自民党と国民民主党の間で幹事長レベルのコミュニケーションが始まった。石破総理は国民民主党の政権参加は求めず「部分連合」を打診する考え。野田佳彦氏も維新と共産党と会談するが国民民主党との会談の予定はない。(おそらく)本音では自民党からのお誘いを待っている馬場代表も立憲民主党には協力しないと言っている。共産党は頼まれれば協力してあげても良いと言っているが立憲民主党の支持母体の連合は共産党などまっぴらごめんと言っている。
玉木氏は野田氏には協力しない姿勢を打ち出しており結果的に石破政権存続を支えることになる。自民党は岸田政権時代から連合の取り込みを期待して国民民主党に接近してきたが政策協力は不調に終わっている。今回前回の失敗を払拭することができるかが当面の課題となる。玉木氏が岸田政権時代と同じ間違いを繰り返さないためには公開で念書を取るくらいのことをやるのではないだろうか。
国民民主党の玉木雄一郎代表がテレビに出演し今後の政権構想を語った。本来首班は石破茂氏になるはずだがあたかも玉木新総理が誕生しそうな勢いだ。玉木氏のネット戦略は大当たりとなり議席は4倍に躍進。人生最大のモテキを迎えている。
玉木氏が訴えた政策は2つある。
1つはガソリン減税だ。制度発足からしばらく経過し制度劣化を起こしたガソリン税の構造的見直し直接減税を訴えている。選挙で業界の支援に期待する自民党の人たちは反対するだろうが「野党が協力すると不信任案が通ってしまう」情勢となっているため予算審議が終わるまでは玉木氏の言いなりにならざるを得ない状況だ。
もう1つの課題が「ブラケットクリープ対策」である。国民民主党は早くから主張してきたが浸透しなかった。だが今回は実現する可能性が出てきたためおそらくテレビでも熱心にブラケットクリープとはなにかを解説するはずである。103万円の壁を後ろ倒しする政策などが含まれる。
アメリカ合衆国では当たり前に行われており毎年社会的な関心を集める。すべての人が確定申告するアメリカ合衆国では税還付が社会的な興味の対象となるがブラケットクリープ対策によって戻って来る税金が変わる。ただ日本の政治議論の特徴としてコンセプトではなく「額」に注目が集まってしまうという特性がある。「額」が決まるとそれを上限にして働き控えなどが起きてしまうからである。
玉木雄一郎代表の当面の課題は「そもそも国民民主党が誰に支持されているか」の明確化だろう。連合を背景にした組織政党だが支持は伸び悩んでいた。おそらく今回は若年層を中心に支持を集めたと考えられるが彼らが本音で何を望んでいるのかがよくわからない。穏健な手取りアップを求めている人もいるだろうし、高齢者がいなくならなければ自分たちが助かることはないと過激な思想を内包している可能性もある。とにかく彼らは主張をしないのだから離反するときも静かに離れてゆくはずだ。
そんな中焦りをつのらせているのが立憲民主党と維新である。立憲民主党は共産党・維新と会合を開く。国民民主党は積極的に参加する姿勢は見せていないそうだ。
国民民主党と同じ立場でステークスを握ると考えられてきた維新は今回の自公会談には呼ばれなかった。公明党が関西で競合関係にあり維新を嫌っているという人もいるが、浮動票に依存する維新が組織票を固めたい自民党の期待に沿わないと判断された可能性もある。いずれにせよ比例では票を落としており旧オーナーの橋下徹氏や吉村大阪府知事などの大阪組から「馬場代表の交代論」が出ている。
いずれにせよ立憲・維新・共産の会談はお金持ちのクリスマス会に呼ばれなかった仲間はずれたちの会合といった雰囲気。
今回維新に期待した人たちが国民民主党に移動した事が考えられる。この背景には何があるのか。
多くの国民が手取りのアップを求めている。これを実現するためには産業構造を変えて「儲かる国・儲けられる国」になる必要があるだろう。
例えばドイツでは経済が縮小する中でも賃金が上昇している。アメリカ合衆国やドイツは「ディスインフレ」が議論になっている。しかし同じ経済条件に置かれているはずの日本では人手不足が続いているにも関わらず全体に広がるような大きな賃金上昇が起きていない。人手不足が起きているならば人材獲得競争が起こり賃金が上昇するはずだが実はそうなっていないのだ。産業構造以外の労働慣行に問題がある可能性がある。
正社員既得権を守りたい連合は自民党に接近しており非正規雇用者の代表になっていない。今回国民民主党はおそらく既存の労働者とは別の層の人たちの支持を獲得したものと考えられるが冷静に分析すると日本の二極化した労働市場の矛盾をそのまま抱え込んだことになる。連合に代表される労働組合と非正規労働者の利益は相反するだろうから、その矛盾がそのまま玉木雄一郎氏が内包した矛盾になってしまうのだ
つまり本来ならばなぜこのような地殻変動が起きたのかを分析する必要があるが政治・政治報道は目の前に起きている変化を見て「とりあえず明日はどうしよう」と戸惑っているように見える。