性のほうが高そうだ。

その他の獲得ポストとして取り沙汰されているのが憲法審査会である。自民・国民・維新が憲法改正を「改革の象徴」と捉え抵抗する立憲民主党と共産党を「改革に後ろ向きな」政党と批判していた。おそらく立憲民主党には被害者意識があったのではないかと思う。また政治倫理審査会のポスト獲得は「政治とカネの問題」が引き続き立憲民主党の最重要課題であることを強く印象付ける。

国民民主党の税制議論は「インフレになったのだからそれぞれの閾値も調整されなければならない」という問題意識に基づいている。このため議論の基礎そのものは意外にしっかりした印象だ。立憲民主党の議員たちはおそらく税制や国家経営にはあまり関心がなく議論の二重性を理解しない。

玉木雄一郎代表は「閾値調整」という難しいテーマは理解されないと考えるようになり「これは手取りを増やす対策だ」と言い換えた。しかしこれが思わぬ方向に飛び火する。「手取りを増やすのであれば社会保障改革も行わなければならないのでは?」ということになってしまったのだ。さらに立憲民主党には「国民民主党のマネばかりでは埋没する」という気持ちがある。そのため103万円の壁の問題よりも130万円の壁の問題のほうが重要だと主張している。中には103万円の問題などどうでもいいという人もいる。立憲民主党の党内左派は意思決定の蚊帳の外に置かれており埋没を避けるために懸命になっているのだ。

さらに今回の衆議院選挙で党勢維持に失敗した公明党も「社会保障改革」を打ち出してきた。

ただし立憲民主党の案を見ると「恒久的な社会保障の改革」に触れておらず「物価高対策」の穴埋めとして臨時の対策という位置づけになっているようだ。消費税の減税にも後ろ向きで実際には大きな政府志向でありその行き着く先は増税であると予想できる。

一方、有権者の飢えと乾きに無頓着な自民党のインナー(税制改革を「牛耳る人たち」)は国民民主党の主張を「プロレス」と理解している。つまり額に対する闘争であって「妥協の余地があるだろう」と侮っている。財務省の抵抗などもほのめかしており自ら抵抗勢力志願をしているような状態だ。自民党はおそらく水面下での交渉にこそ大きな意味があると考えている。

特に2000万円問題で自民党敗北の原因を作った森山裕氏がインナー顧問に就任しており世論を背景とした反発に対応できるか気がかりだ。森山氏がなぜ炎上したのかを考えるとこれは自殺行為だ。森山氏は「公認(表)と資金供出(裏)」を使い分ければいいと考える古いタイプの政治家だが、有権者は「切り取られた表」こそが議論の本質と考えて投票行動の参考にするのである。

そもそも参議院選挙に向けて「劇場化」のニーズがあり、悪役まで揃ったということになる。必然的にこの国会は劇場化するだろうなと予想できる。ただ議論の内容を見ているとあくまでも根本的な議論を避けて「今の有権者の不満に絆創膏を貼る」様な対策が目立つ。

マスコミは玉木雄一郎氏と国民民主党の出方に並々ならぬ関心を持っている。そんな中、毎日新聞が「これが国民民主党の要求だ!」という記事を出した。たいして具体的な内容が書いてあるわけではないが玉木雄一郎代表が「そんな決定はしていない」と否定してる。

内容ではなく「それをどう打ち出すか」によって見え方が変わってしまう。議論に火をつけつつそれを山火事にしたくないという気持ちがあるのだろう。後に共同通信が改めて「決定内容」を伝えている。

憲法議論でも同じ様なことがあった。玉木氏の憲法審査会の議論はそれなりに筋が通ったものだったが自民党と立憲民主党の間の闘争に巻き込まれ「外から見ていると何をやっているのかよくわからない」議論に堕ちていった。

自民党は連立相手の公明党に忖度し限定的な憲法議論しか行わず、参議院からも「緊急集会」の解釈を巡っって突き上げを食らった。また立憲民主党も「護憲」を一丁目一番地だと考える議員がいる。自民党の中の見解も統一できないのに議論などできないと主張していた。結果的にどのように体裁を取り繕うかという議論ばかりが行われ憲法改正によって問題解決を図ろうという空気は醸成されなかった。

仮に憲法議論と同じ様な議論が予算審議で行われるならば、有権者は大きな溜息をつき、政治そのものに呆れ果てることになるのではないかと思う。

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