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非正規化する国民と闇バイト強盗殺人

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先日、自民党を襲撃した男について書いた。「社会」という意識が欠落しており、独から自民党襲撃という極端な行動に至ったという筋立てにした。「供託金が準備できず選挙に出られない」の次のステップが「暴力」になる。その後、彼の状況が語られるようになってきている。やはり父親との関係が極めて希薄で家族としては崩壊していたようだ。

今回「闇バイトに初めて応募した人がそのまま強盗殺人で逮捕された」という事件を目にし改めて日本からは「社会という概念が消えかけている」と感じた。その背景はおそらく国民の非正規化だろう。

非正規化が怖いのは「何かあったときの対処能力」が失われてゆくという点だ。

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寳田真月容疑者(22)は横浜の個人宅に押し入り75歳の男性に暴行を加えた。キャッシュカードの暗証番号を聞き出そうとしたものと考えられているそうだ。男性はそのまま亡くなってしまう。ワイドショーは連日この話題を取り上げており「寳田真月容疑者は初めての応募だった」などと伝えている。

初めて参加したバイトで人を殺してしまったのだ。取り返しがつかない。

一般常識で考えれば「人を殴って殺した場合には指示役ではなく殴った本人がまず重い刑罰に処される」と気がつくはずだ。だからすんでのところでその事実に気が付きその手を緩めるはずである。

しかし周辺取材を読むと何かが変なのだ。

まず寳田真月容疑者はおとなしい性格でありだいそれたことをやるようには思えない。だが友達も事件の深刻さがよくわかっておらず「もう一緒にゲームができなくなるのか」などと言っている。被害者を思いやることもないし容疑者が今後どの様な運命をたどるのかも想像できていない。

家族の証言もどこかふわふわしている。容疑者の父親は健康保険料を支払うように命じたというがその他の税金の事情などは全く知らないようだ。仮に健康保険料が支払えないのであれば全体的なファイナンス事情を聞いたうえで合理的な返済を命じているはずだがその兆候がない。父親は別の取材にこう答えている。罪を償うも何も「強盗殺人は死刑か無期懲役」のはずだ。父親は息子の命を心配したほうが良い。

(宝田容疑者の)働き始めは高校中退(の後)ですね。最初はとび関係。そこから塗装関係に。(容疑者は)真面目だと思うんですけどね。ちょっともう頭の中が整理つかなくて。どうやって、これから罪を償うのか。

「真面目だと思う」父親が語った宝田真月容疑者の“素顔” 被害者母親が明かした市川“緊縛強盗”一部始終【首都圏連続強盗】

つまり容疑者だけでなく周辺にも社会常識の欠落が認められる。では、そもそもその社会常識はいつどこで身につけるのか。

個人的に考えてみたところそれは大学ではなかった。社会人になり就職するとまず議事録の作成と電話番をやらされる。電話番で取引関係を把握し議事録の作成を通じて「わからないことを質問する」ことによって徐々に社会常識を身につけてゆく仕組みだ。正社員総合職と正社員一般職(後に結婚して家庭に入ることが期待されている)ではカバーする領域は異なる。総合職は会議には参加させてもらえるが一般職にはその機会は与えられないことが多い。

改めて考えてみるとこの様な教育を政府が提供するリカレント教育で与えることは不可能である。だが官僚は「世間知など職場体験で当然育まれているはず」と考えるのではないか。

前回取り上げた自民党本部襲撃の臼田敦伸容疑者は49歳だったが背景が少しずづわかってきている。世代が異なるため背景事情も異なる。

父親は歯医者さんだったが家庭がうまくゆかず後妻をもらった。この後妻と臼田容疑者の関係が良くなかったようだ。虐待でPTSDになったと父親が証言している。ただし医者が診断したわけではなく「父親の自己診断」に過ぎない。おそらく父親は家庭経営に失敗したという気持ちがあるのだろう。ガレージを覗いて「何か可燃物があるな」と気がついていたそうだが「何も言わなかった」そうだ。父親は「すべてあの後妻のせい」にしたいのかも知れない。

日本には終身雇用を前提にした「標準家族」という考え方がある。だがそれはすでに破壊されつつある。ある時点でシステムから足を踏み外してしまうと社会常識が得られなくなる。臼田容疑者が最初から非正規化していたのか途中でそこからドロップ・アウトしてしまったのかはわからないのだが寶田(宝田とも)容疑者の場合はそもそも世代を越えて非正規化してしまった社会に暮らしている可能性が高い。

自民党の保守派の一部は「伝統的な家族」にこだわりを持っているが、そもそもその伝統的な家族が崩壊しつつある。高度経済成長期に働いた親の世代は子どもたちにその常識が通じないことに戸惑うが何かができるわけではない。そもそも失われた30年に親になった世代には「標準的な家族」というあるべき姿すら見いだせない。

社会崩壊は徐々に進んでいるが新しい社会システムができていない。必ずしもそれを国家が準備するべきだとは思わない。だが世襲が進む政治は「標準・正規システムの崩壊」に気がついていない可能性が高い。

ワイドショーは「世の中にホワイト案件などない」「社会常識に照らして正しい判断を」と連日訴えている。だがそもそも社会常識そのものが破壊されており、周りにも社会常識がない人たちしかいない状況で一体どうやってそれに気がつくのかという問題が出てくる。

先日、台湾のメーカーが日本への工場進出を断ったという記事をご紹介した。Quoraでも同様の記事を紹介したのだが「台湾の企業は日本には進出しない」という指摘をもらった。社員のやる気が低く話にならないのだそうだ。一瞬侮辱された気になったのだが実際にNewsweekが「日本は働き手の「やる気」で世界最低…石破首相、「無気力ジャパン」をどうしますか?」という記事を出している。

曰く「無気力ジャパン」だそうだが、社会に主体的に参加しても得られるものがない、そもそもどのように社会参画していいかわからないという人たちが「無気力状態」から脱却することは難しいだろう。

その意味では社会の非正規化は様々な極端な思考の温床になるばかりではなく「日本の供給制約」問題になってもいると考えるべきだろう。

極端な例を引き合いに「社会全体が非正規化している」などというのは道を踏み外した人の言い訳に過ぎないのではないかと指摘する人もいるだろう。

標準的な生き方がなくなると「なにかあったとき」に自分で対処しなければならなくなる。このときに役に立つのが「世間知」だ。山で言えば植林された木の根のようなセーフティネットになっている。この世間知が育たないということは段々と木の根に当たるものが亡くなってゆくということを意味している。しかし森はなんとなく異常がないように見える。木の根の状態は地上からはわからない。

本来人々は適切な時期に適切な世間知を手に入れる。社会の崩壊はこの世間知を手に入れるチャンスを様々な形で国民から奪ってゆく。そしてそれは地すべりが起きたときに初めて認知されるのである。

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