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「マスコミは偏っている」石破総理が危険な発言

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行政府の長で数々の許認可権限を持つ石破総理が「マスコミは偏っている」と対決姿勢をあらわにした。非公認議員を含めた2000万円の配布への批判の高まりが背景にある。自身の説明不足を棚上げしマスコミのせい・国民のせいにする危険な発言だ。

などと書くと「大げさだなあ」と思う人もいるかも知れない。背景を整理してみよう。

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ことの発端はしんぶん赤旗の報道だった。毎日新聞などが追加報道を行うが、森山幹事長の説明は「党勢拡大と選挙費用は別」という単なる言葉遊びだった。情勢調査が自公過半数獲得から「ギリギリ過半数を取れるか取れないか」に後退していることもあり焦りをつのらせたものと見られる。読売新聞日経新聞も接戦の候補が増えていると指摘する。

有権者に最後のお願いをしなければならない局面で「自分はマスコミと戦う」と宣言した。

石破茂首相(自民党総裁)は24日、広島市で街頭演説し、派閥裏金事件を受けて衆院選で非公認となった候補側に自民党本部が2000万円の活動費を支出したことについて、「政党支部に出しているのであって、非公認候補に出しているのではない。報道に誠に憤りを覚える」と述べた。「報道、偏った見方に負けるわけにはいかない」とも語った。

石破首相「報道に憤り覚える」 非公認候補側2000万円支給

そもそも国民は何に苛立っているのか。

政治資金には2つの問題がある。1つは企業や団体からの汚職問題でもう1つは地方議員などの買収問題だ。それぞれの問題には長い歴史があるが場当たり的な対応が多い。このため国民は「政治とカネ」に後ろ暗いものを感じている。つまりこれは単なる印象の問題だ。

岸田政権の最大の「貢献」は透明化の失敗だろう。岸田総理にはある程度の意欲があったがそれでもこの問題が解決できないと示した点。これが風評に確からしさを与えている。

このため今回の問題では2000万円をもらった側が「自民党から勝手に送られてきた」「ありがた迷惑だ」と表明している。自民党側は決してやましいカネではないとの通達を出している当事者たちが「迷惑だ」と釈明せざるを得ないほど汚れた印象がついている。

さらに踏み込んで考えてみよう。自民党は法人を優遇すれば一般国民や地方に恩恵がもたらされるという「トリクルダウンセオリー」を全面に押し出して政策を正当化してきた。しかし法人は内部留保(多くを投資されていない現金が占めるとされる)を溜め込むばかりで有効活用できていない。地方も国民も徐々に困窮化している。

しかしこれを国民側が証明しようとしてもいつも政治の見えない壁に阻まれる。それが「言葉遊びの壁」である。その源流は安倍総理大臣のご飯論法だ。国民は政治とカネの問題を巡る言葉遊びだけではなく自公政権の言葉遊びそのものにうんざりしているのではないかと考えられる。

この問題を不合理に説明することもできる。日本では政治は「まつりごと」と呼ばれる。まつりごとは徐々に汚れてゆく「気」を回復させるための儀式であり、その中央に天皇がいる。自然の活力の源である。天皇は太陽の象徴とされるが次第に年老いてゆく。その代替わりが皇太子だ。皇太子の衣装は昇って来たときの太陽を象徴しており「日が昇る方向(東)の宮」とされている。この気が枯れることを「穢れ」という。

つまりまつりごとの根幹は「徐々に溜まってゆく汚れ(これを穢れという)」の更新である。総理大臣の代替わりに意味があるのは過去の穢れを清める事ができると我々が漠然と考えているからといえる。だが岸田総理も石破総理も「過去の穢れ」を清めることに失敗した。こうなると浄めの儀式に失敗した自民党自体が「穢れているのではないか」ということになる。

石破総理はおそらくまだ「党内野党」の意識が抜けないのだろう。マスコミは偏っているとマスコミ批判を展開した。だが、「総理大臣になれば地上波の免許更新だけでなく様々な許認可権限を握る」という意識は感じられない。国民も「反省が足りない」と態度の問題だとは考えているが今回の発言をマスコミの粛清に結びつける人は多くないだろう。

ただ、諸外国の独裁者の例を見ると当初ポピュリズムに乗って権力を掌握し徐々にマスコミを抑圧するという例はさほど珍しいものではない。むしろありふれているといえる。石破茂総理はその意味では典型的な独裁者の通路を通った政治指導者といえるが、その最初の時点で躓いた。

こうしたポピュリズム型のリーダーは「本来なら政治の表舞台に登場することはない」と見られている。だが民衆は既存の政治を打破してくれる人を求める。だがやはり権力の側に立つと徐々に民衆との期待から外れてゆく。そこでどこかに敵を作り同時にマスコミを徐々に粛清し権力構造を確かなものにしてゆく。

もう一つ今回の一連の選挙でわかったことがある。政策論争が全く盛り上がらなかった。マスコミが注目する争点は「財源」と「賃上げ」だ。各政党とも財源議論をほとんど行っていない。また2029年までに最低賃金を1500円に引き上げるための具体的な道筋も見えない。

国民は思い切った改革を期待するがそのためには誰かに痛みが生じる。与野党ともにこの「痛み」をどこに分配するかを言い出せずにいるようだ。政治とカネの問題を扱っている間はこの「痛み」を直視せずに済む。結果的に日本は失われた30年のその先に向かっている。日本は徐々に停滞した国なりつつある。非科学的な言い方をすれば気が枯渇した「穢れ」状態にある。最初の主語は石破総理であり、次の主語は自民党だ。だが実際には「政治全体が浄めの儀式(政権交代)を行えない状態」とみなされている。

つまり政治全体が穢れているのである。

石破総理のミッションはこの「枯れた気」の復活だ。それができないなら誰か別の人と交代すべきだろう。とにかく、マスコミと戦っている場合ではないが彼はそれに気がつくことはできないのかも知れない。このあたりが石破総理のリーダーとしての限界なのだろうと感じる。

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