大学生の時にはすでに再審請求運動があったと記憶している。市民運動は長い間熱心にこの問題を扱ってきた。今回の地裁判決は袴田巌氏の無罪を認定しただけでなく一歩踏み込んで証拠の捏造も認定している。検察は地裁判決に不満を表明したが控訴するかどうかは不透明だ。自浄が働かない日本の組織がどのように集団防衛モードに陥り個人の尊厳をないがしろにするのかがよく分かる事例である。
1966年に起きた袴田巌氏の事件は市民運動の関心が高かった。BBCも注目していて「世界で最も長く拘置された死刑囚」と紹介している。BBCが指摘する通り長い拘禁生活で袴田さんの精神は破綻しており回復の見込みはないようだ。姉はそれでも自由に動き回れる方が良いと弟を見守っている。袴田巌氏は88歳で姉のひで子さんは91歳だそうである。国家が個人と家族の人生を破壊した。
袴田巌氏は当初容疑を認めていたが一転して否認に転じた。当初の自白は12時間の尋問と殴打などの暴力的な取り調べの結果だと主張を転換したのだ。
焦った捜査当局は証拠を捏造して事態の収拾を図った。一度逮捕・起訴された人が一転無罪となることを恐れたのだろう。検察は決して間違ってはならないという無謬神話がもたらした悲劇だった。そして組織の集団的加害は今でも続いている。袴田さんがなくなれば結論が出ないまま裁判は流れる。そうすればすべてが丸く収まると検察は信じて疑わない。
様々な専門家が「証拠を捏造した」と証言しているが、検察はそれを認められない。証拠を捏造したと言うならその根拠を示せと言っている。
検察は絶対的な正義の味方であるという強い確証があり絶対に間違うことはないと言う無謬神話が積み上がっている。誰かが「検察も間違えるかもしれない」と疑った時点でそれが崩壊する。
おそらく現在の検察官たちも「この無謬神話には無理がある」と考えているのだろうが、それを認めた人は組織の破壊者となる。だから誰もそれを認めることができない。
結局は組織人が個人の人生を破壊してまでも自己保身を優先したいと考えている。
検察の名誉を守れなかった検察官は「そんなはずはないのにな」という演技を披露した。これが誰に向けた演技なのかはおそらく本人以外にはわからないだろう。
判決理由が読み上げられている間、検察官は表情を変えずに淡々とメモを取った。ただ袴田さんを犯人とみなす根拠とされてきた5点の衣類を証拠から排除すると指摘されると、ペンを置き、首をかしげながら裁判長を見つめた。
「死刑囚から市民に」 湧き起こる拍手、検察不満
検察は過去の過ちを認めたら負けというマインドセットに陥っているが、おそらく無実を証明することもできない。このため時間稼ぎで死刑囚が亡くなるのを待っているのが実情である。
時事通信は幹部の「特別抗告して置けばよかった」と言う表現を拾っている。最高裁で時間稼ぎをしているうちに被疑者が亡くなってしまえば裁判は終わる。そうすれば「検察のメンツは保たれ全ては丸く収まる」と信じているのだろう。彼らは人の人生を左右する立場にあるがその自覚は微塵も感じられない。
再審開始を認めた東京高裁決定に対し、最高裁に特別抗告しなかったことを悔やむ声も。別の幹部は「再審公判で争うのであれば、特別抗告しておくべきだった」と惜しんだ。「当時の判断は致し方なかった」と話す幹部もいた。
捏造認定に疑問の声 検察幹部「明確な根拠を」―袴田さん無罪
コメントを残す