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なぜ民進党は終わってしまったのか

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つらつらと考え事をしていて「日本人は概念的なものを集団で扱えないからだめになったんだ」と思った。それを書き留めておこうかと思ってこの文章を書く。なおタイトルに「民進党が」としているのには他意はない。「ネットでは他罰的なタイトルが受ける」という経験則がありそれに沿っているだけの話で、民進党にはたいした期待はしていない。
もともと考えていたのは、なぜ日本では二大政党制が扱えなかったのかという点だ。
選択肢を求める人たちは、最終的に2つの大きな選択肢に集約される。意思決定はリソースを消耗するが、自由意志で動いていると考えたい人たちはひとつに決めたくないとなると2つが最適解なのだろう。民主党と共和党とか、マーベルと DCコミック、MicrosoftとAppleなどだ。
なぜ選択を求めるのか。それは自由意志による選択こそがその人の独立性を証明するという考え方が根強くあるからだ。
一方、日本人はひとつのメインストリームに集まる傾向が強い。自立した存在だと考えたいというような欲求が希薄なのだろう。代わりに本物と偽物とか、官軍と賊軍というような考え方を持っている。休日にはディズニーランドに行かなければならないし、スマホはiPhoneでなくてはいけない。アンドロイド携帯やユニバーサルスタジオは日本人にとっては単なる偽物なのだ。
政党の内部には「どの勢力に入ろうか」という選択があったので、主流派と反主流派とか、大蔵官僚系と地補出身者系とか、鷹派と鳩派などが別れる傾向がある。しかし、それは「私がそうありたい」という気持ちとはあまり関係がない。
派閥が自民党を2つに割ることはなかった。意思決定に関わるためには党の内部にいる必要があるためだ。そのため概念ではなくパワーバランスで政治が動いていたのである。パワーバランスとは「この場合、どちらについたほうが得か」という判断だ。
日本人は目に見えるものを扱うのは得意だが、頭の中にしかないビジョンやイデオロギーを扱うのが苦手だということが言える。派閥は「目で見えるもの」に分類されるのだろう。
しかし、民主党にはそのような伝統はない。パワーバランスが理解できずに党を出た人、野党出身でそもそもパワーバランスに無縁だった人、さらに生え抜きで自民党政治を経験していない人が作った政党である。そのため、内部で非公式に意思決定をする仕組みが整わなかった。有体に言えば「派閥」が完成しなかったのである。
民主党に派閥ができなかったのは、意思決定そのものから排除されていたからである。つまり派閥という文脈は「どちらにつけばより見返りが大きいか」という判断であって、どのような社会を実現できるかというビジョンではないということになる。
故に民主党は本来は派閥同士で調整すべき事柄が表面化しやすい。かといって党を分けるほどの争いには発展しない。そもそもイデオロギーの対立ではなく、意思決定の序列に関する揉め事だからである。だが、最終的には目的が存在しない意思決定なので、いつまでも同じような争いが続くのだ。
民進党にもイデオロギーを持った人はいるだろうが、有権者には響かない。
日本人はイデオロギー対立を持たない。それはなぜかと考えるとそもそも集団で概念を扱えないからだろう。つまりイデオロギーを持ちようがないのだ。
イデオロギーとは「何が理想か」ということだ。つまり、自分が理想とする生き方があり、それを自由に選択したいというのがイデオロギーなのだ。平等な社会に生きたいとか、実力が発揮できる社会がよいという選択行動だ。そのような純粋な社会は存在しない。イデオロギーはビジョンなのだ。
だが、日本人は文脈抜きで物事を考えないので、イデオロギーを持つには至らない。ビジョンのために協力し合うということもできない。故にイデオロギー対立は起こらないし、選択肢が示されることはない。
民進党はもともと連合や日教組などの旧社会党系の組織を引き継いでいるので、成長を前提としなければ、連合系の組織をまとめる人が頂点に立てる。故に野田派が党首を選出するのが当然の成り行きなのだろう。しかし野田派には統治能力がないことが知れ渡っているので、これ以上勢力が拡大することはない。
いっとき反政府系の人たち(つまり野党共闘だ)を模索したがこれはかなわなかった。そもそも野党というのは文脈なので、反政府が政府になったときにまとまれるだけの概念的体系が提示できないからだ。そこで民進党は「何も提示できないが、票は欲しい」と言っている。これが通るはずはないので、民進党にはそれ以上の可能性はない。
もちろん、分配型社会はビジョンになりえるのだが、それを実現するためにはパイを広げて行く必要がある。外野は「成長戦略を」というのだが、当事者たちには響かないようだ。モデルを作るためには仮説を検討して小さなところから試行錯誤してゆく必要があるわけだが、日本人にはそれができないのだろう。
ここから教訓めいたことを抽出することはできるのだが、それはやめておく。


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