国民民主党を軸に次の国会以降の協議体の枠組みが作られている。良い言い方をすれば国民民主党が与野党の橋渡しとなり悪い言い方をすれば蝙蝠(コウモリ)化している。
国民民主党は与党に取り込まれた・玉木氏の出世目当てだと言われることを気にしている。だが水面下ではおそらく実務的な協議が進んでいる。
外国人に「日本の会議には意味がなく大切なことは会議の外で決まる」と言うと驚かれるがまさにそんな感じだ。
これが「政治不信」の一番の原因になっている。与野党とも本音で何を考えているのかがよくわからなくなっているのだ。結果的に国民は縮み思考を捨てられず自らの未来への暗い見通しを打開できていない。
11日の国会開催の前の9日に国民民主党と自民党の党首会談が行われることになっていると、昨日お伝えした。公明党の代表が決まらない限り自民党が単独で国民民主党と会えないというのが理由だったようだ。
ところが今回の報道では11日に自民党が国民民主党と立憲民主党の党首と会談するということになっている。9日(にあるとされてきた)の会談が後ろにズレたとは書かれていない。また10日には維新の馬場代表と党首会談を行うという。馬場代表は関西のテレビ局で「自・国が勝手にやればいいんじゃないか」とスネていたため「先に会ってあげますよ」ということになったのかもしれない。
衆議院議長の選出では話がまとまらなかった。11日に向けて協議が進む。
ただ実務協議はこれとは別に進展しているようだ。国民民主党は幹事長レベルで公明党と会談し年収の壁議論と政治改革議論で協力することを決めた。また、立憲民主党と国民民主党は幹事長・国対委員長レベルの会談を行い協力関係を構築することで合意した。立憲民主党と国民民主党は5日に連合とも会談し政策協議を行う。
これは戦略的に理にかなっている。国民民主党は「いつでも野党で協力して不信任案を出せる」という状況を作りたい。自民党は「望みがかなった」と見ると裏切る事がわかっている。国民が望む与野党伯仲の状況が作られたことになるが比較第二党の立憲民主党ではなく国民民主党がステークスを握ることになった。必ずしも選挙結果を反映しているとは言えない。
共同通信は「自公国の部分連合が決まった」と書いているが国民民主党はこれを部分連合とは見られたくないようだ。また例外シナリオとして取り沙汰される玉木首相の可能性も否定した。
このように各党とも参議院議員選挙を睨んで「見せ方」に腐心している。幹事長レベルの会談とは別に党首会談を立てている。儀式的な「与野党融和協力路線」を演出したいのだろう。
だが日本は伝統的に「本音は表の会合では見せない」ことになっている。つまり党首会談が行われる頃にはだいたいの重要なことは水面下の密約(裏ネゴ)で決まる。
国民もそれがわかっているため「政治不信」に陥る。結果的に企業は先行投資せず消費者・労働者も消費を伸ばさない。そしてそれが国内市場を冷え込ませ、少子高齢化を進め、社会保障の持続性に深刻なダメージを与える。つまり政治不信は投票行動よりも「毎日のおサイフ」への影響が大きい。
日本の諸問題を解決するためにはまずこの裏ネゴを止める必要があるが、政治にはその意志はないようだ。
それぞれの政党が「見せ方」に腐心する裏側で参議院選挙に向けた動きも始まっている。石破総理は防災庁設置の準備を始めた。
発足式に臨んだ首相は今月中にまとめる経済対策に触れ、防災に意欲的な自治体に地方創生の交付金で支援する方針を表明。ボランティア活動を後押しする新たな枠組みをつくる考え
「防災庁」設置の準備室発足 交付金で自治体支援と首相(共同)
少子高齢化と過疎化が解決できないなかで、地方に依存する自民党はこれまでも様々な形で地方にバラマキを行ってきた。もっとも手軽なのは地方の建設業に仕事を与える公共工事だった。だがそのうちに「費用対効果(ビーバイシーなどと言われた)」が証明できなくなる。そこで「天災はいつやってくるかわからないから「費用対効果」など考えている場合ではない」として国土強靭化計画という新しいお題目が好感された。
建設費(資材と作業員)が高騰するなかで国土強靭化計画も行き詰まりつつあり、その代替として「国土防衛のための費用を防災庁が管轄する」ということにしたいのだろう。選挙対策のバラマキと言えるが危機感や不安に訴えかけなければ自民党の再分配を正当化できないところまで追い込まれているとも言える。
国民民主党も103万円には節税効果があり壁は国民の手取りを増やすと言っている。
つまり自民・国民・公明ともに参議院選挙対策としてのバラマキ・節税アピールを始めている。
当然「その請求書はいつ我々のもとに来るのだろう?」と有権者は受け止めるだろう。
別のエントリーでまとめた103万円の壁の議論も「本当に目の前の節税に喜んで良いのか?」と結論が出なかった。結果的に「政治が何を考えているかよくわからないので無駄な消費は控えよう」というのが消費者・勤労者の答えになってしまうのである。