ああまたかと思った。国民民主党代表の玉木雄一郎氏が「尊厳死」を「社会保障費抑制」と結びつける発言を行った。問題発言を繰り返す玉木雄一郎氏は今すぐ国民民主党の党首を辞任すべきである。
発言は日本記者クラブで行われた討論会のもの。討論会は見ていないが短い時間の中で端的に発言しなければならないことで説明にレトリック(文学的な装飾)が使えなかったのだろう。
その後の質疑応答では、経済についての質問に答える中で「社会保障の保険料を下げるためには、我々は高齢者医療、特に終末期医療の見直しにも踏み込みました。尊厳死の法制化も含めて。こういったことも含めて医療給付を抑えて若い人の社会保険料給付を抑えることが、消費を活性化して次の好循環と賃金上昇を生み出すと思っています」と発言。
国民民主・玉木雄一郎代表の発言が物議 社会保障費抑制の文脈で尊厳死に言及? 本人が改めて説明(スポニチ)
ここで問題なのは「主張」ではない。むしろ主張を導き出した過程が問題だ。
官僚の悪い癖が治っていないことがわかる。日本の官僚機構はエリートと現場が乖離している。このためヒエラルキーのトップにいる人は最初から現場の監督官として送り込まれ霞が関に帰ったあとも統計で状況を把握する。玉木氏は大阪国税局でマネージャーを経験したあと政治家の秘書専門官に抜擢され政治との関わりが生まれた。
しかし、政治には人々の暮らしという側面がある。おそらく一国会議員であるならば「ミクロかマクロのどちらかを専門にする」ことは可能だろう。だが、執行役員クラスになるとミクロとマクロの双方を見たうえで「適切な」発言ができるようにならなければならない。つまり、政治と有権者を結ぶ広報官としての役割が生まれる。
玉木雄一郎氏の発言を見る限り「頭が良い俺達が考えた政策をわかりやすく噛み砕いて頭が良くないあなたたちに教えてあげる」という体裁のものが多い。この上から目線を有権者は見抜く。
今回もXで釈明を出している。切り取ったお前たちが悪いのだから全部をよく読めと言っている印象を(個人的にだが)受けた。
仮に無理な延命措置が日本の医療福祉を圧迫しているとしよう。これはマクロ的には大問題なので政治家としては検討すべきテーマであろう。つまり今回の政策提案を頭から否定することはできない。
だが実際にこれを実行に移す場合には別の問題が出てくる。家族の延命を切実に願っている人たちが実際に存在する。政治家の発言が意図するか意図しないかにかかわらず「延命など現役世代のお荷物だ」と受け取られてしまうと、その矛先はどこに向くだろうか。
それは家族だろう。
党勢拡大を図る国民民主党は現役世代と受益世代を分断しているのではないかと思える発言を繰り返していることも気がかりだ。政治的に沈滞している日本では「この程度」のことかもしれない。だが、ティッピングポイントを越えたアメリカでは分断は大きな問題になっている。一度一線を越えてしまうと取り返しがつかないという特徴がある。
論語に巧言令色鮮し仁という言葉がある。言葉が巧みなで各方面の顔色を伺う人はどんな組織でもある程度出世ができる。ところがそうした人には気をつけたほうがいいと孔子は指摘しておりその知恵はおそらく現代でも有効だ。
国民民主党はこの人を党首に頂いている限り政治家に共感を求める層の人たちを味方につけることはできない。そればかりか共感力のない人が他者を攻撃する材料を提供しかねない。つまり、党勢拡大の訳には立たないだろうし社会にとって有害になる可能性すらある。
この玉木氏の態度が修正可能なものなのかそうでないのかを第三者が知ることはできない。内部の人たちはよく知っているだろうからよく話し合ったほうがいいと思う。また、有権者は国民民主党がこのような見識の党首を容認していることを選挙の判断材料とすべきだ。